品川区(旗の台・戸越・大崎コース)
踏破記
今日は昨日の「目黒・西五反田・西小山コース」に引き続き、品川区の西側地域の坂を巡ります。
西小山駅からスタートします。
昨日も通った江戸見坂を上り、坂上に出ます。改めて坂上から見ますと、建物の先に高層ビルが見えます。江戸時代には江戸城の天守閣も見えたことでしょう。
- 6.八幡坂
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八幡坂は長さが約180mほどのやや急坂で、坂上で江戸見坂の坂上に重なっています。坂名の由来は、八幡坂の直ぐ南側に鎮座する小山八幡神社に因んでいるといわれています。
小山八幡神社は旧荏原郡小山村の鎮守で、長元三年(1030年)頃に源頼信が此の地に誉田別尊を氏神として奉ったのが始まりであるといわれています。後に妙見菩薩も誉田別尊と並んで祀られましたので、妙見八幡とも、此の地の旧名から池の谷八幡とも呼ばれていました。妙見菩薩は明治時代の神仏分離令により、隣接した摩耶寺に移されました。境内は小高い丘の上に位置しているため、「小山」と呼ばれ、それが現在の「小山」の地名の由来になっています。現在では、境内からの眺めが品川百景に選ばれています。
小山八幡神社は大黒天を祀っていて、荏原七福神の一社となっています。
境内の椎の木は品川区指定文化財になっています。椎の巨木はもう一本あるみたいですね。
品川区指定天然記念物
小山八幡神社のシイ(2)
本樹は境内の西北隅にあり、当社ではシイ(1)に次ぐ大木である。目通り(目の高さ)幹囲り2.9メートル、樹高16メートル、推定樹齢約百五十年である。樹勢は旺盛で樹姿も整っており、貴重な樹木である。シイはわが国中部以南の暖地に生じ、よく繁茂する常緑高木であり、庭木として広く生育している。都心や本区でも大木が多く見られたが、今は少ない。
旗の台は昭和大学の本拠地です。昭和大学は昭和三年(1928年)に昭和医学専門学校として創立されました。医学部・歯学部・薬学部・保健医療学部の他、それぞれの学部に大学院が設置されています。旗の台キャンパスには大学本部と医・歯・薬の2年次以降の学生が在籍しています(歯学部と保健医療学部は年次によって洗足と横浜のキャンパスも使用しています)。特色ある制度といえば、各学部の1年次の学生は山梨県の富士吉田キャンパスに在籍し、4人部屋での全寮制となっている点です。これならみっちりと勉学に励めそうですね。そんな昭和大学と附属病院の間を東西に坂道が下っています。
- 7.鏑木坂
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鏑木坂は長さが約210mほどの少し傾斜のある坂で、坂名は昔立会川の付近から坂上にかけて天領名主鏑木家の屋敷があったことに因んでいます。
中原街道の旗の台交差点付近から西南西に向かって長い坂が上がっています。
- 8.皀莢坂
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皀莢坂は長さが約400mほどの緩やかな坂で、左に弧を描きながら上っています。皀莢はマメ科の落葉高木で、「さいかち」と読みます。皀莢は日本の固有種で、本州・四国・九州の山野や川原に自生します。皀莢の幹には大型の棘があり、果実の莢(さや)にはサポニンが含まれて石鹸の代りに使われました。棘と種子は腫れ物の解毒薬となり、中国では皀角子と呼んで去痰などに用いられました。坂名の由来は、坂の右手に皀莢原があったからとも、両側に皀莢の木があったからともいわれています。坂下の旗の台交差点の脇に東京都が設置した半楕円形の金属製の案内板が建っています。殆ど読み取れませんが。。。
皀莢坂
坂名の由来は、坂の右手に「さいかち原」があったからとも、両側にさいかちの木があったからともいわれる。さいかちは豆科の落葉高木で、以前はこのあたりの山野に自生していたものである。清水山あたりには昭和三十年代まで巨木が残っていた。中延(このあたりは江戸時代は中延村といった)の古い麦打唄に「お前さんとならばどこまでも、さいかち原の中までも、親を捨てこの世がやみになるとも」というのがある。
旗の台商店街を進みます。街角に商店会の歴史を記した案内板が置かれています。
旗の台五丁目商店会
