世田谷区(粕谷・船橋・祖師谷・成城コース)
踏破記
今日は前回の桜上水・南烏山・給田コースに引き続き、世田谷区の粕谷・船橋・祖師谷・成城地域の坂を巡りたいと思います。前回のゴール地点である仙川駅からスタートします。
前回、仙川坂を巡った後で次の坂をどこにするか迷ったのですけど、家に帰ってよくよく調べてみましたら、当初の予定通り環八の坂を巡るのが一番効率的ということが分かりました。更に環八までのルートをいろいろ比較したところ、仙川駅から意外と近いルートも見つかりました。出来の悪い巡回セールスマンにしては上々の成果です。更に更に、そのルート上には環八の坂へ行く途中に別の坂もあるのです。先ずはその坂を目指すことにします。駅前に調布市の観光案内板が立っています。仙川駅は世田谷区ではなく、調布市に属すのです。ちなみに、「仙川」という地名・駅名は、「せんかわ」ではなくて「せんがわ」と読みます。但し、川の名前の「仙川」は「せんかわ」とも「せんがわ」とも読めるそうです。ちなみに、ちなみに、「仙川」の河川名の由来は、現在の三鷹市にある「新川丸池公園」にかつて丸池という湧水池があり(現在の丸池は2000年に復元されたもの)、たくさん水が湧いていたことから「千釜(せんがま)」と呼ばれ、この「千釜」という言葉が仙川の由来になったといわれています。また、流域に仙人が住んでいたという伝説に由来するとする説もあります。
「映画のまち調布」の由来
現在、調布市内には、角川大映スタジオ、日活の2つの撮影所をはじめ、数多くの映画・映像関連企業が集積しています。その発端は、昭和八年(1933年)に、日本映画株式会社が設立した多摩川撮影所です。撮影所が調布に設立された理由を、後に調布市長となり、「カツドウ屋市長」と呼ばれた本多嘉一郎は、「時代劇・現代劇どちらの撮影にもふさわしい自然環境や、フィルムの現像に適した良質な地下水が調布のまちにはある。」と報告したからと、回想しています。昭和三十年代の日本映画全盛期には、大映、日活に加えて、独立プロダクション系の調布映画撮影所の3か所で映画が制作されるという活況を呈し、調布は「東洋のハリウッド」と呼ばれるようになりました。
The Origin of "City of Cinema Chofu"
Currently, Chofu has a lot of companies related to film and image, including two film shooting studios. The Tamagawa studio was established by the Japan film Co., Ltd. in 1933, and it was the inception. The reason it was established in this place was from the report of Honda Kaichiro, who later became the mayor of Chofu, called "Katsudo-ya-mayor" ; he said "There were natural environments suitable for both dramas and modern plays, and fine groundwater necessary to develop the film." In
the third decade of the Showa period, Japan movie heyday,a lot of movies were produced in the three studios, including the independent production studio of Chofu, in addition to Daiei studio and Nikkatsu studio. Because of the booming, Chofu is has become known as "Oriental Hollywood".
