練馬区(石神井台・大泉町・貫井・向山コース)
踏破記
北区の次はどの区にしようかと考えたのですが、一休みの意味もあって坂の少ない練馬区を選びました。練馬区は内陸部にあるので坂が多いような印象を受けますが、地形が平らなのか坂の数は7ケ所と、意外と数は少ないのです。一日で回れるかなと思ったのですが、練馬区は面積が広い上に坂があちこちに散らばっていて、結局2日で回ることになりました。
練馬区は23区の中で唯一、特別区を規定した地方自治法の施行後に誕生した区です。最初は特別区は22区だったのですが、最大の面積だった板橋区では区役所までの経路が遠い地域があり、著しく不便であったために、旧北豊島郡練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村の区域が分離されて練馬区となりました。練馬区の名称については諸説あるようです。
- 関東ローム層の赤土を練ったところを「ねり場」といった。
- 石神井川流域の低地の奥まったところにある沼という意味の「根沼」が多かった。
- 奈良時代に武蔵国に「のりぬま」という宿駅があった。
- 中世、豊島氏の家臣に馬術の名人がおり、馬を馴らすことを「ねる」といった。
練馬区は23区の北西に位置し、北東から南にかけて板橋区・豊島区・中野区・杉並区に接し、西から南西にかけて西東京市・武蔵野市・北には埼玉県新座市・朝霞市・和光市と接しています。区の面積は23区の中では大田区・世田谷区・足立区・江戸川区に次いで5番目の広さになっています。地形は、区内全域が武蔵野台地に属し、河川は石神井川と白子川が中心で土地の高低差は大きくありません。それが坂が少ない理由になっているのかもしれません。
今回は練馬区の坂道を東西の二つの地域に分けて巡ります。といっても、東の地域は工兵坂だけですが。石神井公園駅からスタートして石神井公園に向かいます。
石神井公園は、通称ボート池と呼ばれる石神井池と天然記念物の三宝寺池沼沢植物群落がある三宝寺池を中心に、雑木林や高い木立がそびえる広場、史跡、運動場などからなる都立の公園です。
都立石神井公園
石神井公園は、三宝寺池と石神井池の二つの池を中心に構成されており、豊かな自然と、石神井城址などの史跡や伝説もある武蔵野のおもかげが多く残されている公園です。特に三宝寺池周辺では、国の天然記念物である沼沢植物群落を始めとして、多くの自然が残されています。
石神井公園は都道444号下石神井大泉線(通称:井草通り)によって東西に分断されています。石神井池はボート遊びが楽しめ、池に沿って散策路も整備されています。
三宝寺池には手つかずの自然が残っていて、「三宝寺池沼沢植物群落」として保存活動が行なわれています。三宝寺池は、井の頭池・善福寺池と並んで武蔵野三大湧水池としても知られています。
国指定天然記念物 「三宝寺池沼沢植物群落」
三宝寺池は、昭和三十年代頃までは冷たく澄んだ湧水をたたえた池でした。そのため、東京では珍しい沼沢植物が生育しており、昭和十年(1935年)に「三宝寺池沼沢植物群落」として国の天然記念物に指定されました。指定当時は、大きなハンノキは少なく、中の島にはカキツバタが一面に咲き乱れ、シャクジイタヌキモやジュンサイ等の貴重な沼沢植物が見られました。しかし、昭和三十年代以降の急激な都市化に伴う湧水の減少により、池の水温の上昇や水質の悪化が進んでいます。また、昔は人々が生活のために刈り取っていたハンノキやヨシ、マコモが放置されて繁茂したことにより、池の環境が大きく変化し、貴重な植物の多くが消滅してしまいました。この状況を改善するため、専門家や文化庁の指導・助言のもと、ハンノキの萌芽更新やヨシ等の大型水生植物の刈り取り等、以前の環境を回復させるための管理を進めています。その結果、カキツバタやミツガシワ、ハンゲショウ、コウホネ等の貴重な植物は順調に増え、消滅した植物も少しずつ回復しています。
三宝寺池に面して、武蔵野を支配した豊島氏後期の居城となった石神井城がありました。石神井城は室町時代に豊島氏が滅んだ際に消失しましたが、三宝寺池の南に石神井城址碑が建っています。三宝寺池はかつて石神井川の主水源とされ、流域の豪族であった豊島氏もこの水の支配のために池の南の台地に石神井城を築城したとされています。
石神井城跡
