新宿区(西新宿・四谷・愛住町・船町コース)
踏破記
今日は、西早稲田・若松町・新宿地域に次いで、西新宿・四谷・愛住町・船町地域を巡ります。先日のゴール地点である新宿三丁目駅からスタートします。
新宿三丁目駅から新宿通りを新宿駅方向に進み、新宿大ガードを越えて青梅街道に入ります。東京医科大学病院付近から、緩やかな傾斜の下り坂が始まります。
- 42.成子坂
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成子坂は青梅街道の東京医大病院前付近から成子坂下交差点付近まで延びる直線の長い坂で、長さは約400mほどあります。成子神社の前を通る坂ということで、成子坂という坂名になったといわれています。
朱の鳥居が目にも鮮やかな成子天神社は成子坂のちょうど中間地点に鎮座しています。成子天神社は延喜年間(900年頃)の創建といわれ、寛文元年(1661年)に現在地へ移り、成子町の鎮守となりました。境内には七個の力石(新宿区の指定文化財)があり、秋の大祭には村の若者たちが力比べをしました。また、富士塚(成子富士)は新宿区内で最大のものです。成子天神下交差点の脇に東京都が設置したブロンズ製(鉄製?)の案内板が建っています。
案内板にある「石地蔵」は現存しているのでしょうか?
成子坂
豊多摩郡誌によれば、「成子坂は、成子神社前の緩斜路をいう。石地蔵は其南側にあり、年月を刻せず、古きものとも見えざるが、香火常に絶えず稚児を喪いしもの供養する所なるにや、傍に庚申塔数基あり、延宝八年(1680年)、同五年(1677年)の文字を読む、毎月十一日、二十二日はこの石地蔵の縁日、また毎月二十五日は成子神社の縁日として夜店多く並び・・・」とあり、成子坂一円は非常に賑ったところだったことがわかる。
成子坂は成子坂下交差点までとなります。その先には神田川に架かる淀橋があり、そこから中野坂が上がっています。つまり、神田川を谷底として東西が緩やかな高台になっていたことが窺えます。
成子天神下交差点と成子坂下交差点の間から北東方向に道路が延びています。その先は税務署通りを越えて、更に北上して緩やかにカーブした坂になっています。
- 43.蜀江坂
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蜀江坂は、創価学会新宿池田文化会館の西側に沿ってS字状に曲がりながら北に向かう坂で、長さは約140mほどあります。かつて此の地が蜀江山と称されていたことが坂名の由来になっています。坂下と坂上に案内柱が立っています。蜀江錦とは、三国志の英雄である劉備が治めた中国の蜀の国(四川省)で製作された錦のことです。蜀の成都の東南角は古代から錦の産地として有名で、その地方を流れる川を錦江といいました。その川の水が染色に適し、鮮明な色彩を染め出したことから、蜀江錦の名前になったといわれています。
蜀江坂
かつてこの辺りが蜀江山と称されていたためこう呼ばれる。蜀江山の由来は、天慶の乱の時平将門(あるいは弟の将頼)が蜀江錦の衣の袖を落としたから、あるいは江戸時代に三代将軍家光が鷹狩りでこの地を訪れた時、紅葉の美しさを蜀江の錦のようだと称賛したからだという。
蜀江坂上から路地を抜けて大久保通りに出ます。大久保駅北口改札向かいのガード下の壁には巨大な百人組鉄砲組の壁画が描かれています。駅近くにある日本電子専門学校の有志一同により、数年ごとに描かれているのだそうです。この壁画の製作には、日本電子専門学校CG科を卒業し、ゲームクリエイターを経て漫画家になった井上淳哉氏も参加していましたが、その時に描いた壁画は1998年頃に今の壁画が描かれた際に塗り潰されてしまったとのことです。
大久保駅の北側の道路を抜けて、西武新宿駅の横で靖国通りに出ます。靖国通りを東方向に進んで、先日訪れた安保坂のある富久町西交差点に到着します。外苑西通りに入りますと、交差点の左脇のお寺の間に坂が下っています。
- 44.茗荷坂