旗の台の地名は、平安時代に源頼信が平忠常追討(平忠常の乱)の際に、下総国(現在の千葉県)に行く途中、この地で源氏の白旗を掲げて祠に戦勝祈願したという故事に由来します。昭和二十六年に「東洗足駅」と「旗ヶ岡駅」が合併して、「旗の台駅」が誕生しました。旗の台駅周辺の発展と伴に、商店街が形成され、現在の旗の台五丁目商店会が結成されました。
商店街から一歩入った路地の左手に、荏原第五中学校に向かって坂が上がっています。
- 9.カナリア坂
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カナリア坂は長さが約90mほどの急な上り坂です。この坂には、昭和三十年頃に荏原五中の校長と坂の途中にあった鳥獣店の主人が相談して「カナリヤ坂」という名前を付けました。荏原五中の生徒や旗台小学校の子供達にもこの名称が広まり、坂名に「カナリヤ坂」の名称が定着しました。坂上の旗の台南公園の前に品川区が設置した標識があります。
区政40周年・区民憲章制定5周年記念
しながわ百景
One Hundred Scenic Spots in Shinagawa
カナリヤ坂
Kanariya−zaka Hill
次の坂は旗の台からかなり離れた戸越銀座にあります。三間通りから第二京浜(国道1号)に出てひたすら北上します。戸越銀座交差点を右折して商店街に入ります。戸越銀座商店街は、北区の十条銀座商店街・江東区の砂町銀座商店街と共に、東京の三大商店街のひとつとして有名です。商店街の切れ目から南に向かう道路は全て上り坂になっています。北に向かう道路も同様に上り坂になっていて、戸越銀座商店街はちょうど谷底に位置するような感じです。
- 10.清水坂
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清水坂は戸越銀座商店街を100mほど進んだ先から南に上る坂で、長さが約100mほどのやや急な坂です。「戸越」の地名はこの辺りが江戸越えの村だったことに由来していて、「江戸越えて 清水の上の 成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし」という古歌が残っています。この歌の「清水」から「清水坂」という坂名が付けられたといわれています。
戸越銀座商店街の中央部から南に向かって、行慶寺や八幡神社の西側を通るやや傾斜のある坂が上がっています。
- 11.宮前坂
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宮前坂は長さが約75mほどのやや急な坂です。付近に行慶寺や戸越八幡神社があるために宮前通りと呼ばれ、坂名もそれに因んでいるといわれています。坂の中ほどに案内板が立っています。
宮前坂
この通りは、付近にある行慶寺や戸越八幡神社に向かう道で、宮前通りと呼ばれている。坂の名称も、そこからつけられたものである。
Miyamaezaka-Slope
This street is called "Miyamae-dori" (temple and shrine street), which leads to the Gyokei-ji Temple and the Togoshi-hachiman Shrine. The slope is named after the street.
戸越銀座商店街から南に向かって、戸越八幡神社の東側を通るやや傾斜のある坂が上がっています。
- 12.八幡坂
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八幡坂は長さが約120mほどのやや急な坂です。坂上に戸越八幡神社があり、坂名はそれに因んでいます。坂上に案内板が立っています。
八幡坂
この坂は、戸越銀座通りから戸越八幡神社脇を抜ける坂である。そのために八幡神社にち
なんでこの名称がつけられたものである。
Hachiman Slope
The slope leads to the Hachiman Shrine from the Togoshi-ginza dori street. The name of the slope is named after the shrine.
