港区(六本木・赤坂・虎ノ門コース)
踏破記
今日は先日の赤坂コースに引き続き、六本木・赤坂の残り・虎ノ門地区の坂道を巡ります。赤坂コースの終点となった東京メトロ千代田線の乃木坂駅からスタートします。
六本木交差点にやってきました。六本木通りと外苑東通りが交差し、上空には首都高3号渋谷線が通っています。六本木のシンボルといえば、首都高高架桁下に取付けられた「ROPPONGI ROPPONGI」のロゴですよね。現在のロゴプレートは、昭和六十三年4月頃に「六本木交差点に六本木の印が欲しい」と考えた当時の六本木商店街振興組合会長が六本木で英会話教室やフラワーデザインの教室を営んでいた経営者に相談し、約20種類のアイデアの中から選定し、決定されました。ロゴプレートの設置後、平成元年3月6日に除幕式が行なわれました。しかし、現在進行中の六本木交差点のリニューアル計画により、新しいロゴプレートに置き換えられる予定になっています。新しいロゴは、「ROPPONGI」の各アルファベットの文字を樹木に見立て、全体で「並木道」をイメージした若草色のロゴになるそうです。六本木の成長を表すために縦のラインを意識し、天に向かって立つ樹木をイメージしたものにするほか、末広がりにすることで今後の六本木の発展性を表現するとのことです。
六本木交差点の角にギターを奏でる乙女のブロンズ像が置かれています。昭和二十年、終戦と共に戦争の爪痕は六本木の地にも深く残りました。ようやく訪れた平和ではありましたが、やるべきことは山積みです。終戦と時を同じくして六本木の復興計画は幕を開けました。建物の移転や道路・公園・水道などのインフラ整備、これらの整備にやっと一区切りがついたのは終戦から9年が経った昭和二十九年のことでした。区画整理事業が完了して街としての機能が備わり、その記念碑として建てられたのが「奏でる乙女」の像でした。当時はもちろん首都高速はありませんでした。六本木通りの中央には緑地帯があり、当初「奏でる乙女」の像はその緑地帯に建てられました。昭和三十七年に地下鉄日比谷線の工事が始まったために近隣の三河台公園に移転しました。このとき、不幸にも腕などの一部が壊されてしまう憂き目に遭いましたが、この像を守り抜きたいという想いを強くした関係者の尽力により昭和五十年に再建されました。当初のセメント製からより堅強なブロンズ製に変わって再び六本木交差点へ移転されましたが、1990年代後半に差し掛かると、次は都営地下鉄大江戸線の工事で再び移転を余儀なくされました。平成十二年になってようやく元の場所に還ってきました。
六本木で待ち合わせといえば、喫茶・洋菓子販売のアマンド六本木店でした。現在は建替えられた店舗で営業していますが、どこかピカピカして馴染めません。以前の建物は前回の東京オリンピックが開催された昭和三十九年(1964年)にオープンし、当時の六本木の雰囲気によく溶け込んでいました。外飾がピンク基調なのは、戦後まもなく喫茶と甘味の店として誕生した際に、「復興の中で明るい気持ちになって欲しい」という想いから、当時では斬新な発想の「ピンク」を基調とした店作りにしたからとのことです。今では当たり前となった、おしぼりの提供・店頭にパラソルを置く・彫刻や絵画を飾るなどもアマンドが始めたといわれています。ちなみに、アマンドの店名の由来には「甘人(あまんど)」とか、フランス語の「アマンド(アーモンドの意味)」とか諸説あります。
アマンドの地下には「シシリア」というイタリアンのお店があります(入口は交差点の角にあります)。創業は昭和二十九年で、六本木の飲食店の中でも老舗の部類に入ります。定番のグリーンサラダとフロレンス風サラダに入っているホワイトアスパラガスが絶品だとか。
アマンドと六本木マイアミビルの間に緩やかな坂が下っています。
- 21.芋洗坂
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芋洗坂は長さが約170mほどの僅かに右に曲がりながら緩やかに下る坂で、六本木交差点から六本木中学校付近まで延びています。坂名は、かって坂の付近に芋問屋があったことに由来しています。坂上付近に案内柱が立っています。
芋洗坂
いもあらいざか 正しくは麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以後にできて、こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。
芋洗坂の中ほどから外苑東通りに抜ける坂が上がっています。
- 22.饂飩坂
