立ち呑み晩杯屋 (十三日目【最終日】)
踏破記
今日は晩杯屋巡りの最終日です。昨日の中断地点である池袋駅東口(北)から今日の歩きをスタートします。
今日は晩杯屋巡りの最後のお店になる新宿駅東口店に行きます。池袋駅から明治通りをひたすら南方向に進みます。途中、目白通り・新目白通り・早稲田通り・諏訪通り・大久保通り・抜弁天通りなど、東西方向に延びる幹線道路と交差します。日清食品東京本社前で明治通りは二叉に分かれ、本通りは花園神社前から新宿駅東側の繁華街を通ってJR線と並行に延びています。一方、2022年12月に開通した環状第5の1号線(千駄ヶ谷)は、新宿高校から新宿御苑の西端をかすめて千駄ヶ谷五丁目で明治通りの本筋に合流しています。長らく工事中でしたが、このバイパスの完成によって、明治通りで新宿を通過しようとする際に混雑エリアを避けてスムーズに移動できるようになりました。今日は花園神社前の本通りを進みます。新宿の繁華街のド真ん中にある花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603年)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山から勧請されたとされています。花園神社は寛永年代(1624年〜1644年)までは現在の場所より約250メートル南の現在の伊勢丹付近にありました。しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、花園神社の敷地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。そこで氏子がその旨を幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領し、遷座することになったのです。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、沢山の花が咲き乱れていたそうです。この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っていることでも知られています。朱塗りの鮮やかな社殿は、参拝する人達の休憩や待ち合わせの場所としても使われ、境内に人影が途絶える事がありません。
花園神社由緒記
- 祭神
- 倉稲魂神 日本式尊 受持神
- 由赭
- 花園神社は古来新宿の総鎮守として内藤新宿に於ける最も重要な位置を占め来たった(占めてきた?)神社である。徳川氏武蔵国入国以前の御鎮座にして大和国吉野山より御勧請せられたと伝えられる。寛永年中以前の社地は現在の株式会社伊勢丹の地域にあり、東西六十五間、南北七十五間に亘った神域であった。朝倉筑後守此の地に下屋敷を拝領されるに及び、神社をも下屋敷の内に囲い込まれたのでその由を御訴えに及び現在の社地を代地に拝領したと伝えられる。
Hanazono Shrine
- Deities enshrined:
- Uga no Mitama no Kami
- Yamato Takeru no Mikoto
- Ukemochi no Kamil
History: Hanazono Shrine is the most important Shinto shrine in Naito Shinjuku and has functioned as the general protector of the Shinjuku area for many centuries. It is said to have been moved from Mt. Yoshino in the province of Yamato in west-central Japan prior to the Tokugawa clan's entry into the province of Musashino in the area of contemporary Tokyo. Until the Kan' ei era in the early to mid-seventeenth century, the shrine was located on what is now the site of Isetan Department Store. The site was approximately 120 meters east to west by 136 meters north to south. In the Tokugawa period, Lord Asakura, Chikugo-no-Kami, received this land from the shogunate for one
of his residences in Edo (present-day Tokyo). Since the site of the shrine was
included in the grant of land to Lord Asakura, an appeal was made to the shogunate, and the present site was granted to Hanazono Shrine in compensation in 1648.
