俺の〜 (四日目)


踏破記


今日は俺の〜巡りの四日目です。昨日の中断地点である東京駅八重洲地下中央口から今日の歩きをスタートします。



東京駅八重洲中央地下口から外堀通りを有楽町方向に進みます。東京高速道路の高架を過ぎてふたつ目の有楽橋交差点で左折し、銀座柳通りに入ります。ちなみに、有楽橋はかって外堀川に架かっていた橋で、関東大震災後の震災復興橋梁として大正十五年12月に架橋され、埋立てによって昭和三十四年11月に廃橋となりました。「有楽」の橋名は、戦国時代に活躍した武将で織田信長の弟だった織田有楽斎に由来します。茶人としても名を馳せた有楽斎は関ヶ原の戦いの後、徳川家康方に属し、江戸城の数寄屋橋御門の周辺に屋敷を拝領しました。その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽」と呼ばれるようになりました。銀座柳通りの両側には多くの飲食店が並んでいます。



10.俺の割烹 銀座本店

「俺の割烹銀座本店」は今まで銀座八丁目にありましたが、2023年7月に1階に山形県のアンテナショップが入った銀座ファーストファイブビルの3階に移転し、高級食材をリーズナブルに提供するコンセプトはそのままに、さらに洗練された内装の店舗に生まれ変わりました。



ビルは1フロアに一店しか入っていませんので、エレベータを出ると目の前に重厚なドアが現れます。未だ開店前で中には入れませんでしたが、店内は全90席もの広さで、オープンキッチンを望むカウンター席や簾戸で仕切られた半個室もあるとのことです。高級食材を一流の料理人が最高のコストパフォーマンスでリーズナブルに提供するという姿勢は全く変わっていません。私はお店が銀座八丁目にあった頃に何回か行きましたが、先着数名に破格のお値段で提供する高級メニューはさすがになくなったようです。和食の基幹店である俺の割烹銀座本店で腕を振るっているのは佐藤信一料理長です。佐藤信一料理長はミシュランガイド東京版で初の三ツ星を獲得した「玄冶店濱田家」で活躍し、料理長も務めました。2013年に俺の株式会社に入社した後は、俺のシリーズ和食各店で料理長を歴任しています。



俺の割烹銀座本店だけだと思うのですが、エレベータの横に「俺の〜」のシリーズ全店のカードが並べられていました。あまりに種類が多かったので何枚か取り漏らしたようですが、今までに巡ったお店の殆どのカードをゲットしました。これは私のお宝になりそうです。



銀座一丁目交差点で中央通りに出ますと、左手に「KIRARITO GINZA」のお洒落な外観のビルが見えます。ダイヤモンドのブリリアントカットをモチーフにしたガラス張りの外観は時間と共に刻一刻と反射する光が変化し、表情が変わるデザインになっています。4階と6階には外に出ることのできる木漏れ日のあるテラスが設けられ、8階と11階にはアナトリウムが、屋上にはエリア最大の緑に囲まれた広場が設置されています。コンセプトは、結婚式・記念日・誕生日などの人生において「キラリと輝く瞬間」をテーマにした「銀座でいちばん幸せな場所」をイメージしたとのことです。その地下一階に向き合うように「俺のイタリアン東京」と「俺のフレンチ東京」のお店があります。



11.俺のフレンチ 東京

「俺のフレンチ東京」は、フランスの星付きレストランで10年間修業し、「セントレジスホテル大阪」で総料理長を務めたボルドー出身のニコラ・シェヴロリエ氏が料理長となっています(いました)。「俺のフレンチEBISU」にもいらっしゃいましたね。2021年に新富町で「二コラ・シュヴロリエ」というフレンチのお店をオープンされたようですので、現在も料理長を務めているのかどうか分かりませんが。


写真右側がニコラ・シェヴロリエ氏です。


お店の入口にはシェフの紹介ポスターが掲げられています。「カランドリエ」は大阪市にあるフレンチのお店で、店名はフランス語でカレンダーという意味になります。旬な食材を用いて、その時・その季節をお皿の上で感じてもらいたいという想いで名付けられたとのことです。