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饂飩坂は長さが約60mほどの坂で、坂名はかって坂の脇にうどん屋があったことに因みます。坂上と坂下付近に案内柱が立っています。
饂飩坂
うどんざか 天明年間末(1788年)頃まで松屋伊兵衛という、うどん屋があったために、うどん坂と呼ぶようになった。昔の芋洗坂とまちがうことがある。
外苑東通りに面し、六本木の繁華街の中心に位置するロアビル(六本木共同ビル)は、1973年に竣工した地上13階建てで、「ROI」の文字を大きく壁面にあしらった外観が特徴です。1980年代後半の六本木ディスコブームを牽引し、一世を風靡しました。近年は1階に居酒屋・焼肉・焼き鳥・すし・串揚げなど約20店舗の飲食店が「六本木横丁」の名称で入居し、人気となっています。しかし、都が耐震性を満たしていないとの診断結果を公表したことによりビルの取り壊しが決まりましたが、未だ解体時期は示されていません。
ロアビルと外苑東通りを挟んだはす向かいから、雑居ビルの間を坂が下っています。坂の途中にある「金魚」は日本を代表するシアターレストランで、1994年に開業しました。NEO歌舞伎とも呼ばれています。
- 23.閻魔坂
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閻魔坂は長さが約110mほどの坂で、坂下の右手には六本木の喧噪とは無縁の六本木墓苑があります。坂名の由来は、かって六本木墓苑の辺りに崇厳寺というお寺があり、そこにあった閻魔堂に因んでいます。崇厳寺は戦災で焼失し復興されませんでしたので、崇厳寺の跡地は戦後の道路拡張に伴って削られた近隣の浄土宗5ヶ寺の墓地を集約した共同墓苑として現在に至っています。尚、六本木七丁目に崇厳寺というお寺がありますが、直接の関係はないようです。
六本木墓苑の東側から民家を挟んで坂が上がっています。
- 24.不動坂
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不動坂は長さが約75mほどの急な坂で、坂の中ほどに五大山不動院があります。かつて坂下に不動院がありましたが、戦災で焼けて坂の南に移りました。不動院の門前町を不動院門前と呼んだことが坂名の由来となりました。
不動坂の北側に並行して坂が下っています。
- 25.丹波谷坂
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丹波谷坂は長さが約100mほどの急な坂です。江戸時代にこの辺りに旗本岡部丹波守の屋敷があり、丹波谷という地名になりました。そこに新しく坂道を開いたことにより、この坂名が付けられました。坂上と坂下付近に案内柱が立っています。
丹波谷坂
たんばだにざか 元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初年この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。
六本木通りに出ます。六本木四丁目交差点の手前から急坂が上っています。
- 26.寄席坂
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寄席坂は長さが約85mほどの左右に曲がりながら上る急な坂で、坂名は明治時代に坂の途中に寄席があったことに因んでいます。坂下と坂上付近に案内柱が立っています。
寄席坂
よせざか 坂の途中の北側に、明治から大正三年にかけて、福井亭という寄席があったために、寄席坂とよびならわすようになった。
六本木通りの寄席坂入口付近から六本木交差点まで坂道が上っています。頭上には首都高3号渋谷線が通っています。
- 27.市三坂
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市三坂は長さが約430mほどの緩やかな坂で、坂名は明治時代に市兵衛町と三河台町との間を通っていたので両方の町名の頭文字をとって名付けられました。坂の中ほどに案内柱が立っています。
市三坂
いちみざか 明治二十年代に開かれた坂。名主の名がついた市兵衛町と松平三河守忠直邸のあった三河台町との間で両頭文字をとった。
六本木通りの三河台公園のはす向かいに、ビルに挟まれた狭い階段が上がっています。
- 28.フランス坂
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フランス坂は長さが約25mほどの急な階段で、パリでよく見かけるような小さな石段の坂道であることからこの坂名になったという説があります。
