俺の〜 (一日目)
「俺の〜」を巡る前に、俺の株式会社の創業者である坂本孝氏に触れないわけにはいきません。坂本孝氏(1940年5月4日生まれ〜2022年1月26日81歳で没)は山梨県甲府市の出身です。カーウォッシャー・オーディオ・中古ピアノ・化粧品の販売などいくつかの自営業を経て、古本買い取りで知られるブックオフコーポレーションを創業し、不祥事で2007年にブックオフを退社後、2009年にバリュークリエイト株式会社を設立し、飲食業に参入しました。当初は串焼き店を営業していました。2011年、新橋に「俺のイタリアン新橋本店」を開店し、その後「俺のフレンチ」を始めとした「俺の」を冠する立食の飲食店業態が好評を博したこともあり、2012年11月に、俺のフレンチ・俺のイタリアン株式会社を設立し、飲食店事業を承継させました。ドリンク類を安く仕入れることもあって、俺のイタリアンでは「原価率40%」以上、俺のフレンチでは飲食業界としては異例の「原価率60%」以上(中には100%を超える品もあります)でも利益を生み出すビジネスモデルを確立しました。各店舗には「俺の」が冠されていますが、その店の料理長の名字を冠した「銀座〜」というお店もあります。
- 踏破記
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ということで、「俺の〜」の最初のお店に向かいます。最寄りの都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅からスタートします。
牛込神楽坂駅出入口A1は大久保通りに面しています。大久保通りは、JR飯田橋駅近くの外堀通りと目白通りが交差する飯田橋交差点から、牛込神楽坂駅・牛込柳町駅・東新宿駅・JR新大久保駅・JR大久保駅を経て、JR高円寺駅付近の環七通りの大久保通り入口交差点に至る延長9kmの往復2車線(一部4車線)の東西方向の都道です。道路名となった「大久保」の地名の由来としてはいくつかの説があります。
- 北条氏家臣の太田新六郎の寄子衆(配下)だった大久保氏に由来するという説
- 新宿七丁目にある永福寺の山号の大久保山に由来するという説
- この地に屋敷があった百人組同心の大久保氏に由来するという説
- 東大久保村と西大久保村の境にあった大きな窪(くぼ)みに由来するという説
どちらかというと、かつてここら一帯に流れていた蟹川の流域が大きな窪地になっていたので、「大窪→大久保」になったのだろうという説が有力です。
牛込北町交差点を左折して牛込中央通りに入ります。牛込中央通りは、牛込と呼ばれている地域のほぼ中央を南北に通る全長約1.2kmの道路で、明治・大正時代から様々な店が集まり、現在も数多くの魅力的な店が建ち並んでいる通りです。牛込の地名は、大宝元年(701年)に定められた大宝令(厩牧令)により各地に官牧が置かれ、武蔵国の官牧のひとつ「神崎牛牧」が現在の牛込辺りにあったことに由来するという説が有力です。牛込地域は、江戸時代には大名や旗本の住む武家屋敷が集中し、一方で町屋も少なからず形成され、古くからこの地に住む住民の多くがコミュニティ活動に参加しているのが特色です。狭い路地はほぼ江戸時代のままであり、また住居表示に伴う地名の改廃が他地域に比べて極めて少なかったため、江戸の雰囲気を感じ取ることができます。近代以降も、夏目漱石(父祖の代からこの地に居住)や尾崎紅葉を始めとする作家・文化人が数多く住みました。小石川と同様に、印刷や出版関係の会社も多く立地しています。
- 01.俺のフレンチ 神楽坂
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俺のフレンチ神楽坂は、牛込中央通りに面した比較的小さなお店です。2012年5月25日にオープンし、当初は立ち席のみでしたが、2015年4月27日に全席着席で46席のゆったりとしたレイアウトのフレンチビストロとしてリニューアルオープンしました。私は2012年の開店日に口開けで訪問しましたが、場所的にはそれほど恵まれていないにもかかわらず、結構賑わっていました。牛込地域の食水準のレベルの高さが感じられました。「俺のフレンチ」を一躍有名にした看板商品といえば「牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニ」です。牛一頭から採れる量も少ないフィレ肉と高級食材フォアグラに、これまた高級食材であるトリュフを贅沢に使ったソースを纏った逸品です。
