板橋区(徳丸・四葉・西台コース)
踏破記
今日は前回の「赤塚・大門・四葉・徳丸コース」に引き続き、四葉・徳丸地区の残りの坂と西台地区の坂を巡りたいと思います。前回のゴール地点である国際興業バスの紅梅小学校バス停からスタートします。
前回最後に巡った鷹番ノ坂が徳丸通りと分岐する手前の四つ角から、住宅地の路地を真っ直ぐ西に向かいます。徳丸石川通りを越えた直ぐのところで北方向に短い坂が上がっています。
- 28.峡ノ坂
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峡ノ坂(はけのさか)は長さが約45mほどの緩やかな坂です。短い坂ですが、途中で”く”の字に曲がっています。坂名は、かつて徳丸石川通りから直接弧を描いて上る坂があり、崖下(峡下)から上っていたので峡ノ坂と呼ばれました。現在の坂はその一部(北側)が残ったものです。
峡ノ坂の坂上から路地を西に向かいます。四葉公園の前を過ぎた先で石垣に突き当たりますが、そこを迂回しますと坂が下っています。
- 29.宮前坂
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宮前坂は長さが約120mほどの緩やかな坂です。途中でカクカクと左右に曲がっています。坂名は、この辺りの旧地名「宮前」に因んでいます。坂上を北に進みますと、松月院通りを越えた先の四葉二丁目公園の中に稲荷神社があり、地名はこれに由来しています。坂下に纏のような巨大なオブジェを備えた建物がありますが、これは「鳶三」という土木・建築関係の会社です。稲荷神社とは関係ないようですが、宮前坂には似合っていますね。
新大宮バイパスの西側に位置する赤塚七丁目と一丁目の境あたりから徳丸四丁目交差点を挟んで、東側の徳丸四丁目まで擂鉢状の坂になっています。昔は滑らかに繋がっていたと思われますが、新大宮バイパスの建設によって分断され、徳丸四丁目交差点辺りがいびつになっています。赤塚側の坂上付近に梶谷津川緑道が通っています。梶谷津川は前谷津川の分流のひとつになります。
- 30.梶谷津の坂
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梶谷津の坂は長さが約260m(新大宮バイパスの西側の坂は約60m、東側の坂は約200m)ほどのやや急な坂です。坂名は梶谷津川に下る急坂だったことに由来しています。赤塚側の坂上から下る坂は住宅地の路地のような感じです。
坂下で新大宮バイパスに突き当たりますが、地元の人達の便宜のためにトンネルが通っています。ここが擂鉢の底に当たる本来の道筋で、かってはここに梶谷津川が流れ、梶谷津橋が架かっていました。
新大宮バイパスの東側の梶谷津の坂に行くのであれば、トンネルではなく、徳丸四丁目交差点を渡った方が早いです。
梶谷津の坂は”く”の字に曲がったあとで、今度は逆”く”の字に曲がっています。
徳丸石川通りから分岐して、徳丸福祉園の前を通って安養寺墓地付近まで逆”く”の字に曲がりながら下る急坂があります。
- 31.お伊勢坂
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お伊勢坂は長さが約140mほどの急な坂です。坂名は、坂上に伊勢社が祀られていたことに因んでいます。お伊勢坂の始まりは徳丸石川通りからです。標識が急坂を予感させます。急坂の途中から右手に分岐します。
板橋区には、名所・旧跡を巡りながら街歩きが楽しめる散策コースが幾つか設定されています。私が「東京23区の散歩道を歩く」シリーズで参考にした「いたばし まちあるきマップ 赤塚エリア」には「おいせ坂」は含まれていませんでしたが、案内板のコースには含まれているんですね。ちなみに、板橋区公式観光アプリ「ITA−マニア」とは、板橋区内のお勧めスポットやグルメ情報の検索・散策ルートの自動作成・VR(仮想現実)やAR(拡張現実)技術を活用した観光体験など、“歩くこと自体を楽しめる”スマホアプリです。「360度VR動画」を使うと、自宅にいながらにして実際に「赤塚エリア」にいるような感覚が体験できます。紙のマップを見ながらのお散歩はもう時代遅れなんですかね。
お伊勢坂は、徳丸福祉園の前を通って西徳通りに面した安養寺墓地付近まで下っています。