六本木四丁目交差点から右手に緩やかな坂が上がっています。
- 29.なだれ坂
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なだれ坂は長さが約180mほどの坂で、別名は「長垂坂」といいます。坂名はかってこの坂で土崩れがあったことに由来するという説があります。
なだれ坂
なだれざか 流垂・奈太礼・長垂などと書いた。土崩れがあったためか。幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。
なだれ坂の西側には、高層ビルが3棟建っています。中央の泉ガーデンタワーは、「六本木一丁目西地区第一種市街地再開発事業(泉ガーデン)」の一環で建てられた複合ビルです。総面積2.4ヘクタールに及ぶ再開発事業は1999年に着工され、2002年に事業は完了しました。名称の「泉」は住友の江戸時代の屋号「泉屋」に因んでいます。
なだれ坂の右手に居酒屋の「竹やん」があります。30年以上続く昭和の居酒屋で、今どき珍しく喫煙可となっています。ランチもお得でいいのですが、夜はお酒が飲めて尚よしです。
なだれ坂の坂上で左折し、頭上に首都高都心環状線が通る都道415号線に出ます。交差点の南側一帯で大規模な再開発が行なわれています。虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業のB−1街区です。地上64階・塔屋2階・地下5階・高さ262.83mの日本一の超高層タワーマンションになる予定とのことです。再開発用地が工事用の塀で囲われていて、後で麻布台の坂道を巡る際に大変な思いをしました。
サウジアラビア大使館の先を左折し、そのまま進みますと左手に短い坂が下っています。
- 30.御組坂
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御組坂(おくみざか)は長さが約90mほどの坂で、坂名は江戸幕府御先手組の屋敷が坂の南にあったことに因みます。坂上と坂下付近に案内柱が立っています。
御組坂
おくみざか 幕府御先手組(おさきてぐみ・戦時の先頭部隊で、常時は放火盗賊を取締まる)の屋敷が南側にあったので坂名となった。
泉ガーデンレジデンスの植え込みの中に、偏奇館跡の石碑が置かれています。
偏奇館跡
小説家永井荷風が、大正九年に木造洋風二階建の偏奇館を新築し、二十五年ほど独居自適の生活を送りましたが、昭和二十年三月十日の空襲で焼失しました。荷風はここで「雨瀟瀟(あめしょうしょう)」「墨東綺譚」などの名作を書いています。偏奇館というのは、ペンキ塗りの洋館をもじったまでですが、軽佻浮薄な日本近代を憎み、市井に隠れて、滅びゆく江戸情緒に郷愁をみいだすといった、当時の荷風の心境・作風とよく合致したものといえます。
冀くば来りてわが門を敲くことなかれ
われ一人住むといへど
幾年月の過ぎ来しかた
思い出の夢のかずかず限り知られず
「偏奇館吟章」より
泉通りのスペイン大使館裏手からアークヒルズの南西側に沿って六本木通りまで、坂が僅かに左右にカーブしながら下りています。
- 31.スペイン坂
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スペイン坂は長さが約190mほどの坂で、六本木通りからスペイン大使館に繋がることから「スペイン坂」と名付けられました。アークヒルズという人工の街ができた時に造られた歴史のない坂名で、坂上と坂下付近に立つ標識も自治会とビル管理会社が作った私製のものとなっています。
スペイン坂
Cuesta de Espana
スペイン坂の由来
昭和六十一年(1986年)、20年近い歳月を経て、赤坂(Akasaka)と六本木(Roppongi)の結び目(Knot)にアークヒルズ(ARK HILLS)は誕生しました。当時の民間における都市再開発事業としては最大級の規模(総敷地面積56、000u)を誇り、共同住宅、オフィス、ホテル、テレビスタジオ、コンサートホールなどを組み合わせた複合型街づくりは、その後の都心部における再開発事業のさきがけとなりました。そのアークヒルズの南側に位置するこの坂道は、六本木通りからスペイン大使館につながることから「スペイン坂」と名付けられ、多くの人々に親しまれています。春には、両側の歩道に植えられた桜が坂道を被うように咲き乱れ、都心における桜の名所としても知られています。
スペイン坂の坂下の右手に別の坂が上がっています。
- 32.道源寺坂