仙川駅というと郊外の小さな駅のように感じますが、駅の周辺には大型のショッピングセンターが建ち並んでいます。飲食店なども多く、垢抜けた街並みは映画にも出てきそうです。そんな駅前から日向通りを南下し、突き当たりで左折して都道118号調布経堂停車場線に入ります。23区内の道路は概ね歩道付きで歩きやすいのですが、この道路は狭い上に大型バスが往来し、交通量も多くてすれ違い時には難儀します。昭和時代のまま取り残された古い道路といった感じです。「停車場線」とは妙な道路名ですが、「停車場」というのは駅という意味で、駅と駅を繋ぐ路線ということのようです。甲州街道から渋谷方面に行く場合、一般的には明大前から井ノ頭通りに入るルートになりますが、ここから都道118号線に入ると距離が短くなるので、交通量が多くなる訳です。世田谷区に入り、宮下橋で仙川を渡ります。
宮下橋の先で都道118号は直線方向が車止めでブロックされ、カーブして北東方向に延びています。道路は一変して道幅が広くなり、真新しい舗装の上に歩道も広くて都心の山手通りのようです。歩道に付きものの電柱は一本もありません。完全無電柱化されているのです。実は、この道路は都道118号線の交通混雑緩和のために、第一弾として都立祖師谷公園の北側から榎交差点の間の約430mに新設された補助54号線というバイパスで、令和5年4月23日に開通したばかりなのです。でも、それは帰ってからネットで知った話。駒大グランド前交差点の次の信号から坂が上がっています。
- (新)安穏寺坂
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(新)安穏寺坂は長さが約110mほどの緩やかな坂です。坂名は、坂に面した安穏寺に因んでいます。
坂下から見て右手、坂上から見て左手のお寺が「安穏寺」です。
私はこの新しい道路の坂になって上がっている区間が安穏寺坂だと思っていました。ところが坂学会の解説では、安穏寺坂は「安穏寺の南側の坂」と記述されています。この坂はどうみても「安穏寺の北側の坂」なのです。今から思うと、坂学会の解説は2012年の日付なので、勿論当時はこのバイパスは存在していません。つまり、安穏寺坂は旧来の都道118号の道筋の坂をいうのです。なので、この坂は「新安穏寺坂」というべきでしょうかね。本物の「安穏寺坂」は後日歩き直してみようと思います。
ちなみに、安穏寺の山門の前を通る旧都道118号の坂が本物の「安穏寺坂」です。
ということで、後日本物の安穏寺坂を歩き直しました。先日は駒大グランドに面した新しい補助54号線の方を進んだのですが、今日は安穏寺坂に続くコンクリートの車止めでブロックされた方の旧都道118号線を進みます。安穏寺の手前までは平坦な道路になっています。この旧道は、バイパスが開通するまでは車の通行量が多い上にバス通りにもなっていましたので、通勤時間帯を中心にしばしば渋滞を起こしていました。歩道もありませんので、自転車や歩行者にとっては危険な道路でした。その中でも難所だったのが安穏寺前の坂でした。坂はカーブしていますので見通しが悪く、車がすれ違うのも大変でした、
道路の右手の緑が生い茂る広場の中に暗渠が通っています。かって、「類さん川」が流れていた跡なのだそうです。
類さん川
大川(今の仙川)の東堀の、現在の上祖師谷まちづくりセンターの付近をさす。この東側に、原島類蔵さんという人が住んでいたのでこの名の由来がある。田んぼが盛んだった昭和三十年代前半までは、現在の佼成幼稚園と第一生命グランドとの間(現みどり橋)に、灌漑用の堰があった。これを、「おおぜき」又は「おおたげえのせき」といった。田んぼに水が必要なときは、この堰で仙川の水深をあげ、西堀と東堀に水を流し、田を潤した。
岩船地蔵尊の手前付近から、左にカーブするように坂が上がっています。岩船地蔵尊は安穏寺の境外にある地蔵堂に祭られている地蔵菩薩像です。地藏堂の前には庚申塔や馬頭観世音の石像が並んでいます。この道筋はかっての滝坂街道に当たり、荷役に使われた馬が死んだ時に祀られたのでしょう。
- 22.安穏寺坂
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安穏寺坂は長さが約110mほどの緩やかな坂です。坂名は、坂に面した安穏寺に因んでいます。