菊池威行シェフ
フレンチの名店「カランドリエ」で料理人人生をスタート。その後、「エテルニテ」のスーシェフ(副料理長)としてミシュランの獲得に貢献。その後も数々の店舗でメニュー開発や店舗運営の経験を積んだのち、俺の株式会社に入社、現在に至る。



俺のフレンチの一番人気のメニューは「牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニ」です。「ロッシーニ」とは、牛フィレ肉のステーキにフォアグラをのせたフランス料理で、料理を考案したジョアキーノ・ロッシーニから名付けられました。ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ(1792年〜1868年)はイタリアの作曲家で、「セビリアの理髪師」や「ウイリアム・テル」など39曲ものオペラを作曲しました。美食家としても知られています。晩年のロッシーニがパリで毎週土曜日に開催していたサロンは提供される晩餐が豪勢だったことでも知られています。ロッシーニ自身が考案した料理でなくても、フォアグラやトリュフをふんだんに使用した料理には「ロッシーニ風」「ロッシーニスタイル」と名付けられることがあるほどです。



俺のフレンチ東京に向かい合って、「俺のイタリアン東京」があります。ミラノ郊外のアンティカ・オステリア・デル・ポンテに行った時の恐怖の体験は未だに忘れられません。ソレント郊外のドン・アルフォンソは片田舎にあったので、宿泊までしてしまいました。

12.俺のイタリアン 東京

「俺のイタリアン東京」は、クオリティーの高いサービスとお料理に対してお得な価格設定がなされていますので、フレンチよりもカジュアルに楽しむことができます。メニューにもパスタやピザなどの日常的に見慣れたラインナップがあることで、安心感を覚えるお客さんも少なくないでしょう。店内は赤をアクセントカラーに使った情熱的な雰囲気で、畏まって食事するというよりは、リラックスしてお食事が楽しめます。



ドアで隠れてよく見えませんが、お店の入口にはシェフの紹介ポスターが掲げられています。

山浦敏宏シェフ
三つ星レストランの「Antica Osteria Del ponte」や、同じく三つ星レストランの「Don Alfonso 1890」など、1993年から1998年までイタリアで修行。帰国後、「逗子マリーナ・青山」などで総料理長を歴任後、俺の株式会社にてイタリアン総料理長に就任。

堀場一憲シェフ
ホテル日航東京でフレンチの基礎を学ぶ。その後、創作フレンチ・パスタ専門店等をはじめ、数々の業態で調理技術を学んだ後、イタリアンをより追求したい想いから俺の株式会社に入社。山浦総料理長の右腕として活躍。



店内には、ソファになっているテーブル席のほかにカウンター席もあるため、カップルでの利用にはこちらもお勧めです。



中央通りを銀座四丁目交差点まで進みます。銀座四丁目交差点は、銀座のランドマークである和光本館と三愛ドリームセンターと三越デパートと銀座プレイスが向かい合い、正に銀座の中心です。その一角を占める三愛ドリームセンターは、昭和三十八年(1963年)に開館したガラス張りで円筒形が特徴的な建物で、平成十五年(2003年)には日本におけるモダン・ムーブメントの建築」にも選ばれました。三愛ドリームセンターは、リコーの創業者である市村清の「豊かな未来をこの銀座から発信する」という強い想いを継承し、さまざまな用途で活用されてきました。しかし、建物は今年で60年が経過し、老朽化が進んでいます。人通りの多い銀座四丁目交差点に面しているため、安全面での懸念から建て替えが決まりました。現在は建物の解体工事が行なわれているようですが、新しい建物は令和九年(2027年)に竣工予定とのことです。工事用の囲いパネルには巨大な絵が描かれています。
銀座、子供から見た昔を描く