石神井城は、中世武士の豊島氏の城です。豊島氏は、葛西・江戸両氏とともに、秩父平氏で、南北朝時代には、石神井郷を領有していました。室町時代に、城主の豊島勘解由左衛門尉(泰経)は、関東管領の上杉顕定にそむいた長尾景春に味方しました。そのために、顕定を援助していた上杉定正の重臣である江戸城主の太田道灌により攻められ、文明九年(1477年)四月、落城したと伝えられています。石神井城は、三宝寺池と石神井川の低地に挟まれた舌状台地にあります。その周囲は空堀や土塁でめぐらされており、今でも土塁と空堀を見ることができます。のちに、落城によって照姫が水中に身を投げたという物語が作られ、語り継がれています。
石神井城址碑の後方は丘陵になっていて、階段で登ると左手に本郭跡と空堀や土塁の遺跡が保存されています。
東京都指定史跡 石神井城跡
石神井城は、秩父平氏の一族で、石神井川流域を中心とする現在の東京都区部北側の地域に平安時代末期から室町時代中期頃まで勢力を持っていた、豊島氏の居城でした。石神井川と三宝寺池に挟まれた標高約49メートルの舌状台地上に所在し、東西約350メートル、南北約350メートルの規模の主郭と外郭からなる、比較的単純な構造の中世城館です。昭和三十一年(1956年)以降の数次の発掘調査によって、主郭や土塁築土から十二世紀から十六世紀前半までに属する陶磁器が出土しています。文明八年(1476年)の長尾景春の乱の際、当時の城主豊島泰経は景春に与したので、扇谷上杉氏の家宰太田道灌に攻められることとなり、翌年、石神井城は落城しました。落城後、泰経が白馬に乗って三宝寺池に深く沈み、長女照姫も後を追って入水したなど、落城にまつわる伝説が伝えられています。
三宝寺池バス停付近から石神井公園ふるさと文化館まで井草通りが上り坂になっています。石神井公園ふるさと文化館の側塀の上には、石神井城の土塁を模した防御杭が並んでいます。
石神井城跡の防御施設(土塁)に見立て、この斜面を整備しました。石神井城は中世に活躍した武将である豊島氏の城で、石神井公園三宝寺池の南側に築かれていました。城の中心部は堀(幅約12m、深さ約6m)と土塁(推定高さ3m)で囲まれていました。
- 1.和田の坂
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和田の坂は長さが約90mほどの緩やかな坂です。富士街道のことをこの辺りでは「道者街道」と呼んでいました。この道を石神井中学から石神井図書館の方へ行くと、その途中に三宝寺池と石神井池の間から上り勾配になった箇所があり、昔は「和田の坂」と呼んでいたそうです。
和田の坂から次の坂までは随分と離れています。井草通りを戻って、石神井中前交差点で富士街道と交差します。富士街道は、「愛称名の付いた道路を歩く」で、2011年3月10日に歩いた武蔵境通りの翌日に歩くことにしていた道路です。富士街道の起点は目白通りと笹目通りが交差する谷原交差点で、最寄りの駅は練馬高野台駅となります。家からも遠いので朝早く家を出ないといけないのですが、その日に限って何となく気分が重く、出発を躊躇している間に時間が過ぎて結局その日の歩きは中止しました。お天気もイマイチだったので午後は家でグダグダしていたら、突然の地震!今までに経験したことのないような大揺れでした。高層階に住んでいたのでその揺れはハンパなく、家具が転倒しないように抑えるのに必死でした。揺れが収まって外を見たら、お台場の方でビルの屋上から煙が上がっていました。スカイツリーは竣工間近でしたが、タワークレーンのフック(吊り具)が前後左右に揺れて今にも筐体にぶつかりそうでした。揺れが収まって取りあえず食料を確保しようとエレベータに向かいましたが全て停止。26階から階段を下りてスーパーに行ったのですが、時既に遅しで、米も水も棚はカラッポで何も残っていませんでした。もし、あの日に気分良く出掛けていたら、西東京市あたりで地震に遭遇し、帰るに帰れず途方にくれていたことでしょう。何しろ、首都圏の鉄道は全て止まっていましたからね。富士街道という名前を見る度にあの日のことを思い出します。ちなみに、それから数年は遠くへのお散歩は怖くてできませんでした。