西徳通りを東に進み、次の信号を右折します。メゾンシュバリエというマンションの手前から坂が上がっています。
- 32.観音講の坂
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観音講の坂は長さが約200mほどの緩やかな坂です。坂名は、かって坂下に観音堂があり、観音信仰の信者の家が多かったことに因んでいます。
観音講の坂を進んだ先で徳丸通りに突き当たります。左折した先から宮の下交差点まで坂が下っています。
- 33.向坂
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向坂は長さが約210mほどの緩やかな坂です。別名を「むけい坂」といいます。坂名は、谷を挟んで北側の徳丸本村の台地からこの坂を望むと、向かいの台地を上る坂に見えたことに因んでいます。
宮の下交差点から上がる坂の途中から鷹番ノ坂が始まっています。谷底となる交差点付近には、かって前谷津川が流れていました。
宮の下交差点から西徳通りを東方向に進み、徳丸一丁目交差点で右折して不動通りを南下します。最初の信号で左折すると徳丸小学校付近に向かう坂が上がっています。
- 34.新坂
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新坂は長さが約220mほどの坂で、最初は緩やかに曲がりながら上がっています。
新坂は徳丸一丁目緑地の手前からかなり急な坂になっています。北側に位置する「急坂」よりも後に拓かれた坂ということに因んで「新坂」という坂名が付けられました。昔は徳丸本村や徳丸台地の裾を回り、徳丸田んぼに出る主要な道でした。
坂上から眺めますと、かなりの急坂であることが見て取れます。
急坂が始める地点から、左手に細い急な坂が上がっています。民家の塀に挟まれた先に階段が上がっています。
- 35.おう坂
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おう坂は長さが約20mほどの急な階段です。板橋の言い伝えでは、「胸を合わせるような急坂なので、合坂(おうさか)と呼ばれた」とあり、これが坂名になったといわれています。「おう坂」はこの坂上の階段部分だけとのことですが、新坂との分岐点から階段上までとした方が良さそうに思うのですが。
おう坂の坂上を右折した直ぐ先からカクカクに曲がった坂が下っています。
- 36.急坂
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急坂は長さが約200mほどの、大きく左右に曲がりながら下るやや急な坂です。この坂はかって徳丸と西台を分ける谷に沿った屈折した急な坂でした。谷にはツルマイ池がありましたが、昭和七年ごろから徐々に埋められてしまいました。坂上から眺めると一直線に下っているように思えますが、坂上から直ぐのT字路で右斜め方向に分岐しています。
更にその先の四つ角で左に折れています。
更に西徳通りに突き当たる地点の手前でも大きく右方向に曲がっています。恐らくは昔はこの坂が一本道で繋がっていて、坂に接する道路は後世に出来たものなのでしょう。
急坂の坂下から西徳通りに入り、右折して進んだ最初の信号を左折しますと、1ブロック先の四つ角に面した慈誠会記念病院の前付近から坂が下っています。
- 37.番場稲荷の坂
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番場稲荷の坂は長さが約170mほどの緩やかな坂です。坂名は、坂の南側の谷の一帯が「番場」と呼ばれ、かつて坂上に稲荷社が祀られていたことに由来します。坂下で西徳通りに合流しています。
番場稲荷の坂から3ブロック北側に西徳第二公園があります。緑に覆われた高台の公園です。公園の北側に沿って坂が上がっています。坂下付近には庚申塔が祀られています。右下の石像は「文化二年」建立のようです。
庚申塔の直ぐ先に、京徳観音堂に上る石段があります。石段の脇に案内板が立っています。
京徳観音堂