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道源寺坂は長さが約130mほどの僅かに左右に曲がりながら上る急な坂で、別名を「道源坂」といいます。坂名は、坂上にある道源寺に因んでいます。坂下に案内柱が立っています。
道源寺坂
どうげんじざか 江戸時代のはじめから、坂の上に道源寺があった。その寺名にちなんで道源寺坂または道源坂と呼んでいた。
坂上は道源寺の山門に繋がっています。道源寺の創建年代は明らかではありませんが、道蓮社玄譽(寛永元年【1624年】寂)が開山となり創建したといわれています。
ANAインターコンチネンタルホテルの北側に坂が上っています。
- 33.桜坂
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桜坂は長さが約75mほどの緩やかに上る坂で、戦災に遭うまで坂の途中に大きな桜の木があったことからこの坂名が付けられました。現在でもアークヒルズが建設された際に植えられた桜の樹が坂道の両脇に多く立ち並んでいます。坂下と坂上付近に案内柱が立っています。
桜坂
さくらざか 明治中期に新しく作られた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからこの名が付いた。
桜坂の坂上を右折した先に、短い坂が左手に上がっています。
- 34.鼓坂
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鼓坂は長さが約45mほどのやや急な上り坂で、明治以降に開かれましたが、坂名の由来は不明となっています。
大倉集古館は日本初の私立美術館で、日本や東洋の古美術を中心に収蔵しています。明治から大正期にかけて大きな財を成し、大倉財閥を創始した大倉喜八郎が長年に亘って収集した古美術・典籍類を収蔵・展示するため、大正六年(1917年)に邸宅の一角に財団法人大倉集古館として開館しました。開館からまもない大正十二年(1923年)に関東大震災によって当時の展示館と一部の展示品を失い、一時休館を余儀なくされましたが、伊東忠太の設計と大成土木(現在の大成建設)による施工で再建され、耐震耐火の中国風の展示館が昭和二年(1927年)に完成し、翌年再開館しました。この建築は展示室から長い回廊が伸び六角堂を経て表門に至る壮大なものでした。大倉喜八郎の死後は、その嫡男である大倉喜七郎が近代日本画などの収蔵品の充実に努めました。太平洋戦争時の空襲も乗り越えましたが、戦後になって敷地内にホテルオークラが建設されることになり、一部の建物が整理・解体されました。竣工以来50年が経過して老朽化が顕著になったホテルオークラ本館の建て替えに伴って大倉集古館もリニューアルされることになり、谷口建築設計事務所の設計と大成建設の施工で、周りに増築されていた部分を撤去した上で約6m曳家され、免震構造の地下階の増築によってロビーやショップ・ホールなどが設けられ、令和元年(2019年)9月12日に再開館しました。
アメリカ大使館とホテルオークラの間に広い坂道が下っています。
- 35.霊南坂
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霊南坂は長さが約120mほどの緩やかな下り坂で、江戸時代に高輪の東禅寺が嶺南庵として此の地にあったことが坂名の由来になっています。坂の中ほどと坂下のアメリカ大使館側の歩道上に案内柱が立っていますが、近づいて写真を撮ろうとしたらお巡りさんが血相を変えて飛び出してきて阻止されました。坂名の面は望遠レンズを使って撮れましたが、案内文は無理でした。次のように記されているそうです。
霊南坂
れいなんざか 江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名をとったがいつしか嶺が霊となった。
アメリカ大使館の北側に沿って緩やかな坂が下っています。
- 36.榎坂
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榎坂は長さが約100mほどの殆ど傾斜のない下り坂で、江戸時代以前の古街道を示す榎があったと推定されるためにこの坂名が付けられたという説があります。以前は坂の中ほどにそのような説を記した次のような内容の案内柱が立っていたそうですが、今は撤去されているそうです。
榎坂
江戸時代より前の古街道を示す榎があったと推定される。坂下から東京タワー方向へ登る永井坂を榎坂と記す資料もある。
今度はアメリカ大使館の西側に坂が上がっています。
- 37.新榎坂