坂上の先に榎交差点があり、ここでバイパスの補助54号線と旧都道118号線が合流しています。
安穏寺坂の坂上にある榎交差点から先の都道118号は比較的道幅も広く、歩道も整備されています。そのまま道なりに進みますと、千歳通りと交差する東京中央農協前交差点の先に巨大なガスタンクが並んでいます。これは東京ガスの世田谷制圧所内にあるガスタンクで、ここには5基の球形をしたガスタンクが設置されています。ガスタンクの正式名称は「ガスホルダー」といい、ひとつの大きさは直径約33m、中の容量は8万世帯の一日分の使用量に相当します。都心のど真ん中にガスタンクを造るとは、今の時代には考えられませんね。
ガスタンクの先には千歳清掃工場の煙突が聳えています。千歳清掃工場は23区内で戦後初めて稼働した清掃工場で、昭和三十年から運転を開始しました。その後、二代目は昭和四十六年に、現在の三代目は平成八年に稼働を開始しました。一日当たり600トンの焼却能力を持ち、余熱は隣接する千歳温水プールに配給しています。
環八と交差する千歳台交差点の手前にある千歳台小学校の北側に沿って坂が下っています。
- 23.だんご坂
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だんご坂は長さが約120mほどの緩やかな坂です。坂名の由来は不明ですが、昔から地図に名前が載っていたようで、千駄木の団子坂と同様に、坂下に団子屋があったからとか、雨の日に転ぶと泥まみれの団子のようになるからとかいうことではないかと推測します。環八に架かる歩道橋の上から眺めると景色がサマになります。
ガスタンクを挟んで北側から斜めに合流する道路は、江戸時代から存在した滝坂道の一部です。
次の坂は坂学会の解説文と地図が未作成で、どこにあるのかよく分かりません。ネットを駆使して調べた結果、多分これかなと思う坂が見つかりました。
- 24.稗殻橋の坂
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稗殻橋の坂(へいがらばしのさか)は坂の長さは不明ですが、かって品川用水に架かっていた稗殻橋の前後の坂を指すものと思われます。昭和二十年頃まで、俗称「ヘエガラ橋の坂」と呼ばれた坂がありました。千歳通りは、昔は世田谷街道と称され、道路に沿って元禄年代以前から品川用水掘が通っていました。この用水路が道路を横断する地点は荷車を引く人達の難所でもありました。終戦後、この品川堀は埋めたてられ、千歳通りの道路の拡幅と環状8号線の開通によって坂は平らになりました。なので、稗殻橋の坂は消滅した坂の部類に入ります。稗殻橋は、現在千歳通りと環八が交差する環八船橋交差点の歩道橋辺りにあったものと推測されます。
歩道橋の上からの眺めです。現在は道路の勾配は全く感じられません。品川用水は玉川上水から品川地区への生活用水路として造られ、前身は1662年に造られた戸越上水との記録があります。昭和七年にその役割を終えるまで、城南地区に大切な生活水を供給し続けました。戦後から埋め立て工事が始まり、昭和二十七年に完了し、その跡に千歳通りが拡張されています。稗柄橋の坂は環八船橋交差点から船橋に入った辺りにあって、船橋から廻沢(現在の粕谷)方面に行くには大変な難所で、船橋では一番の急な坂道といわれていました。現在では、環八船橋交差点の直ぐ南東で千歳通りと交差する荒玉水道道路の環八までの坂道にその名残りを感じさせます。
右の写真の交差点に面した三角形の敷地に建つ「こども写真城スタジオアリス環八船橋店」の後方を斜めに通る道路が荒玉水道道路です。
環八船橋交差点から千歳通りを北西に進み、最初の信号を左折します。千歳ゴルフセンターの先で右折し、祖師谷住宅の南端に沿って住宅地の路地を西に進みます。とある民家風の門の前に「SHIBARIN」という酒屋さんの看板が掛かっています。しばりん農園は自家農園で麦を生産し、収穫したビール麦約1.6トンを委託製造し、オリジナルクラフトビールを販売しています。祖師谷産麦芽90%を使用した、正真正銘の世田ヶ谷産地ビールです。100%でないのは味を整えるためだとか。世田谷産のワインは飲んだことがないので味わいたいとは思ったのですが、今日は水曜日で定休日みたいです。残念!