宗派は曹洞宗で、ご本尊は聖観音坐像です。江戸時代、この近在に新義真言宗の水想山教徳寺(京徳寺)があり、観音堂はその教徳寺の持堂でした。明治五年(1872年)、同寺が廃寺となると、圓福寺が管理する境外堂となり、現在にいたっています。創建は不明ですが、本堂に架かる「武州豊島郡西台村教徳寺」との銘文がある鰐口が延宝三年(1675年)の作であること、ご本尊が江戸時代中期の作と考えることから、この頃までは遡ると考えられます。境内の墓地には、「道用」と「性阿弥陀仏」が自身の死後の冥福を祈って延文六年(1361年)七月十三日に建立した宝篋印塔二基があります。これらは、観音堂の創建以前に当所に仏教施設が存在していたことをうかがわせる資料です。また、貞享三年(1686年)に死亡した寄合旗本の井上正昭とその子で貞享元年に死亡した井上正員の墓もあります。理由は判然としませんが、井上家で教徳寺へ葬られたのは、正昭・正員父子のみなので、正昭と教徳寺とが深い関係にあったことがうかがえます。この宝篋印塔と井上父子の墓は共に昭和六十二年度に板橋区の登録有形文化財となりました。
- 38.弥陀堂の坂
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弥陀堂の坂(みだどうのさか)は長さが約270mほどの緩やかな坂です。坂名は、坂上に円福寺法蔵庵があり、地元ではこれが「弥陀堂」と呼ばれていることに因んでいます。弥陀堂の坂は庚申塔付近から始まり、西徳第二公園に沿って南西に真っ直ぐに上がっています。その後は左右に曲がりながら住宅地の間を縫って緩やかに上がっています。
坂上の手前で左に向きを変え、やや急な坂となって円福寺の脇まで上がっています。円福寺は、太田道灌が文明十一年(1479年)に川越で開創し、慶長十三年(1608年)に現在の地に移転しました。寺紋は道灌ゆかりの「太田桔梗」で、道灌がこの付近を狩りをしたとの伝説も残っています。かっては参道だけでも一町(約六百米)もあった西台の大寺として知られ、慶安二年(1649年)には徳川家光から寺領20石の御朱印状を拝領したといいます。弘化二年(1845年)の大火により、山門のみを残して堂宇寺宝の多くを消失しました。
弥陀堂の坂を戻り、庚申塔が建っている二股路を右に進みます。その先の二股路の右手に坂が上がっています。
- 39.馬坂
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馬坂は長さが約210mほどの緩やかな坂です。坂名は、台地上に住む赤塚の人たちが農作業で低地の田んぼに行き来する馬のために開いた坂ということに由来します。下赤塚地域に伝わる大正末期の俗謡「ヨカヨカあめうり唄」にもこの坂名が登場します。
馬坂の坂上から直ぐ先に竹林があります。崖地に自生したように、斜めに立っています。筍採りは難しそうです。竹林の手前から右手に坂が上がっています。
- 40.神明坂
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神明坂は長さが約180mほどのやや急な坂です。坂名は、坂上にある天祖神社に因んでいます。
天祖神社は西台の総鎮守で、江戸時代には神明宮と呼ばれていました。明治六年に東京府の命により天祖神社となりました。
天祖神社
御祭神は天照皇大神です。創建の年代は不詳ですが、伝承によれば円墳の上に営まれた祠を
起源にするといわれています。明治二年(1869年)に書かれた社寺取調下案に「西台村十社之内 一村鎮守式外神明神社」と記されているように、西台村の鎮守で江戸時代には神明神社または神明社と呼ばれていました。天祖神社と社号が改められたのは明治六年のことです。境内には、区内で広く信仰されていた木曽御獄山に関連する石祠や木曽御嶽塚、寛政八年(1796年)に造立された神明型としては区内最古の鳥居、本殿左奥には石祠に中国の故事(鯉の滝のぼり・韓信の股くぐり・カメ割りの唐絵)が彫られた「天王さま」と呼ばれる八雲神社など、多くの石造物があります。また、明治七年に京徳観音堂付近から発掘された石棒(性器)は、農耕・子孫繁栄、咳止めの神として信仰されています。そのほか、西台の井戸掘り職人が奉納した「井戸掘り絵馬」をはじめとして、平成二十八年度に区登録有形民俗文化財となった絵馬・扁額が多数保管されています。
神明坂の坂上から道なりに進みますと、志村第五小学校の前を通った先に鋭角に曲がった四つ角があります。その角には観音堂が祀られています。観音堂の左手の路地を入った先から坂が下っています。