西武池袋線の高架下を通った先の下屋敷交差点で井草通りは終点となり、その先は土支田通りとなります。比丘尼交差点で目白通りと交差します。「比丘尼」ってなかなか風流な交差点名ですね。その名称は、江戸時代末期に名主と恋仲になった尼僧がいたことに由来するといわれています。比丘尼とは、「出家して戒を受けた女性、即ち尼僧」のことで、恋愛と絶縁した筈の尼さんが恋をするというところが面白いですね。交差点の北側一帯は東京外環自動車道延伸の工事中で、至る所が工事用の塀で覆われています。現在、首都圏には都心を中心として、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)・東京外郭環状道路(外環道)・首都高速中央環状線(中央環状線)の3つの環状線(首都圏三環状)の整備が進められています。既に中央環状線は全線、圏央道も9割の約270kmが開通しています。残る外環道は都心から約15kmの東京23区の外側を周回する高規格道路で、高谷JCT(千葉県)から大泉JCTまでの区間が供用済みとなっています。現在は大泉JCTから東名JCTまでを結ぶ本線16kmの地下トンネル工事が進められています。
大泉JCTでは関越自動車道が高架で北西に向かい、東京外環自動車道は半地下で北に向かっています。東京外環自動車道に沿って北に進み、大泉一小の角で東側に折れた先のもみじ山公園の東端から坂が上っています。
練馬区立大泉町もみじやま公園
練馬区立大泉町もみじやま公園は、もみじやま憩いの森であった。保護樹林の傾斜地と、地中を走る東京外環自動車道上部の平坦な広場をあわせて、ひとつの公園として整備されました。公園内には、約130本のモミジ類をはじめ、サクラやケヤキなど多くの樹木がみられます。
- 2.らんとう坂
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らんとう坂は長さが約300m(見た目は100m位)ほどのやや左方向に曲がりながら上る緩やかな坂です。かって、坂の途中に卵形の墓石(卵塔)があったことから「卵塔坂」と呼ばれるようになりました。標識は建っていませんが、坂下の交差点に「らんとう坂下」の名前が残っています。
らんとう坂下から少し進んだ先のバス停や交差点名に、「別荘橋」という名前が付いています。
別荘橋は白子川に架かる橋です。白子川は練馬区大泉・埼玉県和光市・板橋区成増地域を縫うように流れ、笹目橋付近の板橋区三園で新河岸川に合流しています。かつての白子川は、現在の東京都と埼玉県の県境に沿って流れていました。
別荘橋を渡った先から坂が上っています。
- 3.別荘坂
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別荘坂は長さが約150mほどの左方向に曲がりながら上るやや急な坂です。江戸時代にこの付近に「荘」という姓の家がありました。後に近くに別の「荘」氏が住むようになったためにに「荘埜」姓に変更しました。このため、「別の荘氏である」という意味で「別荘橋」という橋名が付けられ、坂名もこの別荘橋に通じる坂であることから「別荘坂」という坂名になりました。坂上の手前に「長久保道」の案内板が立っています。かっての長久保道は別荘橋を通る道筋にありました。
長久保道
長久保道は、清戸道の旧宮田橋付近で北に分れ、富士街道(ふじ大山道)を横切って光が丘地域の南東付近から北西方向へ直進(現在は道がありません)し、高松五丁目九番の北側を通って笹目通りを横断、「土支田地蔵」を左に見て土支田通りを横切り、白子川の別荘橋を経てそのまま北西へ進み、膝折(朝霞市)で川越街道と合流します。長久保は旧新倉村の字名ですが、明治二十四年(1891年)に大泉村と合併し東京府に編入されました。現在の大泉学園町七丁目から九丁目付近です。いつ頃から長久保道と呼ぶようになったのか明らかではありませんが、明治八年に編さんされた「武蔵国新座郡村誌」の橋戸村の項に「北の方下新倉村界より来り下土支田村に入る・・・」とあるのはこの道のことです。清戸道沿いの村々の名が刻まれている宮田橋敷石供養塔(区登録文化財)が高松二丁目の石神井川近くに立っています。この供養塔は、長久保道の起点となる旧宮田橋にあったものです。
別荘坂から次の坂まではかなり距離があります。別荘坂の坂上から道なりに進んで光が丘を目指します。高松六丁目交差点で笹目通りと交差した先には道路の両側に巨大な光が丘団地の高層住宅やショッピング街が連なっています。