この絵は、今の中学生が描いた銀座の街並みの“空想画”です。三愛ドリームセンターが立ち上がった60年代の街並みを限られたモノクロ写真を元に描きました。60年前の銀座交差点は、空が大きく道も広く感じられ、周りの建物には特徴的な看板やネオンがあり、道路には都電が走っていました。今と違った昭和らしい古き良き風景をイメージしています。




三越デパートの角で左折して晴海通りを東銀座方向に向かいます。三原橋交差点で晴海通りは昭和通りと交差します。その北側の角に「俺の焼肉銀座四丁目」のお店があります。



13.俺の焼肉 銀座四丁目

「俺の焼肉銀座四丁目」は、交差点角のビルの地階にあります。この場所には、2014年6月27日にオープンした「俺の揚子江 銀座4丁目」店がありました。俺の〜シリーズで、イタリアン・フレンチ・割烹・やきとり・焼肉・だし・そばに続く初の中華料理のお店として期待されましたが、惜しまれつつ閉店し、跡地には2017年4月1日に現在の俺の焼肉銀座四丁目が開店しました。



店内には赤いシャンデリアが配され、お洒落な雰囲気の焼肉店になっています。最高級和牛が最高のコスパで供され、コースや食べ放題も用意されています。国内外で食肉一筋、30年以上の経歴を持つ日本が誇るカリスマバイヤーが提供する厳選した肉のみを使用しています。



お店の入口には料理長の紹介ポスターが掲げられています。飯嶋料理長は「俺の揚子江 銀座4丁目」店の出身なのでしょうか?

飯嶋英生料理長
「銀座アスター」をはじめ、有名中華料理店で25年以上の経験を積み、料理長を務めあげ、さらにソムリエ資格も取得した。俺の株式会社では焼肉業態に挑戦、現在は料理長として活躍し、焼肉業態を盛り上げている。





「俺の焼肉銀座四丁目」と交差点を挟んだはす向かいに、「俺のフレンチイタリアン銀座歌舞伎座前」店があります。晴海通りの反対側には歌舞伎座があります。以前はこの場所に群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」がありましたが、2018年に銀座七丁目に移転しました。



14.俺のフレンチイタリアン 銀座歌舞伎座前

「ぐんまちゃん家」の跡地には、2020年12月15日に「俺のGrand Market/俺のGrand Table」のお店がオープンしました。2023年8月7日に両店がリニューアルオープンし、「俺のフレンチ・イタリアン 銀座歌舞伎座前」と改称しました。1階はフレンチ・イタリアンのお惣菜を販売するお店、2階はレストランとバーになっています。



俺の〜のお店には珍しく、平日限定ですがモーニングメニューもあります。但し、1階のバー席のみの営業です。イタリアでは朝食は甘いものしか食べない習慣があり、基本的にはクロワッサンやビスケットを食べる人が多いそうです。スーパーでは朝ごはん用のビスケットが沢山売られていて、ビスケットにはジャムやヌテラ(ヘーゼルナッツペーストをベースに砂糖・ココア・脱脂粉乳・香料・乳化剤などの材料を混ぜ合わせたチョコレート風味の甘い塗り物)をつけたり、コーヒーに浸しながら食べることが多いとのこと。また、朝はバールで食べる人も多く、「カプチーノとクロワッサン」が定番となっています。ちなみにイタリアでは「カプチーノ」は朝にしか飲みません。



ランチメニューは定番のピザとパスタが中心ですが、20席ある1階のバー席では2階のレストラン席と同じ料理が提供されています。メインディッシュとして「牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニ〜黒トリュフソース〜」を注文することも可能です。飲み物は勿論水ではなくワインになるでしょうけど。