戸越八幡神社は旧戸越村の鎮守で、大永六年(1526年)に行永法師という諸国を行脚していた僧が村内の藪清水池水源地に誉田別命(応神天皇・八幡神)の神体が出現したのを見つけて草庵を作り、そこに京都の石清水八幡宮から分霊を勧請して共に祀ったのが始まりといわれています。人々が祈願するとたちまちに願いが叶うといわれ、成就庵と呼ばれました。文禄元年(1593年)に別当寺だった行慶寺の念誉によって成就庵のところに八幡神社を建立し、ご神体を阿弥陀如来と共に祀ったといわれています。元禄元年に現在地に移転しました。
戸越総鎮守 戸越八幡神社 御由緒
由緒沿革
当社は、後柏原天皇の御世、大永六年(1526年)八月十五日、村内藪清水の池中より出現した御神像を、行永法師が草庵に奉安して、山城国(京都府)石清水男山八幡宮の御分霊を勧請して倶に祀ったのが創立の起源と伝えられている。又、古歌に
「江戸越えて 清水の上の成就庵
ねがひの糸のとけぬ日はなし」
とあり、これが戸越の地名のはじまりとも伝えられている。
【八幡宮出現由来記】(寛永年間刊行の木版本)によれば、この「成就庵は、昔、俗称一本杉の字名のある藪清水の池を控えた庵であった。大永年間に行永法師が諸国行脚をした時にこの庵に立ち寄り、折からの十五夜の月を眺め、時を移しうたた寝した時、夢の中で輝く光が藪清水の池から放たれているのを見たことから、池の中を探し、誉田別命(応神天皇・八幡大神)の御神体の出現を見たので、慎み戴いて草庵に安置奉った。すると近隣の人々はもとより、往来の諸人も諸祈願を乞い願う者が多くなり、『一つとして成就せずと云うことなし』と云われる程になったことから、この草庵を清水の上の成就庵という。」と記されている。元禄元年十二月十五日に、宮居を村内の高台にあたる現在の地に遷し、末社に、春日社、稲荷社を建立した。以来、氏子地域(旧戸越村)現在の小山台二丁目町会・小山台一丁目東町会・小山台一丁目町会・小山一丁目町会・小山二丁目東部町会 ・小山二丁目西部町会・親友会・荏原一丁目町会・荏原二丁目町会・中原共和町会・平塚三丁目町会・平塚二丁目町会・平塚一丁目町会・平塚一丁目南部町会・戸越銀座町会・戸越三丁目町会・戸越四丁目町会・戸越二丁目町会・戸越一丁目町会・豊町一丁目町会・豊町二丁目町会・西品川の一部(地名変更前の戸越村の若番地順に掲載)の産土神として、居住された幾代もの人々の守り神として、また、我国文教の祖・殖産の守護神として遍く崇められている。そして厄除け開運の御神慮と供に「こころの故郷」としても親しまれている。境内の樹木は品川区の保存樹林に指定され、特にケンポナシの木は指定天然記念物とされている。
現社殿は欅造入母屋造銅版葺屋根で安政二年(1855年)に創建され、震災、戦災にも免れ、都内でも古い木造の建物である。又、社宝の奉納絵馬二十四面と石造狛犬は品川区認定文化財に指定されている。御本社宮神輿は平成の御大典記念として、氏子諸氏の奉賛により新調され、御神幸祭には【敬神崇祖】の精神にて御祭神並びに我々祖先の御霊を奉安して氏子内を渡御いたします。
境内には、「戸越の地名の起り」と題した石版が置かれています。
ケンポナシの木は境内の奥に聳えています。
品川区指定天然記念物
戸越八幡神社のケンポナシ
ケンポナシはクロウメモドキ科に属する落葉の高木で、夏に淡い黄色の小さい花をたくさんつける。実は球形で、九月から十月に紫黒色に熟し、甘味があって食べられる。本樹の幹の囲りは約2.5メートル、高さは18メートルあり、推定の樹齢は二百五十年から三百年である。もと、幹は二本立であったが、右側が枯れてなくなり、現在は一本立である。近年、ケンポナシは都区内ではほとんど見られなくなった木で、本樹の存在は貴重である。
社殿は170年近く前に建てられたとのことですが、素晴らしい造りですね。
奉納絵馬については案内板が立っています。
品川区指定有形文化財
戸越八幡神社奉納給馬
絵馬は、人々の願いや感謝のしるしとして寺や神社に奉納されるものであるが、民間信仰の広がりや人々の知恵を知る上で貴重な資料でもある。当神社には、社殿内の長押に多くの絵馬が懸け並べられている。年代のはっきりしているものが二十一面あり、最も古いのは安政四年(1857年)、最も新しいのは大正五年(1916年)のものである。奉納者のほとんどは戸越村の村民で、描かれた図柄は当神社の祭神である神功皇后を題材とするものが多い。最も大きなものは安政五年(1858年)の「社殿上棟図」で、社殿の建築年代を明確にするものとして資料価値が高い。当神社の絵馬は、大型・中型のものが数多く、しかも良好な状態で残っている例は少なく、大変貴重である。
また、石造狛犬についても案内板が立っています。
品川区指定有形文化財
戸越八幡神社 石造狛犬