光が丘消防署前交差点を右折し、光が丘東大通りを南下します。左手に田柄梅林公園があります。梅の花が見頃を迎えています。
光が丘五小前交差点から小道に入り、高松駐在所前交差点を経て、環八沿いの八幡神社裏手に着きます。不謹慎にも神社の境内を通り抜けます。一の鳥居の先に石神井川が流れています。
石神井川に架かる道楽橋の先が二股路になっていて、左手の道路が坂になって上がっています。
- 4.おさる坂
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おさる坂は長さが約100mほどの僅かに左方向に曲がりながら上る緩やかな坂です。この道はかっての清戸道で、昔この坂の左手の丘の上には草に埋もれた二基の庚申搭がありました。寛文二年(1662年)と安永二年(1773年)の造立といわれ、現在は長谷川家に安置されています。庚申塔に因んでこの坂を「おさる坂」というようになったということです。「お・去る」という呼び名から、祝儀の際に花嫁がこの坂を通ると離縁になるといわれ、花嫁の列は通らないようになったそうです。
石神井川の遊歩道を進みます。石神井川は石川橋から中之橋までの区間、豊島園の園内を流れています。というか、豊島園は、大正十五年(1926年)から94年間遊園地の営業を続け、令和二年(2020年)8月31日をもって閉園しました。現在は建物や施設の取り壊し工事中で、かって賑わっていた園内は更地になっています。豊島園は、室町時代に築城された練馬城の城址を中心に造園され、園の名称は練馬城を築城してこの辺りを治めた豊島氏に由来しています。その園名からは住所が豊島区内と思われがちですが、実際は練馬区向山三丁目となります。ただし、豊島園が開園した当時の地名は、東京府北豊島郡上練馬村でした。
豊島園の外塀に沿った道路から南方向に200mほど入った住宅地の中に、擂鉢状の坂があります。
- 5.中の坂
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中の坂は長さが約130mほどの中央部が薬研状に窪んだやや急な坂です。中央部が窪んでいるのは、かっての沢に川が流れていた名残りとのことです。
向山庭園の入口付近から擂鉢状の坂が豊島園角まで延びています。向山庭園は練馬区の区立公園で、園内には茶室や瓢箪型の池を有する日本庭園があります。池は練馬城の濠跡と云われています。
- 6.どんぶり坂
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どんぶり坂は長さが約80mほどの中央部が薬研状に窪んだやや急な坂です。中央部が窪んでいるのがどんぶりに似ているのでこの坂名になったと思われます。他にも中央が窪んだ坂は各地にありますが、この坂名はまんまですね。
今日のゴール地点の豊島園駅に着きました。豊島園駅は、豊島園跡地に建設中のテーマパーク「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 −メイキングオブハリー・ポッタ−」の開業に向けて大規模な改修が行なわれています。「スタジオツアー東京」は、「ハリー・ポッター」や「ファンタスティック・ビースト」シリーズの映画美術のセットや体験アクティビティーなどを提供するエンターテインメント施設で、2023年の開業を予定しています。豊島園駅の改修に当たっては、テーマパークの玄関口としての期待感・高揚感溢れる空間をイメージしているそうです。具体的には、映画の世界をより身近に感じられるようにと、ホグワーツ魔法魔術学校へ向かう生徒が乗車するホグワーツ特急の終着駅「ホグズミード駅」をイメージした赤を基調としたホームに改修し、閉園した豊島園で使用していたベンチ・電話ボックス・模型列車の機関車などをリメークして設置するほか、駅舎を新築して駅前広場もリニューアルされます。また、豊島園行きが主に発着する池袋駅1・2番ホームも、ロンドンに実在する「キングスクロス駅」を参考に改修されるそうです。尚、駅名は豊島園駅のままとのことです。
ということで、練馬区で最初の「石神井台・大泉町・貫井・向山コース」を歩き終えました。次は、練馬区で残った氷川台地区の「工兵坂」を巡りたいと思います。
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