新宿中央公園から、林立する超高層ビル群にかけての一帯は淀橋浄水場の跡地です。昭和40年以降、この地は副都心計画によって急激な変化をとげ、現代の東京を象徴する街となりました。平成3年には新都庁舎が完成し、新しい都心はさらなる変貌をとげています。
新宿三丁目から二丁目、一丁目と、新宿通りをさかのぼります。ここは昔、甲州街道第一の宿場町として栄えた内藤新宿でした。新宿追分は甲州街道と青梅街道の分岐点でした。広大な新宿御苑は、内藤新宿の名の由来となった内藤家下屋敷の跡地にあります。四谷四丁目交差点の四谷大木戸跡は、甲州街道の江戸玄関口でした。
四谷大木戸から、かつて青山練兵場であった神宮外苑へ行きます。外苑の整備が開始されたのは明治天皇崩御後の大正4年(1915年)でした。青山通りから続くイチョウ並木は入口側ほど高く、奥行きを感じさせるよう工夫されています。ここから尾根道の甲州街道に戻る途上は、坂また坂の斜面に寺社が点在する四谷寺町です。中央線は台地の谷底にあたります。
四谷・赤坂の両見附をめぐって、赤坂一ツ木へ行きます。見附とは外堀沿いの要所に置かれた警備所のことです。外堀はかつて江戸城の外郭をグルリと包囲していました。四ッ谷駅から上智大学に沿った堤は、外堀内側に盛られた土塁の名残りです。弁慶堀は今なお水をたたえています。付近の高層ホテルはいずれも武家屋敷の跡地に建てられています。
『新宿コース』は、新宿中央公園を起点にして、新宿通り・外苑西通りから神宮外苑に入り、信濃町駅・四谷駅を経由して赤坂一ツ木に至る9.0kmに及ぶコースです。新宿の起源は、甲州街道第一の宿場であった内藤新宿でした。淀橋浄水場跡には超高層ビル群が広がります。新宿は水とのかかわりが濃い町です。玉川上水は今の新宿御苑前まで流れ、水際の桜並木が道行く旅人たちの目を楽しませていました。街道沿いに歩を進めれば、四谷大木戸跡に出会います。ここは江戸城下町への入口で、関所が設けられていました。あたりはかつての大名屋敷です。その広大な敷地に、神宮外苑をはじめとする皇室ゆかりの地がひらけています。街道は尾根道、四谷の台地を走っています。一歩街道をそれれば、尾根の支道が織りなす坂の多い街並みです。江戸初期に多くの寺社が移り住んだのは、谷をのぞむ高台でした。四谷見附橋を渡ります。見附はかつての御門が構えられた江戸城の最前線でした。橋下に広がっていたのは外堀でした。
このコースは、次の4つの区間に分かれています。
長く続いた東京秋天もようやく幕となり、今朝はどんよりとした曇り空です。天気予報では前線の影響で風も強くなるとか。。。こんな日は家でゆっくりと過ごしたいものです。と思ったのですが、薄日が射してきましたので、近場のルートを探してお散歩してみようと思います。どこにしましょうかね?『新宿コース』にしましょう!何故って?それは。。。
『新宿コース』の起点は、『中野石神井コース』と同じく新宿中央公園です。ちょっと出遅れましたが、山手線で新宿に向います。先日と同じように、新宿駅の西口から地下だか地上だか分からない通路を通って新宿中央公園に向います。この前は日曜日の朝でしたが、今日は金曜日の昼過ぎです。やはり人出が多いですね。公園通りの歩道橋を渡り、万歩計をリセットします。時刻は1時35分です。随分と遅いスタートになりました。また同じ道を戻り、適当なところで階段を上って地上に出ます。いつも不思議に思うのですが、ここから左回りに半周すると、新宿中央公園に戻ります。その間には階段はありません。つまり、連続した水路を永久に水が流れる『だまし絵』が如く、地上と地下がつながっているのです。
そんなことは私の勝手な思い込みかもしれませんが、新宿駅の西口から『思い出横丁』に入ります。戦後の闇市から続く庶民の憩いの場ですが、5年前に火災で大半が焼失したにもかかわらず、中央通路の両側には窮屈なカウンターを備えた飲食店が焼失前と同じようにひしめいています。2時近くになっていますので、昼食のお客さんは少ないようです。ケースにお惣菜を並べた定食屋さんのおかみさんがしきりとお客さんを呼び込んでいます。ここでランチというのもいいのですが、スタートが遅かったのでここで食べていったらお散歩は中止です。激安のメニューを眺めながら通り過ぎます。それにしても、焼き鳥屋さんのカウンターだけはお客さんで一杯です。それもビールを飲みながら。。。
ガード下を通って新宿通りに出ます。さすが若者の町・新宿です。雑多な人たちが通りを行きかっています。新宿はそういう若者をターゲットにした飲食店の激戦区でもあります。路地裏には、実に様々なスタイルのお店がひしめいています。あちこちからけたたましいサイレンの音と共に、消防車や救急車が走ってきます。空にはヘリコプターが飛び交っています。何事もなければいいのですけど。新宿通りを三丁目・二丁目・一丁目と歩いていきます。車が行きかう騒音と人の波では、『歴史と文化の散歩道』の風情が失せてしまいます。四谷四丁目の交差点を右折して外苑西通りに入ります。こうして歩いてみますと、新宿御苑の広さが実感できます。東京にも緑が多いですね。
国立競技場に沿って神宮外苑の中に入ります。広場の入り口には『御鷹の松』なる古木が植えられています。何でも、三代将軍徳川家光が鷹狩りの途中で後に国立競技場の敷地となった鏡妙寺で休息していたところ、江戸城より愛鷹「遊女」が飛来し、境内前庭の松に止まったとのだそうです。家光はこれを大いに喜び、この松を「遊女の松」と名付けたとか。それで『御鷹の松』と称されるようになったのだそうです。同じ敷地には俗名で『なんじゃもんじゃの木』というのもあります。なるほど、『歴史と文化の散歩道』には面白い発見がありますね。広大な敷地の絵画館の前を通りますと、あちこちに年配の方のグループが見えます。ちょうどイチョウ祭りがあっているとかで、イチョウ並木を見物がてらお散歩されているのでしょうか?児童遊園のところを左折しますと、直ぐに信濃町駅に着きます。そのまま通り過ぎようとしましたら、『吉宗』の文字が目に止まります。長崎では『茶碗蒸し』の元祖として有名な老舗です。ランチメニューはありませんが、本場のちゃんぽんとか皿うどんがあります。久し振りに味わってみますかね。。。
お店に入りますと、午後の中途半端な時間ということもあって、お客さんはだれもいません。テーブルにつき、『皿うどんを下さいな!』と言いますと、『細麺になさいますか、太麺になさいますか?』と訊かれます。そうなんです、普通は揚げた細い麺の上に具をのせるのですが、チャンポンに使う太い麺を使った皿うどんも美味しいのです。頭の中ではそう思ったものの、口では『細麺でお願いしますぅ。。。』と言ってしまいました。どちらも美味しいのですけど、関東では珍しい太面にすれば良かったと後悔します。本場と同じく、蒲鉾・竹輪・アサリ・海老・白菜などの具がたっぷりのった皿うどんは美味でした。辛子とソースの量が多かったせいか、食べ終わった後で喉が渇きます。今更ビールを飲むわけにもいきませんので、お茶で喉の渇きを癒します。あ〜〜〜、美味しかった!ちなみに、『吉宗』は『ヨシムネ』ではなく『ヨッソウ』と読みます。長崎では『茶碗蒸しは吉宗、カステラは福砂屋』が定番なのです。