中野区(東中野・中央・本町・中野コース)


踏破記


文京区の次はどの区にしようかと考えたのですが、あまり坂が多い区だと踏破記を書くのが大変なので、中休みの意味もあって、ほどほどの坂の数で馴染みもある中野区を選びました。中野区の坂道は全部で12ケ所あるのですが、一日で巡れる位のコンパクトな配置になっています。

中野区は起伏のある地形で、区内には武蔵野台地に属する沼袋台地・野方台地・中野台地・幡ヶ谷台地・落合台地があります。また、神田川・妙正寺川・善福寺川・江古田川・旧桃園川(現在は暗渠化されて緑道になっています)などの河川も区内を流れています。台地があって川が流れていれば、当然低地から高地への道路は坂道になります。そんな中から選ばれた12の坂ですので期待しましょう。

最初に歩く坂は東中野駅の北東に位置する「ゆうれい坂」です。東中野駅には山手通りに面した西口と、日本閣跡地に聳え立つ超高層マンションに隣接する東口があります。「ゆうれい坂」は東口に近いので、ここから今日の歩きをスタートします。



東中野駅から日本閣跡地に建設されたユニゾンスクエアの西側に沿って北に進みます。ユニゾンスクエアには、2007年に高さ約100メートルの高層ツインタワーマンションが竣工し、更に現在は道路を挟んだ三角州のような区画にもう1棟の高層マンションが建設中で、2024年に完成予定になっています。敷地は鬱蒼とした巨樹に覆われていたように記憶しているのですが、樹木は既に大半は切り倒され、数えるほどしか残っていません。少し進んだ右手に工事用の塀で覆われた区画が広がっています。女優の松坂慶子さんの出身校でもある旧中野三中があったのですが、中野三中は2018年に中野十中と統合し、中野東中学校として再発足しました。現在は旧中野三中の跡地を再開発して子育て支援の拠点となる新たな複合施設を開設する工事が行なわれているようです。その旧中野三中の北側にある東中野郵便局の西側に、傾斜のある裏道のような細い坂道が上がっています。コンクリート舗装で、滑り止めのドーナツ型の溝が付いています。

1.ゆうれい坂

ゆうれい坂は長さ約30mほどの短い急坂で、坂名の由来ははっきりしませんが、昔は樹木の生い茂った寂しい坂道だったので、いつともなしに地元の人がそう呼んだのでしょう。



ゆうれい坂から神田川の遊歩道に出て、青梅街道を目指します。青梅街道と税務署通りが合流する地点に、神田川に架かる淀橋があります。何度も通ったところですが、淀橋の袂に立っていたボロボロの案内板が新しくなっています。

淀橋の由来

「淀橋」の名は、江戸時代の三代将軍徳川家光が名づけたといわれています。古くからあるこの橋は、昔は「姿見ずの橋」とか「いとま乞いの橋」といわれていたといいます。このあたりで中野長者といわれていた鈴木九郎が、自分の財産を地中に隠す際、他人に知られることを恐れ、手伝った人を殺して神田川に投げ込みました。九郎と橋を渡るときには見えた人が、帰えるときには姿が見えなかったことからその名がついたといわれます。江戸時代の初めに鷹狩りのためこの地を訪れた徳川家光はこの話を聞き、「不吉な話でよくない、景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めるよう」に命じ、これ以降、その名が定まったそうです。




この辺りの神田川は新宿区と中野区の境界になっています。淀橋の西側にある交差点は中野坂下という名前ですが、今まで中野坂上という地名はよく耳にしたものの、中野坂下という地名は全く気にもしていませんでした。実は、中野坂下交差点から中野坂上交差点までの青梅街道は「中野坂」と呼ばれているんですね。中野坂の坂上に位置するので「中野坂上」という地名になったのですか。中野坂上の地名の由来が初めて分かりました。

2.中野坂

中野坂は青梅街道の中野坂下交差点付近から中野坂上交差点付近までの長さ約320mほどの緩やかな傾斜の坂で、坂下には神田川に架かる淀橋があり、そこが中野区と新宿区の区境となっています。淀橋の東側には「成子坂」があり、神田川は双方の坂下(谷底)を流れるような恰好になっています。坂名の由来は、この辺りが武蔵野の中央に位置するところから「中野」という地名で呼ばれるようになり、その中野の主要な坂であることから「中野坂」という坂名になったのだろうといわれています。坂下近くにあるトヨタレンタカーのお店の前に東京都が設置した鉄製(青銅製?)の坂名の標識が建っています。ここは百万回位通ったのですが、この標識には今まで全く気がつきませんでした。



青梅街道に面した標識の表面には「中野坂」と表示され、裏面に昔の坂の風景らしき挿絵と解説文が記されています。

中野坂

中野の名称については、江戸名所図会などに、武蔵野の中央にあることから「中野」と呼ばれるようになったことが記されている。青梅街道のこの辺りは、江戸の頃から堀の内のお祖師様として知られる妙法寺への参詣者の通り道としても賑っていた。坂上には、「弁慶」という菓子店と「大団子」と称する団子屋があり、「弁慶」の水飴と「大団子」のつけ焼団子は、当時中野の名物として知られ、堀の内祖師かえりの土産として好評を博した。




