品川区(東五反田・南品川・東大井コース)


踏破記


今日は先日の「旗の台・戸越・大崎コース」に引き続き、品川区の南側地域の坂を巡ります。

大崎駅からスタートします。



大崎駅西口から山手通りに出て、五反田方向に進みます。大崎警察署前交差点から南南西に上がる坂があります。



16.峰原坂

峰原坂は長さが約310mほどの坂で、立正大学の南側に沿って上がるやや急な坂です。坂名は、江戸時代以前にこの辺りの地名だった「峰原」に因んでいます。「峰」と「原」という文字から、当時は山深い土地だったのでしょう。坂下と坂上に案内板が立っています。

峰原坂

峰原という地名は、江戸時代の谷山村(飛地)内の字名であった。現在の大崎三・四丁目付近にあたり、坂名はこの地名からとったものである。なお谷山村の本村は西五反田二・三丁目の目黒川沿にあった。

Mineharazaka-Slope

The name of a place, Minehara, was a section name in Yayama Village (a separate place) in Edo period. It was around Osaki 3-4 chome and the name of a slope came from. A main village of Yayama was located around Nishi-gotanda 2-3 chome alongside the Meguro Gawa River.




JR五反田駅東口広場の先から高輪台交差点の手前まで、桜田通り(国道1号線)が北東に向かって長い上り坂になっています。



17.相生坂

相生坂は長さが約500mほどの緩やかな坂で、別名を「雉子の宮坂」といいます。坂名は、桜田通り(旧中原街道・鎌倉街道)と御殿山方面から来る道(現在は桜田通りの下で立体交差しています)とがY字型に合流していたことに因んでいます。坂下の花房山通り入口脇に案内板が立っています。

相生坂

相生坂の名称は、古く江戸時代から呼ばれていた。その由来は御殿山方面から宝塔寺(東五反田一丁目)前を通る道と、この坂のある中原街道が、雉子神社(東五反田一丁目)の手前で合流していたことにもとづくとされる。昔は急坂で険しいものであったが、だんだんと道路整備がされて現在のようになった。別名を雉子ノ宮坂ともいう。

Aioi-Slope

This slope has been known as "Aioi-Zaka" from the Edo Period. It was once a steep slope, but today it is a gentle slope after gradual re-constructions.




坂名の別称の由来となった雉子神社は坂上近くの東側に鎮座しています。雉子神社は「雉子ノ宮」の名で親しまれている古い神社(文明年間【1469年〜1487年】の創建と伝えられています)で、江戸時代までは「大鳥大明神」と呼ばれていました。三代将軍徳川家光が鷹狩りをしていたとき、一羽の白いキジがこの神社に逃げ込んで見えなくなったことから、家光が神社の名を「雉子ノ宮」と呼ぶよう命じたと伝えられています。



次の坂は大正坂(階段)ですが、ネットの情報では「清泉女子大の北側にあり、寿昌寺と本立寺の間を抜ける狭い路地の途中の階段」と案内されています。地図にも載っていませんので、とりあえず清泉女子大を目指します。幾つか急な階段は見つかるのですが、ネットの写真とは形状が異なります。なので、目印の寿昌寺に向かいます。寿昌寺の左横に短い階段があります。これかなと思ったのですが、あるはずの坂名を記した石柱が見つかりません。ダメもとで階段を上がって細い路地を進みます。



「路地の途中の階段」はいくら探しても見つかりません。本立寺にも立寄ってみましたが、大正坂の手がかりはありませんでした。そんなこんなで清泉女子大の北側一帯をグルグル回って今日は諦めようかと思ったところで、もう一度寿昌寺の左横の路地に入ってみます。すると、マンション建設中の敷地の手前に細い坂が上がっています。階段ではありませんが行ってみます。すると、坂上の右手に階段があります。つまり坂上まで行かないとその階段は目に触れることがないのです。1時間半も徘徊してようやっと大正坂を見付けることができました。この辺りは坂が多く、歩き回ってもうヘトヘトです。
18.大正坂

大正坂は長さが約6mほどの急で短い階段(17段)です。坂名の由来は不明ですが、坂上に個人が建てたと思われる古い石柱が置かれています。



石柱には、「昭和四十八年十一月二十三日」と記されています。勤労感謝の日ですね。階段上から続く路地は行き止まりになっているようです。私有地に建てた私設の石柱なのかな?



