立ち呑み晩杯屋 (一日目)
晩杯屋は2009年にアクティブソースが東急目黒線の武蔵小山駅前に1号店を出店し、その後都内各地に店舗を広げて急成長しました。煮込み・ポテサラ・刺身・アジフライ・納豆オムレツなど、おつまみの大半を100円〜200円前後で提供し、千円札1枚でベロベロに酔える低価格「センベロ」居酒屋の代表格になっています。当初は立ち飲みスタイルが主体でしたが、最近では座れる大衆居酒屋タイプのお店も増えています。2017年に丸亀製麺を展開するトリドールホールディングスの傘下に入りましたが、店名はそのまま残りました。
アクティブソースの創業者は金子源(はじめ)氏ですが、金子氏は赤羽の老舗立ち飲み居酒屋「いこい」から大きな影響を受けました。金子氏は晩杯屋を開業する前に短期間ですが、赤羽の「いこい」で修業しました。そのために晩杯屋の暖簾には、「赤羽いこい系」の文字が刻まれています。「いこい」は北区で酒類の業務用卸を営むアサヌマが経営していて、赤羽に2店があります。赤羽は葛飾区の立石や横浜市の野毛などとともにセンベロの聖地として名高く、中でも「いこい」は人気店で常に満席状態です。殆どのおつまみが100円台であること、おつまみの種類と傾向、昭和感のある店の雰囲気、現金でその注文の都度会計する方式、「コの字型」や「L字型」のカウンターなど、晩杯屋に与えた影響は大きなものがあります。晩杯屋創業のお店である「武蔵小山駅前店」はまさに「いこい」そのものです。私が晩杯屋で初めて訪れたのも武蔵小山駅前店でした。
金子源氏は群馬県新里村(現在の桐生市)で、7人兄弟姉妹の下から2番目でした。家業の鉄工所は1973年の第一次オイルショックで破綻し、畑仕事や山菜採りをするなど赤貧洗うがごとき幼少年時代を過ごしました。県立太田高校を卒業後、新聞配達の奨学生となって予備校に通い、航空自衛隊のパイロットに憧れて受験し、70倍の狭き門を突破しましたが、新聞配達中に足首を骨折して最終の身体検査ではねられました。一般の試験で海上自衛隊に合格しましたが、職種がオペレーターという雑用係であったために嫌気がさして退職しました。金子氏は約5年間の自衛隊勤務時代に給料を全部飲み代に費やした経験から「飲食店でもやろう」と考え、25歳のときに「牛角」などを運営するレインズインターナショナルに入社し、本社研修3日目で「牛角中野新橋店」の店長に抜擢されました。
牛角で働くうちに「飲食店を成功させるのはよい食材を安く仕入れる力にある」と痛感し、牛角を半年で辞め、「仕入れ力」や「流通」のノウハウを学ぶために青果市場や水産会社で約5年間アルバイトをしました。金子氏は市場の本質が「分化」というシステムで成り立っていて、仲買人は毎日滞りなく荷物をさばこうと仕事をしていることを知りました。取引先の寿司屋や料亭などが返品してきた場合、その魚は信頼できる取引先に捨て値か無料で譲るより仕方ありませんが、仲買人は返品で損した料金は別の日に上乗せして必ず帳尻を合わせます。そういう市場のシステムの中で「仕入れ力」と「買う力」を得るためには、「荷物を分けてもらう」というスタンスが大切です。例えばサンマ50箱でも100箱でも仲買人の言い値で買い、「分化」を完了させ、荷物をさばく手伝いをするのです。それを続けることで仲買人との本物の信頼関係ができ、魚の着荷が少ないときでも融通してもらえますし、また大量にさばけたときは残りの魚を破格の値段で譲ってもらえるようになるのです。このことが後に独立して晩杯屋を展開するとき、仲買人との間に築いた信頼関係を武器に「仕入れ力」と「買う力」を発揮することになります。