72席ある2階のレストランには豊富なイタリアンメニューが揃っています。さふですねぇ。。。私が注文するとしたら、おつまみは「切りたて生ハム」、前菜は「パテ・ド・カンパーニュ」、リゾットは「チーズのリゾット」、ピザは「クワトロフォルマッジ」、パスタは「渡り蟹のトマトクリームソース」、メインディッシュは「本日の鮮魚料理」と「牛フィレ肉とフォアグラのロッシーニ〜黒トリュフソース〜」、デザートは「季節のアイス3種盛り合わせ」になりますかね。飲み物は「俺の白シャルロット」と「俺の赤グランボー」かな。どちらもプライベートブランドのワインですが、美味しくてコスパ抜群です。



ビルの1階の左半分は、俺のフレンチ・イタリアンのお惣菜を販売するデリカテッセンになっています。

15.俺のフレンチイタリアン 銀座歌舞伎座前(デリカテッセン)

「俺のフレンチイタリアン銀座歌舞伎座前」には、お惣菜やワインを販売する独立した店舗も併設されています。年末には、予約限定ですがお節も販売されます。



俺の〜ワインも店頭で販売されています。



晴海通りを戻って、次の俺の〜のお店に向かいます。銀座四丁目交差点を通り過ぎ、銀座鈴らん通りの次の西五番街通りを新橋方向に進みます。みゆき通り・交詢社通りと交差した先のギンザメトロビルの1階に「おでん俺のだし」のお店があります。

16.おでん 俺のだし

「おでん 俺のだし」は、俺の〜シリーズ唯一のおでんのお店です。



和食のお店だけあって日本酒が揃っています。メニューには、おでんだけでなく、刺身の盛り合わせや唐揚げも含まれています。その他、単品メニューもあって高級居酒屋といった感じです。



お店の入口横には料理長の紹介ポスターが掲げられています。俺の〜の叩き上げの料理人ですね。

畠山実大料理長
俺の株式会社に新卒で入社。三ツ星を獲得した料亭で活躍した経歴を持つ佐藤信一料理長の下、「俺の割烹」や「銀座しまだ」等、俺のシリーズの和食業態で研鑽を重ね、入社8年目となる2022年、「おでん 俺のだし」料理長に就任。



かって六本木に激辛カレーで名を馳せたデリーというお店がありましたが、現在は上野と銀座にお店があります。この他、上野店の近くで通販限定商品を作る「atelier DELHI」というイートインを併設した工場もあります(「atelier」は、「アトリエ」、つまり芸術家が仕事を行なうための専用の作業場のことです)。昔はビルの1階にあったと思うのですが、現在は新しいビルの3階にお店を構えているみたいです。カシミールカレーとタンドールチキンは健在かな?



「銀座ファイブ(旧数寄屋橋ショッピングセンター)」は、1956年6月に銀座四丁目にオープンしたショッピングモールです。86店舗の専門店からなる商業施設で、東京メトロ丸ノ内線「銀座駅」から徒歩約1分、JR山手線・京浜東北線「有楽町駅」から徒歩5分、首都高速銀座インターチェンジから5分という便利な場所にあります。細長く緩やかに彎曲したモールですが、これは東京高速道路がカーブしている高架下の施設だからです。



17.そば 俺のだし GINZA5

「そば 俺のだし GINZA5」は、GINZA5の地階にあります。



ランチタイムには、ラー油の効いたピリ辛のお出汁に噛み応えのあるそばをボリュームたっぷりに盛った俺のスタイルのG系そばが提供されます(「G系」とは、「ラーメン二郎インスパイア系」の意味です)。ディナータイムには、さまざまな天ぷらやおつまみ各種と日本酒が楽しめます。



お店の入口横には料理長の紹介ポスターが掲げられています。

渡邉満喜雄料理長
手打ちそば職人に憧れ料理人を志し、20歳から手打ちそばを学びはじめる。お客様一人一人を家族のように思い、笑顔であたたかくおもてなしする。

JR線の高架に沿って新橋方向に進みます。鮪の養殖で知られる近畿大学水産研究所のお店があります。

海を耕せ!

近畿大学初代総長・世耕弘一は、この言葉を理念に掲げ、世界に先駆けて養殖技術を研究する「近畿大学水産研究所」を誕生させました。以来、いくつもの世界初となる成果を生み出し、世界トップの養殖技術を持つ研究機関として常に世界をリードしています。




鯛めしの食べ放題!



