大手町から日本橋川の流れに沿って江戸の中心地日本橋を横断します。日本銀行は幕府の金座跡です。三越本店は前身である三井越後屋の跡地に建っています。日本橋は江戸経済の中心地でした。魚河岸としてにぎわった日本橋川北岸から日本橋を渡り、日本のウォール街、兜町へ行きます。東京証券取引所の前身は明治11年(1878年)開設の東京株式取引所です。
鎧橋を渡った先は人形町です。ここは江戸時代、中村・市村両座が演目を競った芝居街でした。浜町へと抜ける甘酒横町には、昔ながらの下町のたたずまいが残っています。芝居街の伝統を継承する明治座を通り、浜町公園へ行きます。ここから新大橋を渡って隅田川を越えます。
新大橋の架橋は元禄6年(1693年)でした。千住大橋、両国橋に次いで隅田川に架けられた3番目の橋です。俳人、松尾芭蕉が江戸市中を離れ、深川の地に隠棲したのは、それより少し前、延宝8年(1680年)のことでした。芭蕉庵は小名木川にかかる万年橋のたもとにありました。芭蕉記念館には、芭蕉に関する多数の資料が展示されています。
清澄庭園は豪商、紀伊国屋文左衛門の別邸跡です。付近の成等院には文左衛門の墓があります。かつての深川は水運と材木の町でした。江戸時代に開削された水路網は木場の貯木場としても利用され、伝統芸能「木場の角乗り」を生みました。現在は、これらの水路を江東区営「水の都の水上バス」が走っています。
新大橋のたもとから江戸随一の盛り場、両国広小路へと北上します。途中の回向院は江戸勧進相撲の開催地でした。当時の相撲は野外興業だったのです。両国橋詰めの東西に広がる広小路は、昔も今も花火見物のメッカです。ここからさらに蔵前橋まで北に上り、幕府の米蔵が居並んだ蔵前の地へと渡ります。
『日本橋本所深川コース』は、大手町駅を起点にして、日本橋・兜町・人形町を経由し、新大橋に至ります。ここで2つに分かれ、一方は清澄庭園を経て門前仲町駅に至り、もう一方は両国を経て浅草橋駅に至る10.6kmに及ぶコースです。日本橋から隅田川両岸に至る下町は、かつての江戸の中心市街地です。ヨーロッパ人外交官によってイタリアのヴェニスにもたとえられ水の都でした。幕末期に多く描かれた、江戸鳥瞰図は、水辺に浮かぶ町人地の繁栄と賑わいをあますところなく伝えています。大江戸の中心、日本橋界隈は、江戸初期の大土木工事によって生まれた水路のまちです。芝居にゆかりの深い人形町・浜町、そこには今なお昔ながらの下町が残されています。墨田川の向こう岸は、深川木場です。芭蕉庵は万年橋ののたもとにあったといわれています。隅田川をさかのぼれば、そこは両国・蔵前の地です。文化文政期に花開いた橋と川の文化です。水辺の街並みは歩くにつれて姿を変えます。その移ろいの中に、それぞれの時代が見えてきます。
このコースは、次の5つの区間に分かれています。
師走に入りました。世の中はせわしくなりますが、私はヒマです。お天気もよぴので、今日は下町を散策してみようと思います。『日本橋本所深川コース』は、大手町から浜町に至り、隅田川に架かる新大橋を渡った先で二股に分かれます。ちょっと歩きづらいのですが、都心ですからどう移動するにしても交通の便は問題ありません。とりあえず、起点となる地下鉄の大手町駅に向かいます。11時半過ぎに大手町の駅に着きました。地下鉄を降りて地上に出ますと、そこはまるでマンハッタンの風景です。昔はビルの高さが厳しく制限されていた丸の内界隈ですが、近年とみに高層ビルが増えたせいで目印となるような特徴ある建物が視界から遮られ、地上を歩いていますと方向感覚がなくなってしまいます。ビルの谷間では、太陽の方角すら正確には分からないものです。とりあえず日本橋のドブ川に架かる常盤橋に向かって歩き始めたのですが、気が付いてみますと東京駅の方角に進んでいます。地図と照らし合わせてチェックしながら方角を定めても、なかなか思うように進めません。
何度か迷った挙句に、ようやっと常盤橋脇の公園に辿り着くことができました。普段なら何気なく通り過ぎるところですが、改めて資料を読みますと、ここは江戸城外郭の正門にあたり、この常盤橋は江戸最古の橋だったそうです。橋の袂にはその当時の石垣の一部が残っていて、公園の一角にはその保存に功績のあった渋沢栄一翁の銅像が立っています。日当たりの良い台座ではのら猫の兄弟が戯れています。どこで食料を調達するのか分かりませんが、よく生きながらえてきたものです。日本橋川を渡りますと、通りの向こうに日本銀行の旧館があたりを威圧しています。隣には貨幣博物館もありますが、あまり縁がないので見学はパスします。三越デパートの新館を横目に見て、日本の道路の起点になっている日本橋に出ます。歩道の脇には『日本国道路元標』の石碑が置かれています。橋を渡って川沿いに歩きますと、特徴ある野村證券ビルの脇を通ります。茶色にくすんだ外観ですが、さすがに証券界の重鎮に相応しく、歩道から窓を通してうかがえる建物の中は格式ある内装になっています。更に歩きますと、美術館のような石造りの巨大な建物が現れます。東京証券取引所です。まさに日本経済の心臓部ですね。昔、戦に赴く途中の平将門がここで嵐に出会い、鎧を投げ入れたら静まったという由来を持つ鎧橋を渡って人形町に向かいます。
兜橋から人形町の交差点に出ます。街の雰囲気はぐっと下町っぽくなります。人形町通りを水天宮の方向に向かって歩き、3つ目くらいのところに『甘酒横丁』があります。横丁の入口にあった甘酒屋尾張屋にちなんで名づけられたという路地ですが、明治座への通り道だったこともあって昔ながらの飲食店が建ち並んでいています。そういえば、何年か前に病気お見舞いの品を買いにこの横丁にある柳屋という鯛焼きのお店に来たことがあります。病気お見舞いに鯛焼きとは妙な取り合わせですが、余命幾ばくもないとお医者様から宣告されていましたので、何でもいいから食べたいものを買ってくると言いますと、柳屋の鯛焼きを食べたいと言うのでわざわざお店を探して買いに来たのです。お見舞いに鯛焼きを持参しますと、『やっぱり鯛焼きは柳屋に限る』と言って喜んで食べてくれました。それから間もなく亡くなりましたが、美味しそうに食べていたあの時の笑顔はいまでも忘れられません。