お店の入口の壁にはシェフの写真が掲げられています。俺の〜が如何にシェフをレスペクトしているかが見て取れます。遠藤雄二シェフは埼玉県桶川市の出身で、2度の渡仏中に、三つ星レストランの「Alain Chapel」と一つ星レストランの「Le Temps de Vivre」で修行し、帰国後は鉄板料理で知られる「うかい亭」で調理主任を務めました。ちなみに、アラン・シャペルは「料理界のダ・ヴィンチ」と呼ばれ、1973年にはミシュランガイドの三ツ星を獲得し、同年フランスで最高の仕事人に選ばれました。
秋田一弥シェフは、埼玉のコース料理を扱うフレンチレストランで合計約10年修業した後、俺の株式会社入社しました。3店舗で計4名の一流レストラン経験を持つ料理長の下でスーシェフ(副料理長:スーシェフの「スー」は英語でいう「サブ」の意味です)として約4年間勤務し、積み上げたスキルと周りから信頼される人柄が認められ、料理長に就任しました。
牛込中央通りは市ヶ谷田町交差点で外堀通りにぶつかって終点となります。交差点を右折して外堀通りを進みますと、市ヶ谷橋の先で外堀通りが分岐し、右手に進むと靖国通りに入ります(正確には、市ケ谷八幡町交差点から市谷見附交差点までは外堀通りと靖国通りが重なっています)
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市ケ谷八幡町交差点から一歩入った先の高台に市谷亀岡八旛宮が鎮座しています。その右手には駿河台予備校市谷校舎があります。予備校とはいっても、伝統のある大学のような雰囲気です。市谷亀岡八幡神社の正面に聳える60段の急な石段は市谷八幡男坂です。長さは約30mほどですが、高低差は6mもあります。あまりの急階段なので、階段の途中に踊り場が設けられています。
市村本村町交差点の正面の高台に防衛省の本庁舎と建物部分を含め220メートルの高さのアンテナだらけの通信鉄塔が聳えています。防衛省市ヶ谷地区には、防衛省本省のみならず、陸上・海上・航空の3幕僚監部と、これらを統合する統合幕僚監部も所在し、国防の中枢拠点になっています。
靖国通りの合羽坂下交差点から新宿通りの津之守坂入口交差点まで、南西方向に坂が上がっています。三栄町交差点から合羽坂下交差点までの通りの北半分が津の守坂と呼ばれる坂であるため、この通りの名称は津の守坂通りと呼ばれるようになりました。津の守坂は、江戸時代に坂上に松平摂津の守の屋敷があったことから坂名が付けられました。別名を荒木坂または小栗坂といいます。
かって「8時だョ!全員集合」の収録にも使用された新宿厚生年金会館(正確には東京厚生年金会館)は昭和三十六年(1961年)4月15日にオープンし、当時都内最大級を誇った多目的ホールと、91室あるホテル・宴会場・レストランがありました。しかし、建物の老朽化と経営合理化のために2010年に閉鎖され、跡地にはヨドバシカメラの第二本社ビルが建っています。新宿厚生年金会館といえば、何度もレストラン・アモーレのランチバイキングに通いましたね。2010年2月25日がラストバイキングの日でしたが、名残りを惜しむ常連客で超満員の盛況でした。今でも懐かしく思い出されます。
歌舞伎町にやって来ました。歌舞伎町には幾つかの通りがありますが、セントラルロードの奥にはゴジラが待ち構えています。かって歌舞伎町のシンボルだった旧コマ劇場の跡地に新宿東宝ビルが竣工し、その時に東宝の特撮キャラクターであるゴジラが設置されたのです。そのため、今ではセントラルロードよりもゴジラロードの方が馴染みになっています。
