立ち呑み晩杯屋 (九日目)


踏破記


今日は晩杯屋巡りの九日目です。昨日の中断地点である門前仲町駅出入口5から今日の歩きをスタートします。



今日の晩杯屋は西葛西のお店です。門前仲町から永代通りを真っ直ぐに進めば西葛西に行けます。一昨日は永代通りの北側の歩道を歩いたのですが、今日は南側の歩道を歩きます。歩き始めて直ぐに魚三のお店の前を通ります。一昨日も気になっていたのですが、6階建ての細長いビルの角に掛かっていた長大な看板が見当たりません。以前撮った写真には写っていたんですけど、取り外されたのかな?取付け用の金具は残っているみたいですけど。


左が以前の写真で右が今日撮ったもの。「アサヒビール 大衆酒場 魚三 金亀」と書いてありました。


富岡八幡宮は「深川八幡宮」とも呼ばれています。江戸最大の八幡宮で、八月に行われる祭礼「深川八幡祭り」は江戸三大祭りのっひとつになっています。江戸勧進相撲発祥の神社で、境内には「横綱力士碑」をはじめ大相撲ゆかりの石碑が多数建立されています。



荒川(荒川放水路)と中川を清砂大橋で渡ります。清砂大橋は、荒川の河口から0.5kmの地点に架かる橋で、東岸は江戸川区清新町一丁目、西岸は江東区新砂三丁目となっています。橋名はそれぞれの町名から一文字ずつとって命名されました。清砂大橋は平成八年(1996年)に着工し、平成十三年(2001年)に完成し、平成十六年(2004年)3月28日に開通しました。22メートル上流側の東京メトロ東西線荒川中川橋梁と平行し、都内の一般道に架かる橋としては船堀橋に次いで2番目に長い橋です。

きよすなおおはし 橋名の由来

「清砂大橋」は、一般の皆様からの公募により選定されたもので、江東・江戸川両区の地名にちなんだ地域のつながりを表す名前です。




23.立ち呑み晩杯屋 西葛西店

西葛西駅に着きました。駅の高架下には道路を挟んで3つのメトロ街が続いています。



立ち呑み晩杯屋西葛西店は、西葛西メトロセンター一番街の中ほどに位置しています。今は開店前でシャッターは下りていますが、結構間口が広くて大きいお店です。



メニュー表には定番のおつまみが載っていますが、季節柄おでん5種盛りが加わったみたいです。250円で5種類の種が入っていますから、これだけで熱燗2杯はいけますね。



西葛西店の次は亀有店になります。環七をひたすら北上するのですが、距離がありますので少しでも先まで歩きたいと思います。葛西橋通りから長島陸橋で環七に入ろうかと思ったのですが、手前の葛西中央通りを進むことにしました。三角橋で新川にぶつかります。右折して遊歩道を進み、新川橋を渡ります。新川は「東京の河川を歩く」にも登場しましたね。新川は旧江戸川と中川を繋ぐ水路です。旧江戸川に面して新川東水門、中川に面して新川西水門が設けられています。どちらが上流かというと、旧江戸川から水を取り入れて新川に流し、中川に排水しているということなので、新川東水門が上流側ということになります。新川橋の袂に、新川の成り立ちと新川千本桜を解説した案内板が立っています。

新川千本桜

新川

かって、江戸川から古川の流れを経て、三角で新川に入り、西へ至る流路がありました。天正十八年(1590年)の徳川家康江戸入城後、その命により、この流路を含め、行徳までの航路として、道三堀・小名木川と共に開削が計画され、実行されました。寛永六年(1629年)には、現在の新川橋辺りから東側が新たに開削され、今では全体が新川と呼ばれるようになりました。以来、新川は、江戸市中に様々な物資を運ぶ水路、行コの塩を運ぶ「塩の道」として多くの人に利用されてきました。また、沿川には味噌や醤油を売る店や料理店などが立ち並び賑わいを見せていました。新川は、江戸時代から明治・大正に至るまで、利根川・江戸川を経由して、東日本からの様々な物資を運び、客船が行きかう重要な水路として発展し、地域の人々の生活に深く関わっててきました。しかし、昭和に入り荒川放水路の完成や東西の水門の閉鎖等により、船の就航も行われなくなりました。さらに、高度経済成長期には、地下水の汲み上げによる地盤沈下により、新川との間に何回も嵩上げされた高い護岸が整備され、人々の生活から遠い存在となってしまいました。その後、平成五年より耐震護岸整備、親水河川化や新川千本桜整備が進められ、都市空間の中の貴重な水辺として生まれ変わり、親しまれています。

新川千本桜

平成十九年四月から、新川の両岸の遊歩道に桜を植樹し、江戸情緒あふれる街並みとして整備する「新川千本桜計画」が始まりました。新川の全長約三キ口メー卜ルの両岸に桜を植え、新しい桜の名所とし、潤いと賑わいのある街の創出のため江戸情緒あふれる川辺づくりや、南北地域の和が一層広がるよう人道橋並びに広場橋の架設など、歴史や文化を継承する空間を創出しました。




新川橋付近から旧江戸川に至る遊歩道があります。古くは古川と呼ばれていた川筋ですが、ドブ川を経て、今では清流が流れる親水公園になっています。

古川の歴史

古川はその昔、 船堀川と呼ばれていました。天正十八年(1590年)家康の江戸入府により、行徳の塩などを江戸に運ぶ重要な水路として利用されました。その後、寛永六年(1629年)、現在の三角付近から東へ新たな水路が掘られ、水運の役目はそちらに移りました。この新たな水路と三角付近から西の船堀川を合わせて新川と呼ぶようになり、北関東や東北地方からの物資を運ぶ大動脈として江戸を支えました。これにより、三角付近から東の船堀川は古川と呼ばれるようになりました。時は明治となり、新川には蒸気船が就航するなど大いに賑わいました。一方、古川は地元の産物などを運ぶ身近な川として地域の生活を支えました。しかし、鉄道の発達による水運の衰退、戦後の経済成長にともなう都市化の波により、雑排水による汚濁の漂う水路と化しました。このような状況のもと、地域の人々と江戸川区は「古川の清流を再び取り戻そう」と決意し、昭和四十九年3月(1974年)全国初の親水公園として古川を甦らせました。そして同年6月には地域の人々により「古川を愛する会」が結成され、古川は新たな歴史を歩むこととなりました。古川親水公園は「親水」という新しい概念に基づき川を再生させた全国初の先進的な事業として、国内はもとより海外からも高い評価を得ることとなり、歴史にその名を刻んでいます。




環七は起点となる湾岸道路から足立区の大谷田陸橋辺りまでひたすら北上しています。途中で東西に延びる幹線道路や鉄道と交差しています。今日は竜王戦第二局の二日目ですので、早く帰ってABEMAで対局を観たいと思います。なので、環七と交差する最初の鉄道の都営新宿線一之江駅で今日の歩きを終えたいと思います。







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