中野坂上近くのビルの前に、大きな円形状の石が鎮座しています。実はこれはかって実際に使われていた石臼なのです。直径は約2メートルもあり、この石臼を使って製粉が盛んに行われていました。江戸時代、中野は神田川の水車を利用した製粉業が盛んで、そこで作られた蕎麦は江戸各地、特に日本橋周辺に送られていました。中野は蕎麦の一大生産地だったのです。大正時代には6社もの会社が製粉業を営んでいたそうです。その中の1社がこの石臼が置かれている石森製粉という会社で、今でもそば粉の製造販売を行なっています。石森製粉は、明治五年(1872年)に初代の石森安太郎が中野に「吉野屋」という名前の蕎麦製粉業を創業し、明治・大正・昭和・平成・令和と受け継がれています。石森製粉本社ビルは、マンションも兼ねていて、そのマンション名は「ストーンミル」、つまり石臼の意味です。



近年、中野坂上周辺地区では再開発が行なわれ、高層ビルが林立しています。その中心となるのが「ハーモニースクエア」と呼ばれる複合施設です。



施設の中心をなすハーモニータワーの裏側の広場に石臼と案内板が置かれています。先ほど通ったストーンミルに本社を置く石森製粉さんが寄贈されたモニュメントとのことです。

中野坂上と蕎麦

蕎麦は、江戸時代後期より「蕎麦きり」の形で庶民に親しまれてきました。当時、江戸における蕎麦の主産地は、江戸西部の武蔵野(武蔵野台地)にありました。青梅街道から江戸に入る最後の宿場町であった中野は、生産地と江戸中心部の中間に位置していたことから、蕎麦ならびに雑穀の業者が軒を並べ、加工、集散地として大いに栄え、江戸における蕎麦需要を賄っておりました。現在地には、1990年に移転するまで石森製粉の蕎麦製粉工場があり、その名残りとして、使わなくなった石臼を利用し、腰掛けを製作しました。
                                 石森製粉株式会社




ハーモニータワーの広場の青梅街道寄りの南側の路地に入りますと、住宅地の中に細い坂道が下っています。

3.相生一番坂

相生一番坂は長さ約70mほどの緩やかな下り坂で、途中で僅かに”く”の字形に曲がっています。案内板はありませんが、町会の掲示板に、小さく「相生一番坂」と書かれています。かって坂下の民家のブロック塀に「相生一番坂通り」と表示されたプレートが貼られていたそうですが、今はそれらしきものは見当たりません。このブロック塀がそうみたいですけど。



中野坂上交差点から山手通りを南に200mほど進みますと、左斜めに入る狭い路地があります。

4.相生二番坂

相生二番坂は路地に入った先で右折し、その先に延びる長さ約170mほどの緩やかな下り坂です。案内板はありませんが、町会の掲示板に「相生二番坂通り」と書かれているのと、坂下の民家の壁にも「相生二番坂通り」と表示されたプレートが貼られています。



中野坂上交差点から青梅街道を西に進みますと、宝仙寺があります。宝仙寺は中野区でも屈指の広大な寺院で、千年近くの歴史を誇る古刹です。戦前には当時の中野町役場も置かれていました。著名人の葬儀・告別式も多く執り行われることでも有名です。



宝仙寺の境内には石臼が山のように積み上げられた石臼塚があります。

石臼塚由来

中野区と新宿区との間を流れる神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を挽くことに使われていた。そばの一大消費地となった江戸・東京に向けて玄そばが全国から中野に集められ製粉の一大拠点となり、中野から東京中のそば店に供給されたため、中野そばとまで言われるようになった。その後、機械化により使われなくなった石臼は道端に放置され見向かれなくなっていった。それを見て当山、宝仙寺第五十世住職冨田(コウ)純大僧正(宝仙学園創立者)が、人の食のために貢献した石臼を大切に供養すべきであるとして、境内に「石臼塚」を立て供養した。




また、鮮やかな紅色の三重塔も建っています。宝仙寺の三重塔は江戸六塔のひとつで、寛永十三年(1636年)に建立されました。初代の三重塔は現在の中野区立中野東中学校(旧中野区立第十中学校)の敷地内に建てられ、高さ24m、屋根は檜皮葺、池上本門寺五重塔・上野寛永寺五重塔とならんで江戸時代初期の典型的な建造物であり、江戸近郊で唯一の三重塔だったそうです。昭和二十年(1945年)5月25日の空襲によって焼失しましたが、平成四年(1992年)になって、法起寺三重塔を模した飛鳥様式で宝仙寺の境内に再建されました。