今は11月の酉の市の準備で大忙しです。11月11日(土)の一の酉・11月23日(木・祝)の二の酉では熊手を売る露店が出店し、「関東三大酉の市」に数えられるほどの賑わいになり、人出は60万人ともいわれます。花園神社名物の見世物小屋の興行もあります。また、1000灯以上という奉納の提灯も見どころです。境内では提灯を吊す木組みがあちこちで組み上がっています。
靖国通りに面した鳥居の脇に内藤トウガラシとカボチャの案内板があります。唐辛子は中南米を原産とする、ナス科トウガラシ属の果実です。メキシコでの唐辛子の歴史は紀元前6000年に遡るほど古いのですが、世界各国へ広がるのは15世紀になってからです。コロンブスがスペインに唐辛子を最初に持ち帰ったは1493年ですがそのまま忘れられ、ブラジルで唐辛子を再発見したポルトガル人によってヨーロッパに伝播され、各地の食文化に大きな影響を与えました。日本に伝来した経緯については諸説ありますが、1542年にポルトガル人宣教師バルタザール・ガゴが豊後国(現在の大分県)の戦国大名大友義鎮に種を献上したというのが有力です。江戸時代には新宿地域でも盛んに栽培されるようになっていたのでしょう。カボチャ(南瓜)の名称はポルトガル語由来であるとされ、通説では伝来元の「カンボジア」の国名から転訛したといわれています。ウリ科カボチャ属に属する果菜の総称ですが、日本への渡来は天文年間(1532年〜1555年)にトウガラシと同じく豊後国にポルトガル人がカンボジアから持ち込み、大友義鎮に献上したという説が有力です。
江戸・東京の農業 内藤トウガラシとカボチャ
新宿御苑は、江戸時代高遠藩主内藤家の下屋敷でした。当時、武家では屋敷内の畑で、野菜などを栽培し自給する習わしが一般的で、内藤家でも野菜を栽培していましたが、中でも軽くて肥沃な土に適したトウガラシがよくでき、内藤トウガラシと呼ばれて評判となり、新宿付近で盛んに作られるようになりました。「新編武蔵風土記稿」(1828年)には、「四ツ谷内藤宿及び其辺の村々にて作る、世に内藤蕃椒と呼べり」とあり、当時は新宿周辺から大久保にかけての畑は、トウガラシで真っ赤になるほどであったと言われています。このトウガラシは八房といって、実が房のように集まって付き、しかも上を向いて葉の上に出るような形になるため、熟すと畑一面が真っ赤に見えたのです。保存のできる調味食品として、庶民に喜ばれましたが、明治に入ると都市化により栽培も激減し、産地も西の方に移っていきました。この地域ではカボチャの栽培も盛んで、「内藤力ボチャ」とか「淀橋カボチャ」ともいわれていました。
THE AGRICULTURE OF EDO & TOKYO Naito Bell Pepper and Squash
The Shinjuku Imperial Gardens were the suburban residences of the feudal lord of Takatoh clan, Naito Families, The land was light and fertile and suitable for the production of bell pepper. Famed as Naito bell pepper, it was popularly grown in Shinjuku areas. Historical record tells that the fields around this shrine toward Okubo were full of matured reddish peppers in the high season during the years 1830-1844. Squash was also grown abundantly here and renowned as Naito Squash or Yodobashi Squash.
鳥居の奥には唐獅子が鎮座しています。神社を守護するのは狛犬とばかり思っていたのですが、狛犬も獅子もどちらもあるのだそうです。実は、狛犬の歴史はオリエントの獅子から日本の狛犬へと変遷をしてきたのです。古来より、あらゆる文明において「ライオン(獅子)」は力のシンボルでした。ライオンは古代文明の発祥と共に力を示す動物と見られ、「百獣の王」と崇められました。強いライオンを狩ることで王の権威を示し、その姿から王の権威を守る護符として王の側に侍るようになったのです。オリエントでは、ライオンを土台とした霊獣を造って城壁を守りました。城門にはレリーフを、門の前にはライオンの石像が置かれました。その後、霊獣思想はオリエントからインドへ伝播しました。古代インドでは森にライオンが数多く生息していました。仏教でも釈迦没後600年後頃から仏像が造られ始め、ガンダーラ地方の仏像では台座の左右に獅子像(ライオン)が彫られ、それが後の「蓮華座」となり「獅子座」となっていきました。シルクロードを経て中国に入ってきた獅子像(霊獣)は、中国古来の霊獣観と融合して「唐獅子」に変化しました。唐時代には、さらに中国風に変化して狛犬の祖になっていきました。やがて遣隋使や遣唐使によって日本にも仏教と共に唐獅子が伝来しました。日本では平安時代に想像上の動物「じ」が目出度い動物として儀式などで祀られてきました。「じ」は牛に似た灰色がかった黒い動物で、角が一本あるとされていました。この「じ」が狛犬の原型となったのです。時代が下がるにつれ獅子と狛犬の違いがなくなり、狛犬と呼ばれるようになりました。ということで、花園神社の唐獅子蔵は中国風狛犬といった感じです。