ランチビュッフェの中華料理食べ放題で有名な「九寨溝(きゅうさいこう)」のお店があります。テレビでもよく紹介されますが、全20種類の中華料理が時間無制限(但し、ランチタイムの時間内)でナントお一人様1、100円で食べ放題です!



「麻婆豆腐」の名前の由来が書かれた看板が置かれています。「麻」って、「あばた」のことだったんですか!

「陳麻婆豆腐」の話

(一般には「麻婆豆腐」と呼ばれている)は清の時代同治元年(1892年)に成都の北郊外の万福橋の傍に創られたもので、原の名は「陳興盛飯舗」といいます。店主の陳春富が亡くなった後、奥さんがその店を引き継ぎ経営しました。その奥さんはあばたのある人で、皆に「陳麻婆」(麻はあばた、婆はおばさんの意)と呼ばれていました。陳麻婆は特に四川風味の家庭料理が得意で、とりわけ豆腐料理には独特な割烹技術を持っていました。彼女の作る豆腐料理は色が美しく、味も美味しいので評判でした。それが大きな人気を呼んで、「陳麻婆豆腐」として有名になったわけです。




18.銀座しまだ

「銀座しまだ」は俺の〜のお店ではかなり異質な存在です。他のお店は人通りの多い道路に面していますが、「銀座しまだ」は銀座の超裏通りにひっそりと佇んでいて、見つけるのに難儀します。私もこんな寂れた裏通りに有る筈がないと何度も通り過ぎ、諦めかけた時にやっと見つけました。クランク状に曲がった狭い路地の角に古ぼけたビルが建っていて、高坂ビルと表示された看板には「銀座しまだ」の名前はありません。



これまた古ぼけたドアの前まで進んで、やっとこれが「銀座しまだ」のお店だと分かりました。店内は見えませんが、立ち席が10席、テーブル席は1卓(4人掛)のこじんまりとしたお店だそうです。まさに隠れ家的日本料理店ですね。



店名が「しまだ」になっていますので、てっきり島田ナニガシという店主かと思っていましたが、料理長は佐々木さんという方だそうです。実は、佐々木料理長は二代目で、初代の料理長が「島田」さんなのです。島田料理長は、麻布の「幸村」などの超一流割烹で腕を磨いた精鋭ながら、立ち飲みという画期的なスタイルで一世を風靡した方なのです。現在も島田料理長時代の定番である、「ずわい蟹のクリームコロッケ」や「雲丹の伊勢海老ジュレがけ」、それに岐阜のそば店に打ってもらっている風味豊かなそばに台湾産のからすみを摺り下ろし、そばが見えないほどたっぷり振りかけた贅沢な「からすみそば」などがメニューに並んでいます。

佐々木晃太料理長
飲食業に転身後「俺の」一筋で日々腕を磨く。飲食経験は当社のみにもかかわらず、生え抜きで「銀座しまだ」の料理長に就任した。

JR線の高架に沿った通りに戻ります。

19.俺のスパニッシュ

「俺のスパニッシュ」は、2014年10月3日にオープンした俺の〜シリーズ唯一のスペイン料理のお店です(私も口開けで行きました)。銀座コリドー街の路面に面した本場バルセロナのスペインバルをイメージした明るく陽気なスペインバルです。カタルーニャ地方の郷土料理を主体としたフォアグラやオマール海老などの高級食材を使った料理を、ソムリエ推薦のシャンパンやワインと一緒に楽しめます。「イカスミのパエリア」は外せませんね。



丁度お昼時でしたが、ランチメニューがすんごく魅力的でした。



お店の入口横にはシェフの紹介ポスターが掲げられています。

葛西慎太郎シェフ
高校卒業後、東京のホテルなどで修業後渡西。帰国後はミシュラン・ビブグルマンに選出されたBARdeESPANAPeroで料理長を歴任。葛西シェフは、カタルーニャの郷土料理を中心としたスペイン料理を得意としています。



