俺の〜 (三日目)
踏破記
今日は俺の〜巡りの三日目です。昨日の中断地点である恵比寿駅から今日の歩きをスタートします。
恵比寿駅東口から恵比寿通りを東方向に進みます。渋谷区住居表示街区案内図によりますと、恵比寿通りの道路名は、恵比寿駅へ通じる通りということに由来するようです。
恵比寿通
昭和三十〜四十年の大字名・町名。1〜2丁目があった。もと豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字伊達跡・伊達前・豊沢・広尾耕地・町田の各一部で、渋谷町の大字として成立。昭和七年からは渋谷区の町名。昭和四十一年現行の恵比寿1〜4丁目となる。地名は恵比寿駅へ通じる通りの両側に位置することに由来し、恵比寿駅は明治三十六年に日本麦酒醸造有限会社の専用貨物駅として開設。恵比須信仰にちなんで命名したエビスビールの商標を駅名とした。
恵比寿三丁目交差点を左折して外苑西通りに入ります。その先の天現寺橋交差点で外苑西通りは明治通りと交差しますが、交差点の角には都立広尾病院の巨大な建物が聳えています。広尾病院は明治二十二年(1889年)に開設された東京市避病院(明治時代に造られた伝染病専門病院)を前身とし、昭和二年(1927年)に東京市立の病院となりました。病院名に「ER」と冠されていますが、ERとは「emergency room」の略で、「救急患者を受け入れて治療する設備のある施設・部屋を意味し、救急治療室・救急救命室・緊急救命室・救命救急室」などとも呼ばれます。広尾病院の一帯は、江戸時代には「広尾の原」と呼ばれ、徳川三代将軍家光の時代以降にはしばしば鷹狩や鶉狩に利用されていました。
天現寺交差点の名称は、交差点の角にある「天現寺」に由来します。天現寺は、享保四年(1719年)に小日向御箪笥町にあった普明寺を現在地に移築し、多聞山天現寺と改めて開山しました。弘化二年(1845年)の青山大火で類焼し、更に昭和二十年(1945年)に空襲により焼失しましたが、昭和四十二年(1967年)に再興されました。本尊として、聖徳太子の御製と伝えられる毘沙門天の木像が祀られています。
首都高2号目黒線の天現寺ランプの北側に、1万平方メートル余の広大な光林寺の境内がフランス大使館の敷地まで広がっています。光林寺は延宝六年(1678年)10月に盤珪永琢によって麻布市兵衛町に創建され、その後元禄七年(1694年)5月に現在地に移転しました。墓地には大名家や旗本の墓所も多数あります。著名人のお墓も多く、平成三十年(2018年)9月30日には女優の樹木希林さんの葬儀が執り行われました。墓地の奥にはオランダ人ヒュースケンのお墓もあります。
港区指定文化財 史跡 ヒュースケン墓
アメリカ総領事ハリスの通訳兼書記官として、安政三年(1856年)七月に下田に到着したオランダ人ヒュースケンは、その仮公使館が設けられるに及び江戸に入り、ハリスの片腕となって、困難な日米間の折衝に活躍し、日米修好通商条約を調印にいたらしめ、また、日本と諸外国の条約締結にも尽力した人物である。万延元年(1860年)十二月、ヒュースケンは日本とプロシアとの修好条約の協議の斡旋のため、会場であった赤羽接遇所と宿舎の間を騎馬で往復していたが、五日午後九時ごろ、宿舎への帰路、中ノ橋付近で一団の浪士に襲われ、刀で腹部を深く切られた。その後宿所に運ばれ、プロシア使節団の医師らによる処置が行われたが、六日未明に死亡した。遺体は江戸光林寺に埋葬された。
古川橋交差点を左折して麻布通りを北上します。三の橋で古川を渡り、そのまま進みますと国道1号桜田通りに出ます。桜田通りがクランク状に曲がったところに慶應大学があります。沢山の人が校内に入って行きますが、今日は第65回三田祭が開催されているようです。三田祭は毎年11月に慶應義塾大学三田キャンパスで開催され、20万人の来場者・359の参加団体を誇る日本最大規模の学園祭です。今年は4年振りに制限無しの対面による三田祭が開催されています。日々の鍛錬の成果を発表するステージ企画、さまざまなジャンルの料理を楽しめる国際色豊かな模擬店企画、文化系サークルの特色ある企画など、華やかで娯楽的要素のある企画に加えて、ゼミナールの研究発表や各界で活躍する方の講演などの学術的な企画も充実しています。
赤羽橋交差点の先から倉交差点まで長い坂が上がっています。土器坂(かわらけざか)は長さが約520mほどの緩やかな坂です。別名を「河原毛坂」といいます。坂名の由来には、渡辺綱がここで河原毛(黄褐色ないし亜麻色の毛色)の名馬を求めたという説と、この辺りに土器師が多く居たためという説のふたつがあります。昔はかなりの勾配でしたが、都電の開通などで勾配が緩く改修されました。
30年の歳月をかけて取り組んできた都市再生事業の「麻布台ヒルズ」は、偶然通りかかった本日(2023年11月24日)開業しました。中心となる麻布台ヒルズ森JPタワーは、高さ325m・64階建て・延床面積約46万uで、大阪のあべのハルカスを抜いて日本一の高さとなります。ガウディの作品を想起させる曲がりくねった建物の地下には広大な空間が広がっていて、有名レストランが多数出店しています。オープン初日とあって、お店の前には長蛇の列ができていました。