大正坂を探すのに今日一日分のエネルギーを使い果たしたのでお散歩を止めて帰ろうかと思ったのですが、時間が早いので疲れた足にムチ打って次の坂に向かいます。かっては道路沿いにソニーの建物が並んでいた八ツ山通リですが、現在は跡地が再開発されてバブリーな巨大ビルが建っています。



巨大ビルの一階には、ミシュランガイドに毎年掲載されるフレンチの三つ星レストラン「Quintessence」があります。店名はフランス語で「真髄(神髄)」という意味なのだそうです(英語でも同じ綴りです)。お店・料理・サービスの全てにおいて真髄を極めるという意味なのでしょうか?ちなみに、メニューは「おまかせの1コース」のみになっています。一度は行ってみたいけど、一見さんには敷居が高いかな?



19.八ツ山の坂

八ツ山の坂は長さが約480mほどの緩やかな上り坂です。江戸時代に品川宿の外れの芝高輪との境に位置する丘は「八ツ山」と呼ばれていました。此の地に八つの岬があったので「八ツ山」と名づけたという説、八人の諸侯の屋敷があったので「八ツ山」と名づけたという説、此の地がかつての谷山(やつやま)村の一部だったことから谷山が「八ツ山」に転化したという説などがありますがどれも定説にはなっていません。八ツ山は江戸時代に道路整備や目黒川の洪水復旧、護岸整備のために切り崩され平地となりました。坂の中ほどに品川区が設置した案内板が立っています。

八ツ山の坂

このあたりは、武蔵野台地の突端にあたる丘陵で、湾岸に突き出た洲が八つあったところから八ツ山と呼ばれた。この地にある坂のために、いつしか八ツ山の坂という名がつけられた。この道は、もと三間道路と呼ばれ、道幅は三間(約六メートル)で、あたりには人家も少なく、夜はさびしい通りであったという。

Yatsuyama-Slope

This slope is known as "Yatsuyama-no-Saka". "Yatsuyama" means the eight mountains, because the slope lies between the hill and eight sandbanks sticking to the ocean.




御殿山交番前を右折します。交差点脇に案内板が立っています。

御成道

江戸時代前期の三代将軍徳川家光の時代に将軍家の別邸「品川御殿」(元禄十五年【1702年】焼失)が建てられ、重臣との会議や茶会、鷹狩りの休息などに使用された。この通りは将軍がお成りになる道筋とも想定され、昭和十八年(1943年)作成の地図に、御成道との表示がある。宅地造成の際に名付けられたのではないかと想定される。




道路の突き当たりにミャンマー大使館があります。随分と立派な建物です。



大使館のはす向かいには翡翠原石館があります。翡翠は深緑の半透明な鉱物で、東洋や中南米では古くから宝石のひとつとして珍重され、古代には玉(ぎょく)と呼ばていました。日本では新潟県糸魚川市地域が産地として知られています。翡翠原石館は2002年に開館した個人所有の展示館です。中に入ったことはありませんが、館内は翡翠の原石と加工された品々で埋め尽くされているそうです。



翡翠原石館で左手に折れた先に急坂が下っています。



20.御殿山の坂

御殿山の坂は山手通りの目黒川に架かる居木橋(いるきばし)の先から御殿山に上がる長さが約150mほどの狭く急な坂です。途中で大きく”く”の字に曲がっています。江戸時代にこの辺りは徳川将軍の御料地であり、御殿山と呼ばれていたことに因んで坂名が付きました。坂下のKOBELCO(神戸製鋼)本社前に、居木橋と御殿山について解説した案内板が立っています。

居木橋

現在の環状6号線は、室町時代以前のころから品川から多摩方面に抜ける主要な街道であったそうです。品川宿から丁度1kmのこのあたりで目黒川を渡りますが、この川辺に風が吹くとゆらゆらと揺れる一本の松の木があったそうです。多摩方面から来た旅人はこの松の木が見えるともう品川宿も近いと思ったことでしょう。そしていつしかこの松の木を人々は「ゆるぎの松」と呼んだそうです。この「ゆるぎの松」が時の流れとともに変化し、しだいに「いるぎ(居木)の松」と呼ばれ、ここにかかる居木橋の名前の由来となったと言われています。当時の旅人に親しまれた「居木の松」も安政年間に暴風雨で倒失したとのことで、場所は定かではありませんが現在の森永橋の付近にあったと伝えられています。

