03.二子・是政コース
『二子・是政コース』は、二子橋を起点にして、是政橋に至る14.5kmのコースです。
<総合案内板のコース紹介>
このコースは、世田谷区の二子橋から府中市の是政橋までの多摩川左岸沿いの多摩川堤を歩きます。河川敷はテニスコート、野球場、プール、グランドなどの各種スポーツ施設、水辺の子供広場、緑地公園などが連なり、レクリエーションゾーンとなっています。また、このコースの一部はサイクリングロードとして整備されています。
お正月明けの1月11日、午前中から冬晴れの快晴で、風はやや強いものの、冬とは思えない程のポカポカ陽気です。午前中に歩いた『丸子・二子コース』に引き続いて『二子・是政コース』に挑戦します。二子橋の袂の兵庫島に着いたのは12時43分でした。『丸子・二子コース』の終点、即ち『二子・是政コース』の起点には武蔵野の路の標識が見当たりません。二子橋は交通の要所であり、まわりより一段高くなっていますので標識を置くスペースがないからかもしれません。二子橋の橋脚の下を通っている遊歩道を歩いたのですが、そこにも標識はありませんでした。二子橋を越えた先の河川敷の中に中州みたいな小さな島が見えます。とりたてて何もなさそうですが、ひょっとして標識が置いてあるかもしれません。多摩川とここで合流する野川に架かる兵庫橋という小さな橋を渡って島に入ります。島内には大きな看板はあるのですが、武蔵野の路とは関係ない『兵庫島公園』の案内図でした。公園といっても中州のようなものですから、広場とか休息所のような施設があるわけではありません。多摩川を散策するついでに訪れるようなところです。でもこの島はかなり前から存在していたようです。
兵庫島の由来
兵庫島は、もともと多摩川と野川が吐き出す泥砂の堆積により形成されたデルタであり、現在の位置より一町程上流にあって完全に島の形を成していました。しかし、度々の洪水により移動を重ね、現在では殆ど陸続きのひとつの洲に過ぎなくなっています。
正平13年(1358年)に新田義貞の子義置興が鎌倉の足利基氏を討ち新田家の再興をはかろうと、上野国(群馬県)から13人の従者と共に鎌倉に兵を進めた折、多摩川矢口の渡しで江戸荘の領主江戸遠江守らの策略とは知らずに、差し向けられた船に乗ってしまいました。船頭はかねて仕掛けた船底の栓を抜き、櫓を流して水に飛び込み逃げてしまいました。船は沈みかけて鎧・兜の武士達は身動きできず、同時に両岸からは江戸ら数百の軍勢がときの声を上げて矢を射掛けました。もはやこれまでと、義興は自害しましたが、気強い従者は対岸に泳ぎ着き、群がる敵兵を斬りまくって自害し果てる者もありました。中でも、由良兵庫助、同新左衛門兄弟は舳先に立ち、刀を逆手に取り直して互いに自分の首を切り落としました。兵庫島の由来は、その壮烈な死を遂げた由良兵庫助の屍がデルタ(兵庫島)に流れ着いたことに起因しています。
度々氾濫を繰り返したであろう多摩川という大河の中洲でありながら、700年近くも前の故事から現在に至るまでその姿を留めているとは驚きです。島の中のちょっと小高くなったところに若山牧水の碑があります。およそ文学とは縁のなさそうな殺風景な島なのですが、この近くに住んだことのある若山牧水はしばしばこの兵庫島を散策したのだそうです。傍には大きな岩に掘り込んだ歌碑が置かれています。凡人には雑草にしか見えない草花でも、歌人の手にかかると文学の香りを漂わせるとは素晴らしいですね。牧水は、河原に逞しく咲くたんぽぽを見て自身の境遇を詠んだのでしょうか?私にはたんぽぽはオムレツしか連想できませんが。。。
多摩川の 砂にたんぽぽ 咲くころは われにもおもふ 人のあれかし
今は暗くうら枯れた河原だが、春もたけなわになって、この砂地にたんぽぽの花が咲く頃には、自分にも新しい恋人がいるだろう、いて欲しい。。。という意味だそうです。
兵庫島でえらく道草を食ってしまいました。先を急ぎます。今日のコースは多摩川の堤を歩くこともできるのですが、せっかくですので河川敷の遊歩道を歩くことにします。今は冬場なので背の高い草も枯れ果て、遊歩道を歩いても虫に刺されることはありません。晴天続きで乾いた砂利道をひたすら歩いて行きます。暫く歩いて行きますと、土手の上にサイクリングロードが見えます。緩やかな坂を上って土手の上を歩きます。ちょっと高くなった分だけ見晴らしが良くなります。視界の先のだだっ広い河原の真ん中になにやら巨大な麦藁の塔が見えます。バレンシアの火祭りの儀式でしょうか?いやいや、昔から伝わる『とんど焼き』または『どんど焼き』といわれる小正月の行事の準備のようです。昔は田んぼの中でお正月の注連飾りを山のように積んで火を付け、残り火でお餅を焼いて食べたものですが、東京にもそういう風習があったのですね。
