世田谷区(桜上水・南烏山・給田コース)
踏破記
今日は前回の宮坂・代田・松原コースに引き続き、世田谷区の桜上水・南烏山・給田地域の坂を巡りたいと思います。前回のゴール地点である下高井戸駅からスタートします。
下高井戸駅から住宅地の小路を線路沿いに進んで桜上水駅に向かいます。桜上水駅の南口脇から南南西の方向に坂が下っています。
- 14.駅南坂
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駅南坂は長さが約125mほどの緩やかな坂です。坂名は、桜上水駅南口に向かう道筋の坂で、スーパーや駅を利用する人の往来が絶えないことに因んでいるものと思われます。坂の途中の数ヶ所に、地元自治会が設置した坂の標識があります。
駅南坂の1ブロック西の桜上水第一レジデンス前から坂が下っています。
- 15.細道坂
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細道坂は長さが約210mほどの緩やかな坂です。途中が底になった浅い擂鉢状の坂になっています。坂名は、愛称がついた坂の中で一番細い道であることに因んでいます。狭い坂道ですが、この道を利用する愛好者が結構多いそうです。坂の途中の数ヶ所に、地元自治会が設置した坂の標識があります。
細道坂の1ブロック西の東京音楽堂の前から坂が下っています。
- 16.そよ風坂
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そよ風坂は長さが約270mほどの緩やかな坂です。途中が底になった浅い擂鉢状の坂になっています。坂名は、坂の途中に十字路があり、その付近が一番「そよ風」を感じるということに因んでいます。坂の途中の数ヶ所に、地元自治会が設置した坂の標識があります。
そよ風坂の2ブロック西の民家の間から坂が下っています。
- 17.タッピング坂
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タッピング坂は長さが約280mほどの緩やかな坂です。昭和十五年頃から昭和三十二年頃まで、桜上水五丁目37番地の角地に3階建の立派な洋館があり、地域の目印になっていました。坂名は、そこに住んでいた賀川豊彦さんの通訳や翻訳をしていたヘレン・タッピングさんの名前に由来しています。坂の途中の数ヶ所に、地元自治会が設置した坂の標識があります。
坂の途中の民家の壁に、「桜上水五丁目マップ」が貼られています。桜上水五丁目の町域は、京王線の線路を坂上にして南に行くにつれて下っています。なので、東西の路地には通り名が付けられ、南北の路地には坂名が付けられています。マップでは(例外はありますが)通り名は青字、坂名は赤字で表示されています。
タッピング坂の2ブロック西の京王変電所の東側から坂が下っています。
- 18.花火坂
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花火坂は長さが約230mほどの緩やかな坂です。坂名は、坂の上から南の方角に二子玉川や川崎の花火が綺麗に眺められることに因んでいます。毎年大勢の人達が花火を楽しんでいるそうです。坂の途中の数ヶ所に、地元自治会が設置した坂の標識があります。
桜上水五丁目の坂巡りを終えて、次の坂の目印となる世田谷文学館に向かいます。京王線の線路沿いに進み、八幡山駅の先で環八を歩道橋で渡ります。今から思うと、だんご坂を先に巡った方が効率は良かったようです。環八から南西方向に路地を進み、芦花中学校の北側に出ます。芦花中学校の敷地に沿って緑道が通っています。
緑道が千歳通りに突き当たる手前に世田谷文学館があります。世田谷文学館は、世田谷に縁のある文学者や芸術家を中心に、新しいものも含めた文学・文化を広く発信する拠点として平成七年(1995年)に開館しました。23区初の地域総合文学館ですが、純文学のようなものばかりではなく、漫画やイラストやからくり絵本など、いわゆる”サブカル”のような、広い意味での文学にまつわる展示も行なっています。
世田谷文学館は芦花翠風邸に隣接しています。現在は高級有料老人ホームになっていますが、かってこの地にはウテナ創設者の久保政吉の邸宅がありました。