御殿山

御殿山は、長禄年間に太田道灌の館があったと伝えられています。また、江戸初期に将軍の狩猟の休憩所や諸大名の参勤送迎のために御殿が建てられたところからこの名が付けられたと言われています。また、将軍家光・小堀遠州・沢庵和尚が茶の湯に興じた風雅の地でもあり、寛文期頃から吉野桜が植えられ、江戸百景の一つに数えられるほどの花見の名所となり、享保六年には狼藉を禁ずる制札が立てられるほど花見客で賑わったそうですが、嘉永六年の品川砲台(台場)構築と明治期の東海道本線敷設により一部が掘崩され昔の面影は失われました。江戸末期には英国公使館が建てられ、文久二年、高杉晋作らの長州藩士攘夷派による焼討ち事件の舞台ともなりました。明治期には西郷従道、その後戦前までは益田孝らの政財界人の邸宅もありました。また、縄文時代前期の貝塚として知られる「御殿山貝塚」では、最近の調査で御殿山台地緑辺より弥生時代後期と古墳時代前期の住居跡が発掘されています。




坂上に案内板が立っています。

御殿山の坂

このあたりは、江戸時代に将軍が鷹狩の折りに休んだ品川御殿があった場所で、御殿山と呼ばれている。坂の名称もそこからつけられたものである。もとは急な坂であったが、何回かの修理でゆるやかになった。

Gotenyama-no Slope

This area is called "Goten-yama" (Palace mountain). There was once the Shinagawa Palace where the shogun (the General) took a rest on the time of the falconry the Edo Period.




御殿山から山手通りを経由して第一京浜(国道15号)に出ます。南品川四丁目交差点から南西方向に大井町駅に向かってゼームス坂通りが延びています。



21.ゼームス坂

ゼームス坂は長さが約410mほどの緩やかな坂です。ゼームス坂はかつては非常に急な坂でしたが、明治時代に坂下付近に住んでいた英国人J・M・ゼームスが私財を投じて緩やかな坂に改修しました。それ以来この坂は「ゼームス坂」と呼ばれるようになりました。ゼームスは幕末にジャーデン・マディソン商会の長崎支社の社員として来日し、明治五年(1872年)に海軍省に入って測量調査や航海術の指導を行ないました。坂下と坂上に案内板が立っています。坂下の英語の案内板には「a British」と書かれ、坂上の案内板には「an British」と書かれています。文法上は「a」が正しそうですが。

ゼームス坂

もとは浅間坂と呼ばれ、かなり急な坂でした。片側は切り落としになっていて、崖の向こうには品川の海が間近に迫って見えたそうです。明治時代、この坂の途中に英国人のJ・M・ゼームスが住んでいたことから、ゼームス坂と呼ばれるようになりました。

Zemusu(James)zaka-Slope

This slope used to be a steep slope called "Sengen zaka-Slope". The one side of the slope was cut off, so the sea could be seen close at hand from the cliff. Later from Meiji Period, the slope was known as "Zemusu(James)zaka-Slope", because a British, Mr. J.M.James lived in the way to the slope.




都立品川特別支援学校の向かいから細い路地が南方向に延びています。路地の先はクランク状に曲がった坂が下っています。



22.ゆうれい坂

ゆうれい坂は長さが約80mほどのやや急な坂です。今は拡張されていますが、かっては道幅が狭く、道の両側に大きな樹木が繁っていたためにうす暗く寂しい場所だったようです。このため、「ゆうれい坂」の名称が付いたといわれています。現在は路地の両側にマンションや住宅が建ち並び、坂の印象を変えるためか「ニコニコ坂」という別名が付けられているそうです。



ゼームス坂と並行するように、第一京浜の青物横丁で分岐して大井町方向に向かう上り坂があります。



23.仙台坂

仙台坂は長さが約330mほどの緩やかな坂です。坂名は、坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことや坂上に仙台味噌の工場があったことに因んでいます。坂上に案内板が立っています。

仙台坂

仙台藩主伊達家の下屋敷や、仙台味噌の醸造所があったことから、仙台坂と呼ばれている。もとは、この坂の南方、海晏寺と泊船寺との間にある坂の名であったが、のちにこの坂の方が道幅が広がり、交通量が多くなったため、坂名が移転したものといわれている。

Sendaizaka-Slope

This slope is called Sendaizaka because there were a suburban residence of the daimyo of Sendai feudal Lord Date and the brewery of Sendai miso. Formerly, another slope was called Sendaizaka where was between Hakusenji (temple) and Kaianji (temple) located in the south of this slope. Since this slope was widen and traffic increased the slope was named Sendaizaka.