2023年10月6日、虎ノ門ヒルズと桜田通りを挟んだ向かい側に虎ノ門ヒルズステーションタワーが開業しました。「ステーション」が冠されているように、ビルの地下は虎ノ門ヒルズ駅と直結しています。総工費約360億円の大半は、虎ノ門ヒルズのオーナーである森ビルが負担しました。
虎ノ門ヒルズと虎ノ門ヒルズステーションタワーを結ぶ連絡通路も設置されています。「TORANOMON HILLS」のロゴが、どこか六本木交差点の高速道路の高架に架かってあるものと似ていますね。
霞が関二丁目交差点を右折し、内幸町交差点で左折して日比谷通りに入ります。ここには明治時代に農産陳列所という博物館が設置されていました。
農産陳列所・蚕病試験場跡
明治政府は農業振興のため明治七年(1874年)、内藤新宿勧業察出張所(現在の新宿区)に蚕業試験掛と農業博物館を設立しました。蚕業試験掛では蚕糸業の振興と蚕病研究を目的として試験や研究が行われ、博物館では農産物や農業関係の物品を収集・展示しました。明治十六年(1883年)、麹町区内山下町(現在地)に博物館の業務を継承する農産陳列所が設置され、その翌年に農商務省農務局の一分課として蚕病試験場が設置されました。陳列所では水陸の産物の他、関係の図書なども含めて5、000点近くが展示されていました。明治十九年(1886年)に北豊島郡滝野川村西ヶ原(現在の東京都北区)へ移転して農務局蚕業試験場、東京高等蚕糸学校となり、研究が続けられました。さらに昭和十五年(1940年)、北多摩郡小金井町(現在の小金井市)へ移転し、戦後に東京農工大学繊維学部(現在の東京農工大学工学部)となり現在に至ります。
Remains of Agricultural Museum and Sericulture Laboratory
The Meiji government established a sericulture laboratory section and agricultural museum at the Naito Shinjuku Branch of the Division for the Promotion of Industry, (current-day Shinjuku City) in 1874 to stimulate agricultural industry. Experiments and research were conducted at the Sericulture Laboratory Section to stimulate the sericulture industry and to research silkworm diseases, while the museum collected and exhibited agricultural products and agriculture-related objects. In 1883, a new
museum was established in then-Uchiyamashita-cho, Kojimachi-ku (current location with its address notation changed) to take over the work of the previous museum, and the next year the experimental station for silkworm diseases was established as a division of the Agriculture Administration Bureau in the Ministry of Agriculture and Commerce. The museum displayed nearly 5,000 items, including fisheries and agricultural products as well as related books, etc. In 1886, it moved to Nishigahara, Takinogawa-mura, Kitatoshima-gun (current-day Kita City, Tokyo) to become the Agriculture Administration Bureau's Experimental Station of Silkworm Diseases and Tokyo Imperial College of Sericulture, where the research continued. It moved again in 1940 to Koganei-machi, Tama-gun (current-day Koganei City), then after WWII, it became the
Faculty of Textile in the Tokyo University of Agriculture and Technology (current-day Faculty of Engineering, Tokyo University of Agriculture and Technology) and continues to this day.
