23.鹿本通り  

鹿本通り

「鹿本通り」は、かっては「東井堀」と呼ばれた農業用水路の跡に沿った道路です。東井堀は、古くは農業用水や物資の輸送路として利用され、江戸川区民の生活を支えてきました。小合溜井(現在の都立水元公園内)を水源とする、上下之割用水(別名は大用水)は、新宿(葛飾区)で左に小岩用水を振り分け、少し南下した所で東用水(東井堀)を分水していました。東井堀は、松本・鹿骨を貫き谷河内・南篠崎などを流下して、前野から旧江戸川に注いでいました。井堀とは用水路のことで、当時の江戸川区の村々では笹ヶ崎・上篠崎・下篠崎・上鎌田・下鎌田・一之江新田・谷河内・新堀・鹿骨・松本・興之宮・上一色の12ヵ村が利用していたと言われています。用水路としての役目を終えた東井堀は、ほとんどが道路になりましたが、京葉道路から江戸川一丁目までの区間は東井堀親水緑道として整備されています。今回歩く鹿本通りは、東井堀の上流部の一部で、西小岩三丁目8番地から京葉道路交点までの区間です。

コース 踏破記  

今日は江戸川区の「23.鹿本通り」を歩きます。西小岩三丁目8番地をスタート地点として、用水路跡に造られた多くの親水緑道を分岐しながら京葉道路との交点まで歩きます。

スタート地点:西小岩三丁目8番地

ゴール地点:京葉道路交点


スタート地点の西小岩三丁目8番地から歩き始めます。中途半端な地番ですが、直ぐ北側は葛飾区なので、鹿本通りが江戸川区に入った地点をスタート地点にしているのでしょう。



鹿本通りは奥戸街道と交差します。交差点の名前に「東井堀」の名前が残っています。



「鹿本通り」の標識が立っています。「鹿本」の名称については、次のような由来があります。鹿本村は、明治二十二年の市政町村制施行の時、上一色・本一色・興宮・松本・鹿骨の5つの村が合併して誕生しました。区内でも古くから開けた土地で、応永五年(1398年)の「葛西御厨注文」に既に鹿骨・一色・松本の3つの地名が書かれています。鹿本村はこのような経緯で誕生したのですが、「鹿本」の村名の由来は、旧村名の「鹿」骨・松「本」の1字づつをとって名付けられたようです。「鹿骨」という地名も奇妙ですが、これには次のような言い伝えがあります。八世紀の奈良時代、藤原氏が奈良の春日大社を創建した際に、鹿島・香取(今の鹿島神宮と香取神宮)の神様を勧請(他の地に移して祀ること)するため、白い鹿の背中に御分霊を乗せ、神使である多くの鹿(神の使者と考えられる特定の動物で、鹿島の神様の神使は鹿)と共に一年かけて奈良に向かいました。その途中、この地で鹿が病に倒れたため村人たちは葬り、塚を建てたといいます。鹿の骨を埋葬した鹿見塚が作られた土地であることから、「鹿骨」という地名になったということです。一方、「松本」はこの地域の寺に聳えていた「松」の木に関係するといわれています。



鹿本通りから、西小岩親水緑道が分岐しています。



西小岩親水緑道は江戸川区のコースになかったので、ついでに歩いてみます。西小岩親水緑道は、平成元年に総延長420メートルの緑道として開通しました。



少年の彫像があります。何かを話しかけている様子です。対面に少女象があり、鳥を掲げています。どんな会話なのでしょうか?