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新榎坂は長さが約100mほどの緩やかな上り坂で、中ほどで少し右に曲がっています。坂上は桜坂の坂上に合流しています。アメリカ大使館前の通りの榎坂に因んで、新しく造られた坂であることからこの坂名になったと思われます。合流地点に坂名の標識があります。
また、赤坂インターシティAIRの敷地内にある案内板にも坂名が記されています。赤坂インターシティは2005年に地域の再開発により建設された超高層ビルで、新榎坂はビル建設時に新設されました。
霊南坂下交差点から東南方向に向かって、ホテルオークラと共同通信会館ビルの間を通って虎ノ門三丁目交差点に下る坂があります。
- 38.汐見坂
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汐見坂は長さが約140mほどの緩やかな下り坂で、別名を「大和坂」といいます。江戸時代に坂上から海が眺望できたことが坂名の由来になっています。坂上と坂下付近に案内柱が立っています。
汐見坂
しおみざか 江戸時代中期以前には、海が眺望できた坂である。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、大和坂ともいった。
汐見坂下の先に、右手に超急坂が上がっています。
- 39.江戸見坂
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江戸見坂は長さが約150mほどの急な上り坂で、坂の中ほどで僅かに右方向に曲がっています。坂上付近は超急坂になっています。坂上から江戸の市街が眺望できたことからこの坂名が付けられました。坂上と坂下付近に案内柱が立っています。
江戸見坂
えどみざか 江戸の中心部に市街がひらけて以来、その大半を眺望することができたために名づけられた板である。
坂上のホテルオークラの敷地内に、「中国同盟会発祥の地」と記された石碑が置かれています。
中国同盟会発祥の地
1905年8月20日大倉喜八郎邸すなわち此地、現ホテルオークラにおいて、孫文を総理とする中国同盟会が結成された。その後、中国同盟会が母体となった辛亥革命により、1912年、アジア史上初の共和国家、中華民国が誕生した。その意義を称え、同時に末永い日中友好を期して記念碑を建立する。
アメリカ大使館と道路を挟んだ南側に、一見すると普通のビルのように見えますが霊南坂教会があります。現在の新会堂は昭和六十年(1985年)にアークヒルズ開発に伴って此の地に移転して建設されましたが、それ以前の昭和五十五年(1980年)11月19日には移転前の教会で山口百恵さんと三浦友和さんの結婚式が挙げられました。
アークヒルズのサントリーホール裏から東方向に坂が上っています。
- 40.三谷坂
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三谷坂は長さが約75mほどの緩やかな坂です。坂下は元の麻布谷町で、それより昔は今井三谷町と呼ばれていました。この坂は今井三谷町に繋がっていたので三谷坂という坂名が付けられたと思われます。かって、南方向に曲折して下る狭い坂がありました。赤坂・六本木再開発によって旧谷町の台地下一帯が様相を一変し、昭和六十一年の秋にアークヒルズが完成しました。旧谷町に急落していた坂道は完全に失われ、古い三谷坂は僅かな痕跡を残して途中で消え失せました。谷町!懐かしい町名ですね。谷町仲通りという地元密着の商店街があって、通りの奥は細く屈折した坂道になっていて、その先は尾根道路と呼ばれていたホテルオークラ新館前の通りにつながっていました。それが古い三谷坂だったんですね。商店街の入口には水内庵という蕎麦屋さんがあって、そこの店員の女の子はメモなしにお昼時に混雑している中、全ての注文を暗記して調理場に伝えていました。雑貨屋の奥さんの姪が当時デビュー間もなかった女優の夏目雅子さんで、お店でサイン会なんかやっていました。肌が少し荒れていましたが、凄い美人でした。
三谷坂を上がるとホテルオークラの別館前に出ます。あの特徴ある優雅なエントランスが久しぶりに見れるかと思ったのですが、別館は完全に取り壊されて更地となり、敷地は工事用の塀で囲まれています。
三谷坂上を右折しますと、右手にスペイン大使館があります。
スペイン大使館のはす向かいにはスウェーデン大使館があります。
スウェーデン大使館(東京)