芦花翠風邸の手前から千歳通りが坂になって上がっています。
- 19.ウテナの坂
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ウテナの坂は長さが約210mほどの緩やかな坂です。別名を「大坂」といいます。坂名は、坂上にウテナ本社があることに由来します。別名の「大坂」は、千歳通りのウテナの坂辺りの傾斜が一番きつかったことに由来します。坂名にもなった「ウテナ」は、化粧品・ヘアケア商品を製造・販売する化粧品メーカーです。大正十二年(1923年)に創業者の久保政吉が雑誌「主婦の友」で美白液「ウテナ」の通信販売を始めたのを契機に、本郷に「久保政吉商店」を開きました。その後、今の本社がある南烏山に工場を建て、生産を開始しました。社名は花の萼(がく)に由来していて、美しい花を支える部分が萼であるように、女性の美を根幹から支える企業でありたいという思いが込められているそうです。
ウテナの坂の坂下から旧甲州街道に向かいますが、入り組んだ路地を地図を頼りに進むのでこれがなかなかに大変です。粕谷区民センター通りの手前に「水際の散歩道」という愛称の緑道が道路を横断しています。この緑道はかって流れていた水無川を暗渠化し、上部を遊歩道として整備したものです。水無川は、三鷹市北野から千歳烏山を経由し、世田谷区船橋の希望丘公園付近で目黒川の支流である烏山川に合流する約5kmほどの河川でした。水無川の名前の由来は、旧烏山字出井向(現北烏山八丁目付近)や旧北野村(現三鷹市北野)の湧水と天水を水源としていたので、雨期以外は流れが細り、いつしか「水(の)無(い)川」と呼ばれるようになったとのことです。
佼成学園西交差点の先から仙川方向に下り、給田六所神社通りに入り、給田三丁目交差点に出ます。ここは旧甲州街道の道筋に当たります。給田三丁目交差点から仙川に架かる大川橋まで旧甲州街道が下り坂になっています。
- 20.給田坂
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給田坂(きゅうでんざか)は長さが約200mほどの緩やかな坂です。江戸時代から明治時代にかけては樹木の生い茂る暗い街道でした。貴族が日本を支配していた中世の荘園の時代に、荘園領主が地頭ら現地の管理者に与えた田んぼを「給田」といい、これが地名になりました。世田谷区の西端に位置する此の地は江戸時代に天領の時期が長かったことから、地名がそのまま残ったと考えられます。坂名はこの地名に由来しています。
大川橋から甲州街道に合流する仙川三差路交差点まで旧甲州街道が上り坂になっています。
- 21.仙川坂
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仙川坂(せんがわざか)は長さが約180mほどの緩やかな坂です。甲州街道はところどころで国道20号線から分かれた旧道を残しています。上高井戸(環八通りとの交差点)から仙川までは3km近く旧道が残っていて、その最も西にあるのが仙川坂です。仙川坂は世田谷区と調布市の境界になっていて、坂の南側は世田谷区給田、北側は調布市仙川になっています。
仙川はかっては氾濫を繰り返し、昭和十年に大川橋がコンクリート製の橋に掛け替えられるまでは石橋でした。石橋は御影石で築かれていてその上に盛土をして荷馬車が滑らないようになっていました。江戸時代は急坂だった仙川坂や給田坂も、石橋を架ける時に盛土して緩やかになりました。
今日はこの後で環八沿いの坂を巡ることにしていましたが、地図を見ますと先に世田谷区の西端を流れる野川沿いの坂を巡った方が効率的なように思えます。でも、そうすると環八沿いの坂が残ってしまいます。どっちにしようかと迷ったのですが、結局判断が下せずに近くの仙川駅で今日のお散歩を終えることにします。世田谷区の全域地図を買っていれば坂の分布が俯瞰できて直ぐに判断できたんでしょうけど。
ということで、世田谷区で三番目の「桜上水・南烏山・給田コース」を歩き終えました。次は世田谷区の中西部地区の坂を巡ります。
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