この狛犬は、延享三年(1746年)に、戸越村の村民がお金を出し合って当社に奉納したもので、区内では最も古いものである。この頃、各村落には庚申講が結成されていたらしく、本村や平塚の庚申講が中心となって狛犬の造立が進められたことが銘文によってわかる。また、左右の台石の各三面に刻まれた二百七名の人名によって、当時の戸越村を構成していた村民のほとんどの氏名が把握でき、大変貴重なものである。
戸越銀座通りから戸越小学校に向かって坂が上っています。
- 13.三井坂
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三井坂は長さが約100mほどのやや急な坂です。この辺り一帯(約3万坪)は明治時代に三井家の所有となり、能楽堂を備えた三井別邸や三井文庫、更に三井(戸越)農園などが設けられました。坂の上一帯は“三井山”と呼ばれ、その入口になる坂に「三井坂」という坂名が付けられたといわれています。坂上の民家の塀に、「三井坂」と彫られた小さな石標が埋め込まれています。
戸越銀座商店街の東端付近から南に坂が上がっています。坂の入口には、赤と白に塗られたアーチが建てられています。
- 14.平和坂
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平和坂は長さが約90mほどのやや急な坂です。平和坂は大正時代に改修され、当時上野で開催されていた平和博覧会の名をとって坂名が付けられたとのことです。アーチの脇に案内柱が立っています。個人名が記されていますが、どういう経緯でこの案内柱が建てられたのでしょうか?
平和坂
大正時代、この地は東京府荏原郡品川町大字北品川の三ツ木耕地と言う地名であった。当時はこの坂から上の道は有隣社通りと言われていた。戦後二十三年有志総意で平和坂通り商店会を結成し、この時平和坂と名称された。
大崎駅の西側には、かって明電舎やソニーの工場がありました。その街並みは再開発によってすっかり様変わりし、現在では巨大オフィスビルやホテル、そして高層マンションが林立しています。
オフィスビルの1階には、つけ麺の名店として知られる六厘舎のお店があります。六厘舎は大崎の住宅街の中で創業しましたが、お店の前の道路に長蛇の行列が絶えない超絶人気によって近隣住宅からクレームが出て閉店した経緯があります。場所は変わりましたが、再び大崎の地に戻ってきたということです。今日は行列をしなくても食べれそうです。
JR山手線が大崎駅の南西で横須賀線・東海道新幹線と交差する手前の交差点から西に向かう道路は、通称「百反通り」と呼ばれています。交差点から長い緩やかな坂が上っています。
- 15.百反坂
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百反坂は長さが約360mほどの坂で、途中で僅かに左右に曲がっています。昔、この坂は段々状になっていたために「百段坂」と呼ばれていましたが、その後路面が平坦になり、坂名が「百反坂」になって残ったといわれています。坂下の交差点脇に案内柱が立っています。
百反坂
この、現在「ひゃくたんざか」と呼ばれている坂は、古くは「ひゃくだんさか」と呼ばれていた。このあたりは、目黒川に向かって傾斜している台地の端にあたり、その傾斜が段々になっていることから名づけられたという。「百」とは、「数が多いこと」を意味することばで、「段々が多いこと」から「百段」になり、のちに「百反」に転化したものと考えられている。
Hyakutanzaka-Slope
This slope which is called "Hyakutan zaka" nowdays, used to be called "Hyaku
(hundred) dan (step) saka (slope)". It is said that it was named this way because this area is located on the edge of the plateau that inclines gradually towards the Meguro river. The word "hyaku (hundred)” has the meaning of "many" and since there were "many steps" it started to be called "Hyakudan" and then changed into "Hyakutan".
ゴール地点の大崎駅に着きました。
ということで、品川区で二番目の「旗の台・戸越・大崎コース」を歩き終えました。戸越銀座商店街のカルディのお店がちょうど開店13周年記念セールを開催していて、コーヒーがお得に買えたのはラッキーでした。お散歩すれば幸運が舞い込むということです。
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