行政上の銀座の丁目は、銀座一丁目から銀座八丁目なのですが、「俺の焼肉銀座九丁目」と「俺のやきとり銀座九丁目」のお店は「銀座九丁目」を冠しています。「銀座九丁目」という丁目には過去の経緯があります。「銀座コリドー街」や“日本一の宝くじ売り場”がある「西銀座デパート(現在はNISHIGINZA)」や銀座と新橋の境界に連なる商店街の「銀座ナイン」は東京高速道路の高架下にあります。ここには正式な住所がなく、便宜的に「中央区銀座八丁目10番先」と「先」を付けて住居表示がされています。「銀座九丁目」という丁目を制定するよう請願はされたようですが、未だに実現していません。もっとも、俺の〜の店名に「銀座九丁目」を冠したのは、単に正式な丁目の「新橋一丁目」よりも「銀座九丁目」とした方が高級感がるとの想いだったらしいですが。

20.俺の焼肉 銀座九丁目

「俺の焼肉銀座九丁目」は、難波橋交差点から高速道路の高架を越えた先の広い道路に面したビルの1階にあります。高速道路の高架下ではありませんので、明らかに「銀座九丁目」を冠するには無理があります。



ここも「A5黒毛和牛一頭買い」を売りにしています。ランチメニューにもA5黒毛和牛のお皿が並んでいます。ランチにしてはお値段がお高めですが、お昼時とあって店内は賑わっています。



お店の入口横には料理長のパネルが掲げられています。

井上栄司料理長
大学卒業後、焼肉一筋。接客から調理まで経験。スタッフとコミュニケーションをとりながら客数増加、売上向上を実践し、人財育成にも注力してきた。俺の株式会社に入社後も、料理長として人財育成に力を注ぐ。



21.俺のやきとり 銀座九丁目

「俺のやきとり銀座九丁目」は、「俺の焼肉銀座九丁目」のお店と同じビルの路地に面した地階にあります。



メニューには、焼き鳥だけでなく、マグロとイクラがたっぷり巻かれた「俺のやきとり」名物の俺の巻きずしやあん肝などのお料理もあります。高級居酒屋といった感じです。



お店の入口横には料理長のパネルが掲げられています。

杉浦文料理長
日本料理の老舗「灘萬(なだ万)」で和食の腕を磨く。その後「俺のやきとり」蒲田立ち上げに参加後、「俺のやきとり」大井町店料理長を3年間務めた。その後7年間は「白馬スキーリゾート」で総料理長を務め、再び俺の株式会社に入社しその実力と人柄から料理長に就任した。



新橋駅から烏森宮脇通りに入ります。通りに面してヘンな形の鳥居が目を引く烏森神社が鎮座しています。烏森神社の創建は平安時代の940年と古く、元々この地は江戸湾を眼前に構える砂浜で、辺り一帯は松林でした。そのことからこのエリアは「枯州の森」・「空州の森」と呼ばれていたそうですが、さらにその松林には烏が多く集まって巣をつくっていたことから烏森と呼ばれるようになったとのことです。江戸時代には「柳森神社」・「椙森神社」と合わせて「江戸三森」と呼ばれるほど地域の人々の間では知られた神社で、江戸時代の稲荷ブームの際には初午の稲荷祭で賑わい、「江戸で一・二を争うものであった」といわれています。また、烏森神社の大神輿は1930年に名人と呼ばれた山本正太郎(通称だし)によって制作された「だし鉄の最高傑作」と言われ、金色に輝く神輿は通称千貫神輿と称される巨大なものだそうです。



22.俺の割烹 新橋鹿火矢

「俺の割烹新橋鹿火矢」は烏森神社の少し先の狭い路地に面した目立たないところにあります。「鹿火矢(かびや)」とは聞き慣れない言葉ですが、田畑を鹿や猪などから守るために火を炊く小屋という意味らしいです。