また暫く歩きますと、東名高速の橋脚が見えてきます。その袂には警視庁の自動車教習所があります。午後の教習でしょうか、20人くらいの白バイ隊員が横一列に並んで教官の掛け声に合わせて乗り降りを繰り返しています。お巡りさんも楽ではありませんね。世田谷区を離れ、狛江市に入ります。沿道は工場とか廃棄物処理場とかが建ち並び、段々と殺風景になってきます。でも河川敷のところどころには公園が点在し、住宅も集まっています。その先に小田急線の鉄橋が見えます。鉄橋の先には多摩水道橋がかかっています。水道橋といえばアヴィニヨン近郊のポン・デュ・ガールとかセゴビアのローマ水道橋を思い出しますが、狛江の多摩水道橋は一見すると普通の道路橋のようです。現代では高低差を利用しなくても水を送れますので、ローマ人のように橋げたを高くする必要はないのでしょう。でも、ちょっとロマンスに欠けますね。。。
狛江市の外れにきました。土手に小さな広場があり、大きな松の木が何本か立っています。『多摩川五本松』というのだそうです。格別のいわれはなさそうですが、新東京百選にも選ばれた名所だそうです。狛江市から調布市にかけての広大な敷地に、都公社の多摩川住宅の建物が並んでいます。全部で何棟あるか見当もつきません。古い団地のようですが、成長に合わせて育ったのでしょう、桜の並木が続いています。お花見の季節にはさぞかし豪華絢爛な眺めになるのではないかと思います。このあたりは堤の上の遊歩道というより、サイクリングロードといった感じの道が続いています。舗装されていてとても歩きやすいのですが、冬場のせいか途中で長々と河川工事をやっていて、サイクリングの人や歩行者は迂回しなければなりません。でも車道脇の歩道もとても歩きやすいので苦にはなりません。桜が咲いていたらもっと楽しめますが。。。
大分歩いて喉が渇いてきました。熱いジュースでも飲みましょうか。京王相模原線の京王多摩川駅手前に小さな観音様を祭った社があります。多摩川白衣観音といって、明治43年(1910年)の大雨の時の洪水でどこからか流れ着いた観音様だそうです。今でも地元の信仰が厚いのか、お掃除が行き届いています。それはさておき、近くの自動販売機でジュースを買ってベンチで飲もうかと思ったのですが、高校生風のカップルがベンチに座って話し込んでいましたので遠慮します。水分を補給して少し元気を取り戻しました。京王線の線路の下を通って京王閣競輪場を通り過ぎ、鶴川街道の多摩川原橋を越えます。府中市に入りますと、河川敷には広大な緑地が連なっています。このあたりには多摩川競艇場とか府中競馬場がありますが、マンションも多く建っています。是政の渡し跡を過ぎれば是政橋は直ぐです。
あたりが薄暗くなる中、16時04分に是政橋に到着しました。中央の塔から張った鋼鉄のワイア束が橋桁を支えています。鋼斜張橋というらしいのですが、美しい形状をしています。是政橋はまだ真新しく、立派な歩道も付属しています。今日のお散歩はここで終点です。丸子橋から歩き詰めで結構疲れました。こういう時に帰りの交通手段が不便だと疲れも倍増するのですが、競艇場が近くにあるためか、西武多摩川線が是政橋のすぐ近くまで通っています。橋から200m−300m位でしょうか、交差点のちょっと奥に小さな駅舎が見えます。近付いて行きますと、思ったより綺麗な駅です。ホームには既に黄色の電車が停まっています。慌てて切符を買い求めて電車に乗り込みます。車内はガラガラですが、それでも少しずつ乗客が乗り込んできます。暫くすると前方から電車が来ます。この線は単線で、入れ替わりの電車が到着しないと発車できないようです。さあて、運転席の後ろに陣取って沿線の風景を楽しみましょうか。。。
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『二子・是政コース』の歩数は19、919歩、所要時間は3時間21分でした。
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