そのまま道なりに進みますと、祖師谷大蔵駅の北口から延びる祖師谷通りに突き当たります。右折してビッグ・エー世田谷祖師谷店の角を左折し、西に進みます。都営祖師谷四丁目アパート1号棟の西端付近が四つ角になっていて、四丁目31番と32番の民家の間をなんということもない短い道路が通っています。
- 25.真坂
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真坂(しんさか)は長さが約50mほどの短い道路です。別名を「新坂」といいます。マサかこんな平坦な道路が坂リストに名を連ねているとはお釈迦様でもご存じないでしょう。私もマサかこの道が真坂だとは俄には信じられず、何度も往復してしまいました。坂にもなっていないし、坂名の由来も不明ですが、現在は住宅地になっているものの、かっては獣が徘徊する原野の中の坂道だったのでしょう。
真坂から迷路のような住宅地の路地を北上して熊野神社の三差路に出ます。三差路に面して享保四年(1719年)の銘がある庚申塔を祀った祠が建っています。
祠のすぐ先のT字路を右に曲がった左手に「つりがね池公園」があります。
小さな公園ですが、樹木に覆われていて、池の奥には釣鐘池辨天社が鎮座しています。つりがね池は、かつては湧水を湛えた池だったそうですが、その湧水も昭和二十五年を境に枯れていき、現在はポンプを使って池の水を供給しているそうです。池には鯉も泳いでいます。辨天社は、生活用水として大切にしていくために住民によって建立されたそうです。
釣鐘池
釣鐘池は、標高凡そ四十五メートルの武蔵野台地に囲まれ、昔は深い自然林に覆われていて、野川の一支流である西方の仙川に注ぐ豊富湧水池であった。台地上には、この水を求めたであろう古代の人たちの遺跡である縄文時代中期の住居跡が、昭和五十二年(1977年)の区教育委員会の発堀調査によって確認されている。かって、この池でこどもたちは小魚をとり、水遊びを楽しみ、人々は生活の水を求め、野菜などを洗い、洗い場組合をつくって水を大切にし、神様をお祀りしてきた。毎年四月七日には、今も弁天祭が行なわれており、また、日照りの時には、雨乞いの行事も以前あった。伝説によると、近くにお寺があり、他教との争いのあげく僧が寺の鐘を被ってこの池に身を投げたとか、あるいは、日照りで農民が困ったとき、これを救おうと僧が釣鐘を抱いて池に身を沈めたところ、たちまち大雨が降った、などといいつたえ、それ以来「釣鐘池」と呼ばれるようになったという。
つりがね池公園バス停の先から坂が上がっています。
- 26.地福寺坂
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地福寺坂は長さが約130mほどの緩やかな坂です。坂名は、坂上の成城学園哲士寮の辺りに地福寺があったといわれていることに由来しています。「哲士寮」は、2014年頃まであった成城学園の寮および宿泊施設のことです。「哲士」は、中国の古典「詩経」の「大雅」の一節にある「哲夫成城(哲夫城を成す)」に由来しています。「哲夫」は哲人・哲士ともいわれ、「道理をわきまえ、見識の優れた人」のことです。「哲夫は城(くに)を形作るものである」という言葉が成城学園の校名の由来となりました。
地福寺坂の西方に、民家の間を下る坂があります。
- 27.弔い坂
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弔い坂は長さが約75mほどのやや急な短い坂です。坂名は、昔土葬が行なわれていた頃に、近隣の若者たちが亡骸を乗せた輿を担いで坂上の先にあった安穏寺へ運んだ道だったことに由来しています。安穏寺は先ほど立寄りましたけど、弔い坂から案外近いんですね。
祖師谷公園の東南端に出て、仙川に架かる鞍橋を渡ります。仙川と鞍橋通りの間を通る道路の先から坂が上がっています。
- 28.金兵衛坂
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金兵衛坂は長さが約100mほどの緩やかな坂です。坂名は、加々美家の爺さんが坂下に隠居所を建てたことに因んで名付けられました。
金兵衛坂から次の坂までは結構距離があります。成城通りと成城六間通りを横断し、世田谷郵便局の先で右折します。成城富士見通りのドルフ成城というマンションの手前で右折し、そのまま真っ直ぐに進みますと、三差路が連続するところがあり、突き当たりが左右の道路に分かれています。左手は民家の間を下る狭い急な下り坂、右手は緑地の縁に沿った歩道付きのやや幅広の下り坂になっています。
よく見ますと、左右の道路の間に緑地に下る階段が見えます。