歌舞伎町一番街は劇場通りとも呼ばれ、歌舞伎町で一番の繁華街です。大空襲で焼け野原となった歌舞伎町は、戦災復興土地区画整理によって瓦礫の上に新しい都市空間を計画し「歌舞伎の演舞場を建設し、これを中核として芸能施設を集め、新東京の最も健全な家庭センターを建設する」ことをコンセプトに「歌舞伎町」と命名されました。一番街地区においては昭和二十六年の東京スケートリンク(のちの新宿東急文化館)開館以降、貸スケート靴の店が増え、若者が集まるようになったことから喫茶店や食べ物屋が増えていきました。このことが、歌舞伎町が若者のまちとして発展していく起源となります。近年では、昭和四十四年から設置されている独特なデザインと赤い光が特徴の入口アーチの改修工事が行われ、新しくなった歌舞伎町のシンボルとしてまちの賑やかさを演出しています。昭和二十年、鈴木喜兵衛氏の戦後復興のまちづくりから始まった歌舞伎町は、日本を代表する繁華街として多くの人々に親しまれてきました。その一方で昭和五十年以降に見られるようになった性風俗店の増加や、反社会的勢力の進出などが歌舞伎町にマイナスなイメージを与えた時期がありました。平成十四年、このような状況を憂慮した歌舞伎町商店街振興組合が「歌舞伎町を楽しく、安全で安心できるまちにするための宣言」を行い、以降、歌舞伎町では様々な取り組みが進められてきました。平成十九年3月には「歌舞伎町まちづくり誘導方針」が策定(平成二十一年11月一部改訂)され、「エンターテイメントシティ歌舞伎町」がまちづくりビジョンとして示されました。また、かつて歌舞伎町の象徴的存在だった「コマ劇場」は、平成二十七年に「新宿東宝ビル」として生まれ変わり、翌年にはシネシティ広場やセントラルロードの整備、歌舞伎町シネシティ広場周辺地区地区計画の決定が行われました。今後は新宿東急ミラノ座跡地等開発が行われる予定であり、歌舞伎町を取り巻く環境は更に変化を続けていくと考えられます。また、平成二十八年6月に歌舞伎町一丁目平和会地区まちづくり指針が策定されたことで、平成三十年2月に東宝ビル東側通りの道路整備が完了しました。
- 02.俺のイタリアンバル 新宿
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俺のイタリアンバル新宿店は、歌舞伎町一番街の中ほどにあります。2014年5月に開店した当初は「俺のイタリアン KABUKICHO」という店名だと思ったのですが、「バル」に変わったのかな?でも、今も変わらず、高級食材を使った料理やピザ窯で焼き上げる本格ピザにソムリエが厳選したシャンパンやワインをコスパ良く楽しめます。人気メニューは、「トリュフとポルチーニのビスマルク」で、直径30cmのピッツァがコスパ抜群で食べれます。
遠藤光貴シェフは北海道札幌市の出身で、「リストランテ ダノイ」でイタリアンの腕を磨きました。その後「ピッツェリア・バルテノペ」で15年勤務した後、渡伊して同店で6年間シェフを務め上げました。俺の株式会社に入社後は、山浦シェフ・堀場シェフの下でスーシェフを4年経験し、実力を認められて料理長に就任し、イタリアン業態で腕を振るっています。
旧小田急百貨店新宿店本館は、2022年10月から解体工事が始まり、現在は建物の殆どが姿を消しています。新宿駅の西側では、小田急電鉄・東京メトロ・東急不動産が事業主体となり、新宿駅西口地区開発計画が進められています。既存の小田急百貨店新宿店本館及び新宿ミロードの建物を解体し、地上48階(高さ260m)の複合ビルを建設するもので、2029年度の竣工を目指しています。尚、小田急百貨店は新宿店本館での営業を終了し、新宿西口ハルクを改装して営業を継続しています。
今日は都営大江戸線新宿西口駅から帰宅します。都営大江戸線は新宿に2駅がありますが、路線がループ状になっているため、両駅での乗り換えはできません。そのため、六本木方向に向かうには結び目になっている都庁前駅に行かないと乗り換えができません。ヒマな人なら逆回りに行けばいいのですけど。
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