仙台坂の坂上で合流するもうひとつの坂があります。こちらが元々の仙台坂のようです。坂の途中から約100メートルほどの区間の車道部分がトンネルになっています。



24.旧仙台坂

旧仙台坂は長さが約150mほどのやや急な坂で、別名を「くらやみ坂」といいます。第一京浜から大井町駅方面に向かう3つの坂(西から、ゼームス坂・仙台坂・旧仙台坂)のひとつです。元々は「仙台坂」と呼ばれていましたが、現在の仙台坂が出来てから「旧仙台坂」という坂名になりました。こういう例は他にもありますね。坂上と坂下に案内板が立っています。

旧仙台坂

江戸時代(1603年〜1867年)に、この坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことから、東大井四丁目と南品川五丁目の間のこの坂は仙台坂と呼ばれていました。しかし、現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために、その坂の方を一般的には仙台坂と呼ぶようになり、こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。

Kyu-Sendaizaka-Slope (Kurayamizaka-Slope)

This slope, T(t?)he one between 4-chome, Higashi-Oi and 5-chome, Minami-Shinagawa, used to be called Sendaizaka since there had been a Shimoyashiki (local office or official suburban residence) owned by a Feudal lord of Sendai, Date Mutsunokami, at the slope in the Edo period (1603-1867). Another slope to Aomono-Yokocho, however, took over a name of Sendaizaka due to an increase of the traffic caused by its extension work. This slope, therefore, has come to be called Kyu-Sendaizaka, which literally means former-Sendaizaka.




英文の「ハイフネーション」が気になりますね。



第一京浜の大井消防署前交差点を右折すると、北西方向に坂が上がっています。坂の右手には立会小学校があります。



25.木芽の坂

木芽の坂は長さが約180mほどの坂で、若葉の時期が美しかったのでこの坂名が付けられたとのことです。坂下の植え込みの中に案内柱が立っています。「若葉」って、「the leaf bud breaks into leaf 」と訳すんですね。日本人的直訳の「young leaf」でも、「若葉」とか「若芽」の意味があるらしいですが。

木芽の坂

この「木芽の坂」という名は、若葉の頃が美しかったためにつけられたといわれている。江戸時代には、この坂の北側に越前国(福井県)鯖江藩間部家下屋敷があった。坂の南側は崖になっており、下には泉があったという。

Konomeno-saka Slope

The name of "Konomeno-saka" was named after the beautiful season which the leaf bud breaks into leaf on the tree of the slope. In the northern side of the slope there was the suburban residence of the Lord Manabe, the head of the domain of Sabae, controlled Echizenno-kuni (Fukui prefecture) in the Edo period. In the southern side of the slope was the cliff and the spring was down there.




案内柱には「木芽の坂」と書かれていますが、「木の芽坂」と呼ぶこともあるそうです。手元の地図にも「木の芽坂」と表記されています。



第一京浜の右手に、池見東京医療専門学校のビルに向かって袋小路が延びています。その左手の小路を進みますと、ふたつの階段があり、その上に小さな元芝公園があります。元芝公園の前から南方向に坂が下っています。



26.犬坂

犬坂は長さが約120mほどの坂で、公園手前の上部中央部分は階段になっています。公園出口付近から坂上の間も右側が階段で左側が坂になっています。



犬坂は公園出口付近と坂の中央付近の2ケ所で方向を変えています。その曲がり具合から「へびだんだん」という別名が付いています。坂上の公園出口付近に案内柱が立っています。

犬坂

この坂は、階段が造られるなど舗装整備されているが、曲がりくねった坂道であった。犬坂の由来は不明であるが、俗称の”へびだんだん”はその曲りくねった有り様からこう呼ばれている。

Inuzaka-Slope

This slope used to have many curves. The origin of its name is unknown, but the slope is called "Hebi-dandan" (snake steps) because it is like the way of snake's crawling.




来福寺の南西角から立会川に向かって少し曲がりながら下る坂があります。



27.ヘルマン坂

ヘルマン坂は長さが約300mほどの坂で、来福寺の南西角から左右に曲がりながら立会川に架かる桜橋付近まで下っています。



この道路は通りの名前に「見晴らし通り」の名前が付くほど眺めが良かったようで、戦前にドイツ人のヘルマン・スプリット・ゲルベルト氏がこの坂の途中に居住していました。彼の名前に因んで「ヘルマン坂」という坂名が付けられました。



ゴール地点の立会川駅に着きました。



ということで、品川区で最後の「東五反田・南品川・東大井コース」を歩き終えました。大正坂を見付けるのに苦労しましたが、今まで足を踏み入れたことのない坂道に出会えて面白かったです。それにしても、品川区にはマニアックな坂が多いですね。次はどの区にしましょうかね?





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