一方、この時期には金子氏は独立資金を貯めるためにアルバイトの他に夜は運送会社の仕分けのアルバイトをするなど、年中休みなく働き月収70万円稼いで、独立資金500万円を貯めました。独立の準備ができると、最後に立ち飲みの最高峰をゆく赤羽の「いこい本店」に頼み込んで短期間修業をさせてもらいました。こうして金子氏はリーマンショックの起こった2008年9月に自衛隊の先輩と共に晩杯屋を運営するアクティブソースを設立し、2009年8月に「立呑み晩杯屋武蔵小山本店」(4坪・家賃9万円)をスタートしました。狭い店舗で客が7〜8人も入れば一杯になりましたが、1日に10回転することもありました。晩杯屋はヒト・モノ・カネの経営資源に恵まれていた訳ではなく、当初は資金を貯めながらの出店でした。そのため2号店の「立呑み晩杯屋大井町店」を開店したのは2012年3月でした。都心部に出てきたこともあり大井町店は居酒屋業界に「晩杯屋ショック」を巻き起こすことになりました。2013年と2014年に2店舗ずつを出店し、合計6店舗にまで拡大しました。金子氏はこの時期に晩杯屋の将来に自信を持ち、2015年には京浜急行の大森海岸駅から徒歩7分の賃貸ビルの1階に120坪の自社セントラルキッチンを開設し、本社も3階に移転しました。仕入れた鮮魚類や食材などを一括して一次加工し、晩杯屋各店に配送する仕組みが始動したことで、金子氏は創業7年目の2016年には過去最高の14店を出店しました。金子氏は株式上場を視野に入れて「2019年200店舗展開」を掲げました。金子氏はアクティブソースの価値を知るためにM&A仲介業者に登録し、これがトリドールHD社長の粟田氏との仲を繋ぐことになりました。粟田氏は仲介業者を介し、誠意を尽くして晩杯屋の買収を申し入れました。こうしてアクティブソースはトリドールホールディングスの傘下に入り、現在に至っています。
- 踏破記
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ということで、晩杯屋の原点となった「いこい」から晩杯屋巡りをスタートします。「いこい」はセンベロの聖地である赤羽にあります。赤羽駅には、東口・西口・南口の3つの出口があります。南口はちょっと寂しいのですが、東口には飲み屋街、西口には商業施設が連なっています。
- 0.いこい
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「いこい」は東口駅前ロータリーのひとつ奥の路地に面しています。「いこい」は本店と支店があり、本店は東口の近く、支店は南口の近くにあります。本店は11時開店で、ちょうど今オープンしたところのようです。ちなみに、支店は朝7時の開店だとか。
「いこい」から晩杯屋の最初のお店に向かいます。京浜東北線の線路沿いに進み、「東京23区の坂道を巡る」でも訪れた清水坂を上って平和橋手前で環七に出ます。交差点を右折し、埼京線を渡った先で十条銀座商店街のアーケードに入ります。十条銀座商店街は、戸越銀座商店街・砂町銀座商店街と並んで東京の三大銀座商店街といわれています。JR埼京線十条駅前から、中央通り・東通り・西通りに200店を超える店舗で構成され、全長は約520メートルもあります。商店街の歴史は古く、1910年の赤羽線(現在のJR埼京線)十条駅開業後、周辺の宅地化によって商店街が形成されたといわれています。戦前にはすでに十条銀座を名乗っていたということから、ご当地銀座としてはかなりの歴史を持っています。業種構成としては、生鮮食品店・衣料品店を中心に、飲食店・美容室・理髪店・ドラッグストア・日用雑貨店など、生活の利便性を高める業種がひと通り揃っています。特に目を引くのは生鮮食品店と惣菜店で、メディアでも取り上げられ、「十条価格」と呼ばれるほど割安で有名です。商店街のほぼ全域がアーケードで覆われていて、天候を気にせず買い物ができ、一日の来訪客は約15、000人と都内でも有数です。
- 01.立呑み晩杯屋 十条店
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晩杯屋十条店は商店街の十条駅寄りのメインストリートから分岐した路地に面しています。店名の「晩杯屋」という文字が酔っ払っているようで、遠くからでもよく目立ちます。晩杯屋の開店時間は殆どの店舗が平日15時ですので、呑兵衛の姿はありません。