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茗荷坂は靖国通りの富久町西交差点から外苑西通りを南に入って直ぐのところに並んで位置する東長寺と源慶寺の間の下り坂です。長さは約100mほどで、途中で僅かに右にカーブしながら下っています。かつて、市谷村の茗荷畑があったことが坂名の由来になっています。坂下に案内柱が立っています。案内柱は電柱にくっつくように立っていて、おまけに解説文が電柱側の面に書いてあるので、全体の写真を撮るのが大変でした。
茗荷坂
この辺りは、市谷の饅頭谷から西南に続く谷で茗荷谷と呼ばれ、茗荷畑があったという(「江府名勝志」)。坂名はそれらにちなんだのであろう。
茗荷坂上は外苑西通りに面していますが、靖国通りの富久町西交差点から外苑西通りの大木戸坂下交差点付近まで下り坂になっています。
- 45.大木戸坂
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大木戸坂は長さ約140mほどで、幅の広い直線の下り坂になっています。案内柱は立っていませんが、坂下の交差点の名称が「大木戸坂下」と表示されています。大木戸坂から外苑西通りを南に進んだ先に四谷四丁目交差点がありますが、ここにはかつて甲州街道方面から江戸に入る際の検問所である「四谷大木戸」があり、坂名の由来となりました。
靖国通りの住吉町交差点と富久町交差点のほぼ中間付近を南東に大きくカーブしながら上り、更にその先で方向を変えて南に上る急坂があります。
- 46.暗坂(暗闇坂)
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暗坂は別名を「くらがり坂」と呼ばれ、長さは約120mほどあります。江戸時代には、坂の左右に樹木が繁って暗かったためにこの坂名が付けられました。暗坂の入口の手前にある急階段の階上に案内柱が立っています。
暗坂(くらやみざか)
樹木が茂って暗かったためこの名がついた。別名くらがり坂ともいう。「御府内沿革図書」に暗坂、「江府名勝志」にくらがり坂と記されている。
都営地下鉄新宿線の曙橋駅の手前から、荒木町と舟町の境界を通って外苑東通りに抜ける細い上り坂があります。
- 47.新坂(荒木町)
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新坂は長さ約160mほどで、全勝寺の敷地を削って新しく造った坂ということが坂名の由来になっています。
新坂
全勝寺から靖国通り手前まで下る坂道で、明治三十年代後半の道路新装によりできた坂道である。江戸時代には、甲州街道から全勝寺まで杉の木が連なる「杉大門」通りが延び、新坂ができて靖国通りまで通じることになった。「今は杉樹は伐採し、其の路は新道に通じて、直ちに市谷に達せり」という光景であった(「新撰東京名所図会」)。
今日は曙橋駅をゴールにしようかと思っていたのですが、新坂を抜けて外苑東通りに出てしまいましたので、今日のゴール地点は四谷三丁目駅とします。四谷三丁目駅の出入口は幾つかあり、外苑東通りから来ると出入口2が近いのですが、この後に用事があったので新宿通りの反対側にある交差点角の出入口1に向かいます。駅の階段を下りようとしたら誰かに腕を捉まえられました。誰だろうと振り向いたら、ナント高校時代の同級生でした!正に偶然も偶然!確率的には千兆分の一位といっていいでしょう。元々乗る予定のなかった丸ノ内線、たまたま使った四谷三丁目駅・それも出入口1、人通りでごった返す交差点の角、四谷はたまたま用事で通りかかった同級生、ちょっと道草したら遭遇しなかったであろう時刻、まさに奇跡でした。言葉を交わしただけで別れましたが、こんな大都会の東京でこんな偶然もあるんですね!
ということで、新宿区で三番目の「西新宿・四谷・愛住町・船町コース」を巡り終えました。飛び地の成子坂・蜀江坂をどう巡るのかは巡回セールスマンにとって難しい問題です。
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