- 29.ビール坂
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ビール坂は長さが約270mほどのやや急な坂です。この坂は世田谷区と調布市の境界に位置し、世田谷区側では「ビール坂」、調布市側では「ハケの坂」と呼ばれています。世田谷区の「ビール坂」の坂名は、かつて坂下にサッポロビールのグランドや社員寮があったことに由来します(現在は「パークシティ成城」というマンション群になっています)。調布市の「ハケ坂」の坂名は、ハケをその方向に沿うように長く斜めに上下している(意味不明)ことに因んでいます。
ビール坂の坂下で、ビール坂と並行して坂が下っています。
坂の途中に、ひっそりと「ビール坂緑地」の立て札が立っています。その先に車止めがあり、その奥に緑地内を上がる階段が続いています。
- 30.かみの坂
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かみの坂はビール坂緑地の雑木林の中を上がる長さが約85mほどのやや急な階段です。坂名の由来ははっきりしていません。段差の間隔が長い独特な階段になって緑地を上がっています。
階段の上は急な勾配になっていて、その先は先ほどの三差路に出ます。
三差路の左手から下る急坂は、武蔵野崖線と成城四丁目緑地の間の切り通しになっています。
- 31.なが坂
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なが坂は長さが約180mほどのやや急な坂です。坂名の由来ははっきりしていません。坂の途中に「市民緑地 成城四丁目発明の杜」があります。この緑地の名前は、故樫尾俊雄氏(カシオ計算機株式会社の設立者)が発明の多くを自宅の庭で考案したことに由来しています。崖上に建つ「樫尾俊雄発明記念館」には、樫尾俊雄氏の発明品の数々が展示されています。
坂下には成城四丁目緑地があります。国分寺崖線の保全を目的とし、斜面地には桜やアカマツの木々やミツバツツジの群落などがあります。約2ヘクタールの広大な斜面林には、2ケ所の湧水と湿生植物群落があり、崖線の上と下をつなぐ散策路で雑木林の緑を楽しむことができます。
国分寺崖線の案内板が立っています。
国分寺崖線は世田谷のみどりの生命線
国分寺崖線とは、立川市から世田谷区を通って大田区まで続く、延長約25Kmに及ぶ高さ10〜20mほどの斜面の連なりです。この崖線は、多摩川が10万年以上の歳月をかけて武蔵野台地の一角を削ってできたもので、古くから里山として守られてきました。現在でも比較的多くの雑木林や自然の森林が残されていることから、世田谷区の「みどりの生命線」とも言われ貴重なものになっています。また、国分寺崖線は、崖線に沿って多くの湧き水があります。世田谷区だけでも約30ヶ所あり昔の人々にとっては飲み水や田畑を潤す水として生活に不可欠なものでした。この大切な湧き水の水源を崖線の雑木林が守ってきました。国分寺崖線は、そういった人と自然との共生を長い間見守ってきたのです。
水の湧き出る豊かな台地
湧水がもたらす豊かな水辺空間では多くの水生生物が確認されています。サワガニやホトケドジョウが確認されています。湧水がこれほどたくさんある地域は東京都区部の中では他にありません。
みどりの連なる都市のオアシス
斜面地やその周辺には樹木が茂り森の様相を呈しています。それらの樹木は、元々、里山の雑木林として利用されてきたコナラ、クヌギ、イヌシデ等の落葉広葉樹が中心であり、新緑や黄葉等の季節の変化を感じやすい武蔵野らしい緑地帯となっております。また、松林やスダジイ等の常緑樹が場所ごとに混在し、多様な樹木から構成されています。
台地を感じる見晴らし
国分寺崖線の斜面に沿って、いくつもの坂があり、長年にわたって親しまれてきた坂には名前が自然とつけられています。また、多くの坂が南西に面しているため、冬の時期には坂の上から富士山と多摩川の壮大な眺めが得られる場所もたくさんあります。
まちの歴史資産
国分寺崖線に沿って、たくさんの古墳があります。先史時代からの歴史を有するとともに、江戸時代には大山道、筏道、登戸道といった古道ができ、その沿道には歴史を感じさせる祠や寺社等があります。明治時代以降は、浄水場や河川の堤防の整備などが行われ、近代化遺産となっています。また、等々力渓谷は平成十一年に東京都の名勝指定を受け、保存管理計画のもとに整備を進めています。
緑地の中には崖線樹木園があり、緑地に植わっている様々な樹木が見本として保存されています。「赤松ぼっくり庭園緑地」にあったアカマツもありますね。最高裁長官(判事?)のお目当ては松茸だったのかも?