店名との繋がりは不明ですが、「俺の割烹新橋鹿火矢」はお茶漬け専門のお店です。といっても、割烹の名が冠されていることもあり、お造り・揚げ物・すき焼きなどのメニューも揃っています。鯖寿司はお持ち帰りもできるみたいです。酔っ払って帰っても、鯖寿司を見せれば奥さんも機嫌を直されることでしょう。最後のシメはお茶漬けを頂くといった感じでしょうか。



入口の横に料理長のパネルが掲げられています。

佐藤信一料理長
ミシュランガイド東京版にて初の三ツ星を獲得した「玄冶店 濱田家」にて活躍し料理長も務めた。2013年俺の株式会社入社後は俺のシリーズ和食各店で料理長を歴任。和食の基幹店「俺の割烹 銀座本店」にて腕を振るう。



「赤レンガ通り」に入ります。「赤レンガ通り」は、新橋二丁目から六丁目まで約1kmにわたって続く通り名で、名前の通り道路にはレンガタイルが敷き詰められています。明治五年に発生した和田倉門外から起きた火事で銀座・築地一帯が焼失してしまい、明治政府は東京府に対して火災を免れるためレンガを使って建築する方針を決定しました。その後、新橋赤レンガ通りに赤レンガ造りの「清隆館」という勧工場(百貨店のようなもの)が出来たことが名前の由来といわれています。



23.俺のイタリアン 新橋赤レンガ通

新橋には俺の〜シリーズ初となる「俺のイタリアン新橋本店」が2011年9月にオープンしました。1号店の「俺のイタリアン新橋本店」は16坪で月商1900万円をクリアするなど、軒並み驚異的な繁盛を呈しました。それが閉店後、新しく出来たカンデオホテルズ東京新橋の1階に2017年12月にオープンしたのが「俺のイタリアン新橋赤レンガ通」のお店です。「俺のイタリアン新橋赤レンガ通」は、お店の前にテーブルと椅子が置かれ、パリの街角に佇むビストロのような外観をしています。



メニュー表には、定番のパスタやピザの他に、一品もののお料理も載っています。今はお昼を過ぎた時間帯ですが、ランチも営業中です。ワインは飲めるのかな?



お店のガラス窓にシェフのパネルが貼ってあります。

橋本改シェフ
二つ星レストランの「Sadier」や「Schoneck」など、1999年からイタリアで2年間修業。帰国後は「FARO資生堂」料理長、シャングリラホテル東京「ピャチェーレ」副料理長など歴任。



「俺のイタリアン新橋赤レンガ通」の赤レンガ通りを挟んだはす向かいに、俺の〜シリーズで都内に一店舗ある天ぷらのお店があります。最近、石塚英彦さんが運営しているYouTube「石ちゃんねる」でも紹介されたお店です。石塚さんは恵比寿にも出没していましたね。

24.俺の天ぷらバル 新橋

「俺の天ぷらバル新橋」は、俺のシリーズの新業態で、「高級な天ぷらをカジュアルに」をモットーに、誰でもふらっと立ち寄れるスタンドバルを目指して2022年8月19日にオープンしました。バルとは云っても、小テーブルですが全席着席となっています。



メニューには、天然大海老や穴子を始め、和牛や雲丹を使った変わり種まで沢山の品々が揃っています。寿司やあて巻もあります。「アテ巻き」の「アテ」とは「酒肴」を意味し、おつまみになる寿司のことをいいます。シャリが少なく、味付けされた具材が主役の細巻きで、「寿司居酒屋」や「寿司酒場」業態が2021年頃から増加してから知られるようになりました。



今日は新橋駅烏森口から帰宅の途に着きます。「俺の〜」のお店は銀座・新橋地区に集中しているので、距離の割には沢山のお店を激破しました。残りは大井町と蒲田の3店になります。一気に巡って蒲田の「俺のやきとり」で完歩祝杯を上げましょうかね。







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