- 41.とりげつ坂
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とりげつ坂は長さが約320mほどの左右に屈曲しながら下る長い緩やかな坂です。坂名は、「とりが谷津山」に沿って下ることから、「とりがやつ」が「とりげつ」と転訛したものと考えられます。中山道から府中方面に行く、古くからある重要な道でした。
首都高5号池袋線高架下の西台交差点の先から志村第五小学校入口交差点まで、左方向に曲がりながら緩やかな坂が上がっています。
- 42.新道の坂
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新道の坂は長さが約360mほどの緩やかな坂です。坂名は、昭和六年頃に拓かれた新しい道路であることから、地元の住民が「新道の坂」と呼んだことに由来しています。
都立志村学園の西側を下る坂があります。都立志村学園は、2007年に都立北野高校と統合して閉校となった旧都立志村高校の跡地に誕生した特別支援学校です。
- 43.伝兵衛坂
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伝兵衛坂は長さが約130mほどの急な坂です。別名を「源平坂」といいます。坂名になった「伝兵衛」という人物が誰で、いつ頃開かれた坂かは不明です。言い伝えによると、崖に足掛かりをつけて登り降りするような急坂であったといわれています。現在は緩やかな坂になり、舗装されて車も通れるようになりました。
新道の坂の坂上の志村第五小学校入口交差点から西台中央通りを道なりに進みますと、最初の信号の右手に円福寺があります。弥陀堂の坂の坂上にも同名のお寺がありましたが、どうやら飛び地ではあるものの、同じお寺のようです。
円福寺と雲版・月待板碑
曹洞宗西台山を号し、文明十一年(1479年)太田道灌が川越に開創し、慶長十三年(1608年)にこの地へ移転した。かつては関東屈指の名刹、西台の大寺として知られ、慶安二年(1649年)には幕府より寺領二十石の朱印地を与えられた。しかし、弘化二年(1845年)の火災以降は往時の盛大さを取り戻せなかつた。ここの寺宝として雲版と月待板碑が残されている。雲版は縦38・横35センチの青銅製で、太田道灌が当寺を創建した際、茶室に掛けたものと伝えられている。元来禅家の仏具の一種であるが、その豪壮な作風には目をみはらされるものがある。月待板碑は浄土信仰と月待信仰とが結合したとみられる遺物で、この板碑は文明十七年(1485年)の銘があり、弥陀一尊画像を陰刻した芸術的香りの高い、都内でも有数の板碑といわれる。
円福寺の手前にある信号の左手に、西台中央通りから分岐して鋭角に坂が下っています。
- 44.谷津坂
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谷津坂は長さが約110mほどの左右に曲がりながら下る緩やかな坂です。
坂名は、不動谷と呼ばれる谷津の北斜面上に不動堂があり、その前を下りる坂であることに由来しています。坂の途中の左手に不動尊堂への細い参道が延びていて、その奥の階段を上がった高台に御堂が建っています。
谷津坂の坂下には広大な西台公園があります。起伏のある地形を利用した西台公園には、ロング滑り台やターザンローブなどのワイルドな遊具があり、冒険気分で遊べると子供にも大人にも大人気です。
西台公園から環八に出ます。若木三丁目交差点から次に訪れる予定の「松山の坂」が上がっています。今日は松山の坂を巡ってから志村三丁目駅をゴール地点にしようかと思っていたのですが、松山の坂は志村三丁目駅と逆方向に上がっています。今日は藤井聡太先生の名人戦の二日目なので早めに帰りたいと思います。目の前に松山の坂は見えるのですが、次回にして志村三丁目駅まで直行することにします。それにしても環八を歩いて駅までは遠い。
なんとか志村三丁目駅に辿り着きました。
ということで、板橋区で三番目の「徳丸・四葉・西台コース」を歩き終えました。次は中台・志村・小豆沢地区の坂を巡ります。
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