内幸町交差点から帝国ホテルまでの日比谷通りとJR線に挟まれた約6.5haの広大な敷地が再開発されるようです。敷地は北地区・中地区・南地区の3つで構成され、都心最大級の延べ面積となる約110万uのオフィス・商業施設・ホテル・住宅などを備えた街区が形成されることになっています。北地区には帝国ホテルの新本館と高さ230mのノースタワー、中地区と南地区にもそれぞれセントラルタワー・サウスタワーが建つことになっています。北地区の帝国ホテル本館の建て替えは未着手ですが、偉容を誇っていたNTT日比谷ビル(旧日本電信電話公社本社ビル)は既に解体され、2029年にはセントラルタワーとして生まれ変わる予定です。尚、帝国ホテル本館は2036年に建て替えが完了する予定で、全体の街開きは2037年以降とのことです。随分と先の話になりますね。
長らく工事が行なわれていた警視庁丸の内警察署新庁舎は、4年半の工事期間を経てようやく完成が近づいてきています。一等地に建っているために敷地が限られているせいか、地下4階・地上16階という警察署にしては珍しい高さの建物になっています。周囲の建物よりも頭ひとつ抜き出ていますね。
帝国劇場や出光美術館の入っている「帝劇ビル」は2025年に閉館し、隣接する複合ビル「国際ビル」と一体的に建て替えられることになっています。帝劇ビルと国際ビルは共に1966年9月に竣工し、老朽化が目立ってきました。現在の帝国劇場の建物は二代目で、初代は1911年に近代日本の文化芸術の中心施設として開設されました。長年に亘って日本を代表する演劇・ミュージカルの聖地として知られています。演劇ファンにとっては、滝沢歌舞伎もジャニーズも過去の思い出になりました。
東京會舘は大正十一年(1922年)に「民間初の社交場」として皇居前に建てられたルネサンス様式の初代本館で開業し、当初から本格的なフランス料理を提供していました。戦後の数年間は連合国総司令部(GHQ)に接収され、将校クラブとして営業していました。昭和四十六年(1971年)12月に二代目本館が竣工し、世界的芸術家や政財界の大物が訪れ、1975年にはエリザベス女王夫妻も迎えました。また文化人にも愛され、井上靖や三島由紀夫らの著作にも登場していました。現在の三代目となる東京會舘は、隣接するふたつのビルを一体的に建替えて平成三十一年(2019年)に完成した丸の内二重橋ビルに新本館を構えています。
中層階から高層階へと斜めにせり上がる特異な形状の建物が地下鉄大手町駅に直結する東京サンケイビルです。地下4階・地上32階・高さ146mの現在の建物は2000年9月に竣工し、産経新聞東京本社など、フジサンケイグループ各社の本社の所在地になっています。
- 08.俺のフレンチ グランメゾン 大手町
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俺のフレンチグランメゾン大手町は、東京サンケイビルの地下2階レストラン街にあります。座席席は100席と、かなり大きなお店です。大手町というビジネス街の中心地に位置するためか、貸し切り営業も多いようです。
天井高は7mもあり、ゆったりした空間になっています。
グランメゾン大手町には、平日13時(土・日・祝は14時)から提供される他のお店にないアフタヌーンティーのメニューがあります。苺の入ったシャンパンを飲みながらの優雅なアフタヌーンティーっていいですね。
永代通りに面した呉服橋交差点の角地で「TOKYO TORCH」の工事が進んでいます。既に2021年には高さ212mの「常盤橋タワー」が開業し、地区の中核をなす高さ385mの日本一高いビルとなる「TORCH Tower」が2027年度に竣工する予定です。
梁の落下事故で建設が中断していた「東京駅前八重洲一丁目東B地区第一種市街地再開発事業」ですが、タワークレーンが動き出し、漸く工事が再開されたようです。50トン弱の鉄骨5本が4階相当の高さから落下したのですからその衝撃は半端ではありません。地上51階建ての超高層ビルになりますから、筐体の変形などの影響調査に時間がかかったのでしょう。
グランルーフ下の東京駅八重洲中央口から八重洲地下街に下ります。
- 09.俺のイタリアン 東京駅ヤエチカ
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東京駅八重洲口には俺のイタリアンと名の付くお店が幾つかあります(ました)。私の知っている限りでは、現在も営業しているのは「俺のイタリアン 東京駅ヤエチカ」だけだと思います。東京駅八重洲口で最初に俺のイタリアンがオープンしたのは、2011年9月に新橋で誕生した俺のイタリアン1号店に続いて2号店としてオープンした「俺のイタリアン YAESU」です。このお店はより気軽にお酒とお料理を楽しめるようにと「俺のイタリアンバル八重洲」と店名を変えて2019年に再出発しました。しかし、八重洲二丁目中地区第一種市街地再開発に伴い、2023年3月31日を以って閉店しました。「俺のイタリアン東京駅ヤエチカ」は、本場のイタリア料理、期間限定メニュー、シャンパン・ワインを気軽に楽しめ、テイクアウトも可能な全席着席の店舗です。
尚、「俺のイタリアン&Bakery 東京駅八重洲地下街」という名称もありますが、同一店舗です。
赤い四角で囲ったところに店名が記してあります。
今日は東京駅八重洲口地下中央口から帰宅の途に着きます。恵比寿駅から大手町までは結構な距離がありましたが、沢山の超高層ビルが見れて面白かったです。偶然にも麻布台ヒルズの開業にも立ち会えていい記念になりました。次回は銀座・新橋地区の「俺の〜」のお店を激破します。
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