22.鹿骨親水緑道  

鹿骨親水緑道

鹿骨親水緑道は、かつての農業用水路である江戸川用水を整備したもので、興農親水緑道・鹿本親水緑道・流堀親水はなのみちの各親水緑道を連携する施設です。地名「鹿骨」の由来に基づき「親子鹿のブロンズ像」を設置し、地域の方々に親しまれ、安らぎと潤いをもたらす散歩道となっています。鹿骨親水緑道は平成七年に開通し、総延長は1290メートルあります。
 

コース 踏破記  

今日は江戸川区の「22.鹿骨親水緑道」を歩きます。鹿本親水緑道と興農親水緑道の交点に位置する鹿骨四丁目31番地から柴又街道と並行して南西方向に進み、流堀親水はなのみちや本郷用水親水緑道を分岐しながら、鹿本通りと交わる地点でゴールとなります。

スタート地点:鹿骨四丁目31番地

ゴール地点:鹿骨一丁目7番地鹿本通り交点


スタート地点の鹿骨四丁目31番地から歩き始めます。



鹿骨親水緑道は鹿骨地区東部に位置し、南北を貫く全長1290メートルの遊歩道に沿って樹木が植えられ、さわやかなお散歩コースとして親しまれています。かつて農業用水路として利用されていた「江戸川用水」が小川として整備されていて、涼しげなせせらぎの風景が魅力です。一年中、さまざまなお花が楽しめますが、特に桜の時期には写真写りが良い光景が見ものです。



この地域は明治中期から昭和初期にかけて「鹿本村」と呼ばれていました。現在はその名残を示すべく、親子鹿の銅像が設置されています。



鹿骨街道の前沼橋交差点を渡った右手に鹿見塚神社があります。



鹿見塚神社の創建年代は不明ですが、奈良時代(8世紀)に藤原氏によって常陸の鹿島神宮から分霊されて奈良の春日大社が創建されましたが、その際に多くの神鹿を引き連れておよそ1年かけて奈良まで行ったと言い伝えられています。その途中で亡くなった鹿を葬った塚を此の地に築きました。これが「鹿骨」の地名の由来とされています。この鹿見塚は古墳という説もあります。昭和四十八年(1973年)に瓦葺檜造りの社殿が新築されました。

鹿見塚(ししみづか)

この鹿見塚のあるあたりは、昔から鹿骨(ししほね)発祥の地といわれています。伝説によると、戦国時代のころ、興亡のはげしい世の中を離れ、安住の地を求めて、石井長勝・牧野一族・田島一族・中代一族および別系の石井一族が開拓しました。ある日のこと、日頃尊崇している鹿島大神が常陸(茨城)から大和(奈良)に向かう途中、大神の杖となっていた神鹿が急病でたおれたので、塚を築きねんごろに葬った所だと伝えられています。昭和四十二年八月、氏子中によって「鹿骨発祥の地・鹿見塚」の碑が建てられ(て)います。台座はコンクリート三段組で高さ九十八センチメートル、碑石は高さ八十一センチメートル、幅五十二センチメートル、厚さが十三センチメートルあります。現在の鹿見塚神社は昭和四十八年に再建築されました。




緑道の中程まできました。



鹿骨親水緑道の親子鹿像のあたりから分岐する「流堀親水はなのみち」は、平成四年に開通した大杉橋通りまでの全長420メートルの親水緑道です。古くから園芸が盛んだった鹿骨地区のイメージを大切に、花と緑の田園風景を感じられる緑道となっています。草花としてはタンポポや花しょうぶ、樹木としてはサルスベリなどの高木とサツキなどの低木といったレイアウトも美しく、移り変わる季節に合わせて次々とお花を楽しめます。



ゴール地点の鹿本通りとの交点に着きました。



小屋の壁に緑道の全体図が貼られています。本郷用水親水緑道は江戸川区の散歩道の最後で歩きます。



ということで、江戸川区で二十二番目のコースである「22.鹿骨親水緑道」を歩き終えました。次は江戸川区で二十三番目のコースである「23.鹿本通り」を歩きます。




戻る