現在のスウェーデン大使館は、同じ敷地にあった旧大使館に取って替わり、1991年に開館しました。新しい建物は、スウェーデンの建築家ミカエル・グラニート氏および日本人建築家加藤吉人氏によって設計されました。大使館本館は、弧を描きながら2階から9階まで階段の様に高揚するエキサイティングな建築物です。アーチ型に大空の太陽の動きをフォローする絶妙なフォームによって、建物の陰となる周囲の面積を最小限に抑えています。高さが異なる緑色の銅製の屋根は日本の寺社を基にしたものです。正面は、赤やローズ色に色変わりするスウェーデン産御影石で装われています。館内には、大使館事務局および大使公邸がある他、職員宿舎、会議設備、展示ホール、オーディトリアム、レクレエーション施設も備わっています。大使館は、日本でスウェーデンを代表するための拠点であり、またスウェーデンと日本の間での商業的・文化的交流のためのセンターでもあります。土地および建物は、スウェーデン不動産庁(SFV)を通じてスウェーデン国が管理しており、海外におけるスウェーデンの文化遺産の一つです。
The Embassy of Sweden in Tokyo
The Swedish Embassy complex opened in 1991 as a replacement for the previous embassy on the same site. The new building was designed by Swedish architect Michael Granit and his Japanese colleague Yoshito Katoh. The embassy building has a stepped shape that sweeps up in a curve from the second to the ninth storey. This ingenious form follows the path of the sun across the sky and minimises the shadow cast over the surroundings. The green copper roofs at different heights were inspired by Japanese temples. The facade is clad in Swedish granite in hues of red and pink. The building houses the embassy's chancery and the ambassador's residence. It also provides a number of staff quarters, a conference suite, an exhibition hall, an auditorium and recreational facilities. The building is the hub for Swedish representation in Japan and a centre for commercial and cultural exchange between Sweden and Japan. The property is owned by the Swedish state and managed by the National Property Board Sweden (SFV) as part of Sweden's cultural heritage abroad.
スウェーデン大使館の南側から仙石山レジデンスの南東を回り込む坂が下っています。
- 41.しいのき坂
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しいのき坂は長さが約280mほどの緩やかな坂で、下りながら”く”の字に曲がっています。仙石山レジデンスは仙石山テラスや六本木ファーストビルなどと共に、2012年に開発された区画です。その際にこの「しいのき坂」の道路が新設されましたが、暫くは地図にも記載されませんでした。仙石山レジデンスの敷地内に設置された案内板には「しいのき坂」と記載されています。
しいのき坂の先には、竣工したばかりの高さ約330mを誇る多用途複合の超高層タワーが聳えています。
ゴール地点の神谷町駅に着きました。
ということで、港区で二番目の「六本木・赤坂・虎ノ門コース」を歩き終えました。次は、愛宕・麻布台地区の坂道を巡りたいと思います。
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