花園神社の唐獅子像
文政四年(1821年)に造立された雌雄一対の銅造の唐獅子像である。内藤新宿の氏子たちにより奉納されたもので、台座には発願者・援助者・世話人等の名が刻まれている。像高七十五センチ、台座高一三七センチ。彫工佐脇主馬の製作した原型により、鋳工村田整a(初代)が鋳造したもので、注連縄が浮彫された台座は石工本橋吉平衛の手になるものである。頭部は四つの部分(上頭部・顔・後頭部・たてがみ)に分けて鋳造し、身体も胴から後足、前足、尾の三つの部分をそれぞれ左右に分けて鋳造したものを接合して製作されている。
Designated as "material cultural properties - sculptures" by Shinjuku City
Hanazono Shrine's Karajishi ("Chinese lion") Images
This is a pair of male-female bronze "Chinese lions" cast in Bunsei 4 (1821). They were donated to the shrine by Naito Shinjuku parishioners, and the names of those who
dedicated them or aided in their placement here are carved on the bases of the statues. The statues themselves are 75 centimeters tall, and the bases are 137 centimeters. Following a model made by the sculptor Sawaki Kazuma, Murata Seimin I, a specialist in casting in metal, created this pair of bronze images. The bases, with large and elaborate sacred straw festoons carved in relief, were the work of the stonemason Motohashi Kichibe. The heads of the images were cast in four separate sections: the upper head, face, back of the head, and mane. The bodies were divided into three sections: from the torso to the rear legs, the front legs, and the tail. The left and right sides of each of these three sections were cast separately and then joined together to make the complete image.
新宿駅東口から靖国通りまでの一帯には夥しい数の飲食店が軒を連ねています。その間に何本かの横丁が通り、それぞれに名称が付いています。「新宿MOA街」は、新宿駅東口に位置する新宿の象徴的な商店街です。「MOA(モア)」とは「Mixture Of Ages」の略称で、「世代の交差点」という意味です。「MOA中央通り」・「MOA1〜5番街」・「MOA靖国通り」があり、通りには新宿区の木であるケヤキの木が植えられて自然の風合いで安らぎを醸し出しています。各通りにはファッションビルやユニークな専門店、様々なジャンルの飲食店など、多彩な店舗が並び、日中から夜遅くまで買い物客や観光客で賑わっています。
- 32.立ち呑み晩杯屋 新宿駅東口店
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立ち呑み晩杯屋新宿駅東口店は、MOA三番街に本日(10月23日)開店したてのピッカピカの新店です。歌舞伎町の入口に立地するだけあって店構えも店員さんもお客さんも他とはひと味違っています。店内には煌々と照明が灯り、女性店員は若く美人揃い、お客さんはホストと見間違えるような容貌と身なり。私が訪れたのは昼過ぎでしたが、店内はかなり混んでいました。
晩杯屋の他のお店は殆ど平日13時オープンですが、あれ、今日は平日なのにもう開いている?新宿駅西口にある新宿思い出横丁店の朝7時開店は別格にしても、新宿駅東口店は平日休日関係なく、朝11時開店なのだそうです。入るしかないでしょう!
先ずは生ビール!500mlのジョッキは飲み応えがあります。お供は定番の煮込みです。気分が高揚してしまい、玉子入りにするのを忘れてしまいました。次に鰺フライです。大井町と同じ品になってしまいました。揚げたてはサクサクして超美味です。囓りかけでお見苦しいですが。
千円でお釣りがくるとは、さすがセンベロの名に恥じません。
新宿駅東口から帰宅の途に着きます。都内23区の晩杯屋を全て回りましたが、地域で立地も外観も異なり、どこも個性がありました。一筆書きで歩いて総距離は165km弱。お店の配置は東西南北にうまくバラけていて、ちょうど23区を一周した感じです。お散歩には魅力的なコースですね。次はどの居酒屋を巡りましょうかね?
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