案内板が立っています。

西小岩親水緑道

この水路は、かつて上一色用水と呼ばれ、農業用水路として使われてきましたが、都市化とともに地域の主要な排水路に変わり、水路の上には、ふたがかけられ、歩道としても利用されてきました。この排水路も下水道の整備によって、その使命を終えました。これを機会に、その跡地を利用して、四季を感じさせる花や木を植え小川には、魚が泳ぎ、道ばたの彫刻ともふれあうことのできる水辺のいこいの場として生まれかわりました。




西小岩親水緑道は、新中川の堤防に面した西小岩一丁目公園の手前で終端となります。



鹿本通りに戻ります。



こだぬき児童遊園は、総武線の高架下にある公園です。滑り台が主体の複合遊具・箱型遊具・砂場・スプリング遊具などが設置されています。箱型遊具は、穴の開いたカラフルなボックスが縦横に積み上げられたもので、他の公園では見かけないユニークなタイプです。上ったり、のぞき込んだりと自由な発想で遊べます。また、一年中日陰で過ごせるのも高架下ならではの利点です。日焼けが気になるお母さんも、帽子が苦手な子どもも、みんな笑顔で過ごせます。

こだぬき児童遊園

利用者の皆さんへ

JR高架下には、この「こだぬき児童遊園」を始め、4箇所の児童遊園があることをご存じですか。それは小岩駅を挟んで西側から、
(こ)だぬき児童遊園(南小岩6−5−6)
(う)さぎ児童遊園 (東小岩6−3−7)
(ふ)くろう児童遊園(東小岩6−14−4)
(く)じら児童遊園 (東小岩6−22−7)
の4園です。園名の頭文字を並べると「こうふく」となり、地域の平和な暮らしへの願いが込められています。これらの児童遊園の誕生には、総武線高架複々線工事の完成当時(昭和四十六年)、日照問題等の解決に取り組んでいた周辺住民による「総武線からの公害を守る被害者の会=代表・藤田要吉さん」を始め、大勢の方々の永年に渡る努力がありました。この結果、当時の国鉄から4箇所の高架下敷地を子供たちの遊び場として提供を受けることができたのです。そして、昭和五十年、区では子供たちの遊び場であり、地域のふれあいの場となる児童遊園を整備し、今日まで地域の皆さんにご利用いただいています。これからも、この4箇所の児童遊園を大切なみんなの広場として、ルールを守り、大事にしていきましょう。




小岩ポンプ所は、近隣の雨水を新中川に排出する施設です。江戸川区にある他の複数のポンプ所や水再生センターとともに、地域の浸水被害軽減や下水処理において重要な役割を担っています。



用水路に架かっていた橋の親柱が残されています。



2キロメートルの地点に到達しました。



石像があります。1990年に制作された浜田彰三氏の作品で、「石人(動く石)」というタイトルが付いています。浜田彰三氏は山梨県富士吉田市出身の彫刻家で、学校を始め、公園や公共施設などに石堀の彫刻を数多く提供しています。2012年には富士吉田市の文化功績賞を受賞しました。浜田氏の作品は、この他にも多くの作品が江戸川区の緑道に設置されています。



鹿本通りの名前の由来のひとつとなった「松本」の名が引き継がれています。



東京都の農林総合研究センター江戸川分場があります。この施設は、東京の東部地域における園芸技術分野を所管し、コマツナなどの軟弱野菜やアサガオなど特産花きの高度集約型園芸技術の開発や、品種の選定・導入などに取り組んでいます。

東京都農林総合研究センター江戸川分場案内

東京都農林総合研究センター江戸川分場
江戸川分場は、江東地域農業の拠点として当地で栽培の多い、コマツナ等の特産野菜や花き類の試験研究、各種園芸作物の展示栽培等を行っています。

東京都中央農業改良普及センター東部分室
東部分室は、江東地域の農業技術の普及指導及び経営改善指導等を行っています。




鹿本通りから、鹿骨親水緑道が分岐しています。江戸川区のお散歩コースの22番目に歩きましたね。



ゴール地点の京葉道路交点に着きました。この地点で、京葉道路に首都高7号小松川線が合流しています。



ということで、江戸川区で二十三番目のコースである「23.鹿本通り」を歩き終えました。次は江戸川区で最後のコースである「24.本郷用水親水緑道」を歩きます。




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