三重塔

当寺の三重塔は寛永十三年に建立された塔が飛地境内の塔ノ山公園(現在の中野区立第十中学校)にありましたが、昭和二十年の戦災で焼失致しました。平成四年の興教大師八百五十年御遠忌記念として再建されました。この塔は、焼失した塔とほぼ同じ高さの約二十メートルで奈良法起寺に範をとり、飛鳥様式の純木造建築で、心柱は基壇まで貫通しています。塔内には大日如来を中心とした胎藏界五佛が安置されております。




宝仙寺の東側を回り込みますと、宝仙寺の裏側の塀と宝仙学園との間にクランク状に曲がった細い坂が下っています。

5.犬坂

犬坂は長さ約100mほどの緩やかな坂です。坂名の由来は、江戸時代に将軍が遊猟した際、猟犬が野犬に襲われることがあったため、野犬狩りをして現在の犬坂下辺りに拘束していたことに因んでいるとのことです。



犬坂を下りて桃園川緑道に出ます。いつもと変わらず、緑道の両側には美しい植栽が映えています。



桃園川緑道に架かる慈眼堂橋から南方向に上る坂があります。坂下を左手に進むと、芸能人が通う堀越高等学校があります。

6.小笠原坂

小笠原坂は、長さ約130mほどの緩やかな上り坂で、昔からある坂だそうですが、坂名の由来は不明とのことです。小笠原という人が住んでいたのでしょうか?



中野駅に来ました。中野駅南口一帯は再開発の真っ最中で、現在は2棟の高層ビルガ建設中です。以前のごちゃごちゃした駅周辺の街並みは一新されることでしょう。昭和の中野を知る人達にとっては寂しい限りですが。



南口駅前広場の西側には、道路を挟んで小洒落た飲食店街ができています。

7.レンガ坂

レンガ坂は長さ約90mほどのビルの谷間の緩やかな上り坂です。歩行者専用の路地で、路面にはレンガが敷きつめられています。入口と出口の路面に「レンガざか」と記されたタイルが埋め込まれています。アーケードも西洋風で、お洒落な作りです。「光の情景画家」としても知られている人気のアーティスト笹倉鉄平さんがコーディネートされたそうです。



お店は飲食店が殆どですが、雑貨屋さんもあります。舗道の傍らには古代の水飲み場を模した噴水もあります。というか、年代物のようなので、イタリアから移設したのかも。



中野駅では、駅西側南北通路と橋上駅舎の新設工事が進行中です。完成は4年後の2026年12月とのことですが、北口の中野サンプラザや中野区役所の建て替えと南口の再開発と相まって、中野駅周辺の風景は一変することでしょう。



中野区立中央西公園の西側から大久保通りに向かって短い坂が下っています。

8.水車坂

水車坂は住宅地の間を通る長さ80mほどの緩やかな坂で、坂名は坂下に水車小屋があったことに由来します。以前は坂の途中の擁壁上の植え込みの中に、「水車坂」とだけ書かれた金属板が立てられていたそうですが、現在は擁壁ごと取り壊されたようで、見当たりませんでした。水車坂を示す標識が何も見当たらなかったので、地図を片手に本当にここが水車坂かどうか思案していましたら、坂下にある床屋のおじいさんが出てきて何を探しているのかと訊いてきました。かなりの年配なようで、水車小屋があった当時のことを細かに話してくれました。それによりますと、坂下付近には近くの天神社の湧き水が小川になって西から東に流れる水路があり、左側の写真に見える青い車が停められた車庫の辺りに水車が回っていたのだそうです。それで地元の人がいつとはなしに水車坂と呼ぶようになり、坂名として定着したのだとか。話は面白かったのですが途切れることがなく、なかなかその場を離れられませんでした。



水車坂から少し東寄りのところに中野区立桃花小学校があります。

9.鳥見坂

鳥見坂は桃花小学校の敷地の南側沿いに湾曲しながら上る、長さ約75mほどの緩やかな坂道です。坂下の小学校正門前に残っている石橋の跡は、水車小屋から流れてきた小川に架けられていたものでしょう。



今日は中野区の南側エリアの3坂も巡る予定でしたが、相生二番坂を見付けるのにえらく時間をかけてしまいましたので、鳥見坂で今日の坂巡りを終えることにします。



中野駅から帰宅する前に、中野ブロードウエイに立ち寄って勝田商店でお魚の顔を拝んでいきたいと思います。地下にあるお店の前に行きましたら、シャッターが下りていて、いつもなら鈴なりのお客さんで賑わっているのに閉店状態になっています。張り紙を見ますと、少し離れた同じ地下に移転したのだそうです。その場所に行ってみますと、歳末大売り出しのような紅白の垂れ幕がド派手なお店が開業しています。移転前の勝田商店は極狭で、奥に行くのも一苦労でしたが、売り場の配置が”コ”の字形になって前後が通路に面するようになって多少品定めがやりやすくなりました。壁側の通路がもう少し幅広だったら言うことないですけどね。年末の買い出しにまた来ようかな?



ということで、「東京23区の坂道を歩く」の「中野区東中野・中央・本町・中野コース」を歩き終えました。思ったよりも時間がかかってしまいました。残りの3つの坂は目隠ししても行けますので、明日は楽勝でしょう。かな?





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