晩杯屋十条店から次のお店に向かいます。帝京大学医学部附属病院の横を通り、御成橋から石神井川の遊歩道に入ります。板橋の地名の由来になった旧中山道に架かる「板橋」を通って首都高5号池袋線高架下の中山道を横断し、更に遊歩道を進みます。中根橋で石神井川と別れ、東武東上線の中板橋駅に向かう「なかいた商店街」に入ります。
- 02.立呑み晩杯屋 中板橋店
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晩杯屋中板橋店は、東武東上線の踏切を渡った右手にあります。中板橋駅の南口改札口に隣接した超便利な場所に立地しています。呑兵衛なら立寄らない訳にはイカンでしょう。
晩杯屋中板橋店から石神井川に架かる下頭橋を渡って環七に向かいます。
橋の脇に小さな六蔵祠があります。「六蔵」とは、 江戸時代に街道で馬による貨客の運送を職業とする馬方の通称です。この道筋は旧川越街道に当たっていたので、そのような仕事に従事する人も多かったのでしょう。
「下頭橋」とは何やらいわれがありそうですが、その由来を解説した案内板が境内に立っています。
下頭橋
弥生町には江戸時代の川越往還が通っています。そのうち、大山町の境から当地までの街道沿いは上板橋宿となっていました。石神井川に架かる下頭橋は、寛政十年(1798年)に近隣の村々の協力を得ることで石橋に架け替えられています。境内にある「他力善根供養」の石碑はその時に建てられたものです。橋の名の由来については諸説があります。一つ目は、旅僧が地面に突き刺した榎の杖がやがて芽吹き大木に成長したという「逆榎」がこの地にあったという説。二つ目は、川越往還を利用する川越藩主が江戸に出府の際に、江戸屋敷の家臣がここまで来て出迎え頭を下げたからという説。三つ目は、橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵の金をもとに石橋が架け替えられたからという説の三つが伝わっています。ここにある六蔵祠は六蔵の遺徳を讃えて建てられたのです。下頭橋と六蔵祠は昭和六十一年度に区記念物(史跡)に登録されました。
環七に出て、次のお店に向かいます。板橋中央陸橋で川越街道と、武蔵野病院角で要町通りと交差します。桜台陸橋で西武池袋線と千川通り、豊玉陸橋で目白通りと交差します。環七は果てしなく続きます。暑さもあって気分はバテバテ、足は絡まって真っ直ぐに進めません。荒川に架かる鹿浜橋からひたすら南西方向に延びてきた環七ですが、中野区と練馬区の区境を越えた中野北郵便局辺りから向きを変えて南下します。新青梅街道を越えた先で、環七は西武新宿線と交差します。普通なら道路が陸橋で線路を跨ぐのですが、西武新宿線の野方駅ホームが環七にかかっているためか、線路の下を環七が通っています。いわゆる「アンダーパス(交差する鉄道や道路などの下を通過するために周辺の地面よりも低くなっている道路のこと)」構造です。大雨の際は東京の大動脈となっている環七は大丈夫でしょうか?
- 03.立呑み晩杯屋 野方店
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晩杯屋野方店は環七から野方駅南口に向かう商店街の中ほどに位置しています。周辺には飲食店も多く、なかなかの賑わいです。時刻は15時過ぎです。口開けには最高の時間ですが、久しぶりに長距離を歩いたせいで疲労困憊の状態です。お酒を飲むと転んでしまいそうなので今日は大人しく帰宅することにします。
帰りは環七の野方駅入口バス停から帰宅することにします。環七を走るバスには、「【王78】新宿駅西口〜王子駅前(所要時間:70分)」や「【赤31】高円寺駅北口〜赤羽駅東口(所要時間:50分)」といった、路線バスでも屈指の長距離路線があります。駅との接続も良好なので、南北に鉄道路線の少ない地域ではとても重宝です。
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