アカマツ(赤松) マツ科 Pinus densiflora
尾根筋や岩山などやせた土地や乾燥地にもよく生育する高さ25mほどになる常緑高木。樹皮が赤褐色であることから名がつけられた。葉はクロマツに比べて細くて柔らかく、優美な印象があることから庭木に利用され園芸品種も多い。材は建築材や燃料とされる。またアカマツ林にはマツタケがでる。
成城四丁目緑地から小田急線の線路に向かって進みます。道路の左側には国分寺崖線が迫っていて、斜面は樹木で覆われています。日本は国土の70%が森林で、一見自然が多く残っているように感じられますが、そのうちの40%はスギやヒノキが植林された人工林です。植林地を含まない自然の森や草原など、本来の自然は国土の20%しかありません。そして、その僅かに残された本来の自然も法律等で保護区に指定され、確実に守られているのは国土のわずか5%です。豊かな自然や美しい風景を守るため、行政によって公有地化や国立公園などの保護区の指定が進められています。しかし、重要な自然でありながら、保護区に指定されていない場所や、国立公園など保護区でありながらも私有地も多く含まれ、いつ失われてしまうか分かりません。このような行政だけでは守りきれない自然地の保全と再生を進めていく運動が民間によるナショナル・トラスト活動です。世田谷区では、住民と行政が力を合わせて武蔵野崖線の保全に取り組んでいます。
「成城四丁目十一山市民緑地」を公有地化し、
貴重な樹林地として保全します。
一般財団法人世田谷トラストまちづくりによって14年間守り育ててきた、民有地のみどり「成城四丁目十一山市民緑地」は、このほど、区が公園緑地用地として取得し、将来にわたって樹林を保全してまいります。この貴重な樹林地の安全性を高めるため、フェンスなど施設整備が必要なことから、暫くの間は林内を利用することができません。ご理解、ご協力をいただきますよう、お願いいたします。
緑地には狸も住んでいるみたいです。居心地がいいんでしょうね。
緑地の中には散策コースも設けられています。狸だけでなく、蛇も出そう。。。崖線は、せたがや百景にも登録されています。
せたがや百景 57 成城三・四丁目の崖線
崖線に沿って緑が豊かに残されています。低地に下る坂は両側の深い緑で隈取られ、台地との間に陰影をかたちづくります。まちに変化に富んだ散歩道があることは素晴らしいことです。
小田急線の線路の手前から急坂が上がっています。
坂は大きく左右に曲がりながら上がっています。息が上がりそうな急坂です。
- 32.不動坂
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不動坂は長さが約120mほどのかなり急な切通しの坂です。坂名は、坂下付近にある喜多見不動堂に由来しています。喜多見不動堂の入口には、崖線の隙間から糸のような細い流れの滝が落ちています。
慶元寺境外仏堂 喜多見不動堂
この不動堂は喜多見慶元寺の境外仏堂で、本尊は不動明王坐像である。創建は明治九年五月で、村内安全、諸難消除、各願成弁のため、喜多見の住人浦野半次郎が発起人となり西山八郎兵衛、田中福太郎、宮川太郎兵衛、田中留吉、宮川安五郎、西山伊兵衛の各氏が願主となって、有志の寄進を得て今の地に堂宇を建立し尊像を安置したものである。この尊像は、明治の初め多摩川大洪水のとき、喜多見川原に流れ着いたものを前記の願主たちが成田山新勝寺で入魂したものと伝えられている。境内には湧水による滝があり、かつては信者が水行した。また、この滝口には滝不動が祀られている。堂宇と並んで岩屋不動、玉姫稲荷、蚕蔭大神を祀った小祠がある。毎年冬至の日には星祭りが執行され、護摩が奉修され、特に南瓜に”真田幸村”と書き、自分の名を併記して護摩供養すると喘息や中風に罹らないという南瓜護摩が古くからこの日に行われている。
崖線を上がる急な階段の上には喜多見不動堂があります。
堂宇の右手には、岩屋不動・玉姫稲荷・蚕蔭大神を祀った小祠が並んでいます。岩屋不動は岩屋の奥に鎮座されておわします。
今日のゴール地点である成城学園前駅にやってきました。成城学園前駅は高級住宅地成城の表玄関であり、駅ビルには成城コルティというお洒落な商業フロアがあります。4階フロアには渋谷区松涛の名店「シェ松尾」の姉妹店となるグランファミーユ・シェ松尾のお店も入っています。今日はお散歩の服装なので直帰します。
ということで、世田谷区で四番目の「粕谷・船橋・祖師谷・成城コース」を歩き終えました。次回は成城地区の残りの坂と砧・大蔵・岡本地区の坂を巡ります。
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