05.滝山・草花丘陵コース









『滝山・草花丘陵コース』は、多摩大橋を起点にして、滝山自然公園、草花を経由してJR青梅線の羽村駅に至る17.0kmのコースです。

<総合案内板のコース紹介>

このコースは昭島市多摩大橋から羽村市羽村駅までの多摩川右岸沿い自然公園内のハイキングコースをつないだ起伏にとんだ約14.2kmのコースです。周辺は田畑・山林風景が広がり、河川敷きには大規模運動場が整備されています。高台からの多摩川の眺め、自然の地形を利用したハイキングコース、そして河川の堰など多様な楽しみが味わえるコースです。

<パンフレットのコース紹介>

多摩川が育んだ緑豊かな丘陵地帯を巡るコース。ススキ野の美しい多摩大橋から、滝山自然公園となっている丘陵のふもとを滝山街道沿いに巡り、草花丘陵ハイキングコースヘ。そして玉川上水の水源、羽村堰へ至る。コースを少し右にはずれると、多摩川の川原が広がる。対岸にあるのが、「ダルマ市」で知られる拝島大師や大日堂のある拝島公園。この近辺は古社寺が多い。多摩川と秋川の合流点、急流が削った断崖の上に、中世の山城、滝山城跡がある。戦国時代、激しい合戦が行われた古城跡も、今は人々の憩いの場。春は桜の名所として名高い。羽村堰付近は羽村堰下公園として整備され、周囲には江戸の史跡が残っている。近くの羽村市郷土博物館では、玉川上水の開削の様子を知ることができる。



1月13日に『是政・昭島コース』を踏破し、終点の多摩大橋に14時38分に到着しました。でも、多摩大橋付近には適当な駅がありません。地図で見ますと、八高線の小宮駅というのが一番近そうです。小宮駅までの道のりは、ちょうど『滝山・草花丘陵コース』の一部になっています。距離にして2km位ですから歩いても大したことはないでしょう。小宮駅に行くには目の前の多摩大橋を渡らなければなりません。最近の新しい橋は歩行者のことも良く考えて造られていますので、車道と完全に分離して歩道が併設されています。ガードレールは勿論のこと、対向者とゆったりすれ違えるほど広い道幅を確保しているのが普通です。ところが、この多摩大橋を造った頃はそんな考え方は贅沢と見做されたのか、とにかくこの橋の歩道は貧弱なのです。一応車道より10cm位高くなっているのですが、歩道と車道の間にはガードレールもフェンスもありません。おまけに橋の左側の歩道を通ったもので、後ろからダンプカーや大型トラックがビュンビュン走り抜けていきます。橋を渡っている間、生きた心地がしません。右側の歩道でしたら対向する車が視界に入りますので、そんなに怖くはないのですが。。。

恐怖の多摩大橋を渡り終えて、八王子市に入ります。そのまま道なりに進みますと、小宮駅入り口という三叉路に出ます。ここから右手に小さな路地があるのですが、とても駅に通じるような道幅の道路とは思えません。裏庭に入るための路地のようなものです。ほんの200mほど歩きますと、ちょっとした広場があって、その奥に真新しい立派な駅舎が建っています。時刻は15:00になっています。とりあえず、『滝山・草花丘陵コース』の第一部を歩いたことにします。階段を上って切符売り場に行きます。さすがに家から遠く離れた小宮駅からだと、乗車券は820円もします。お散歩にもお金がかかりますね。。。それに、この八高線はこの時間帯には1時間に2本しか電車が通りません。ひかも、ちょうど前の電車が出た後のようで。。。ひかたがなぴ、青空でも眺めながら次の電車を待つことにひまひょう。。。

1月18日になりました。今週の土曜日から避寒のためにオーストラリアのパースに行くことにしています。『滝山・草花丘陵コース』は距離が長い上に、交通の往来の激しい街道沿いとか山道とかを歩きます。車にはねられたり熊に襲われたりしたら折角払い込んだ旅行費用がパーになってしまいます。でも、コースの一部を歩いたまま中途半端にしておくのも心残りですので、お天気の良い今日残りを歩こうと思います。またまた820円の切符を買って、山手線・中央線を乗り継いで八王子駅に向かいます。八高線の電車の間隔は長いため、接続が悪いと貴重な時間を潰してしまいます。昨夜、インターネットで八高線の時刻表を調べ、八王子駅での接続がスムーズにいくよう綿密に計画を立てています。ところが、新宿駅で乗った中央線の快速電車が思ったよりも時間がかかり、立川駅あたりで八王子駅での接続が怪しくなります。日野駅ではやや無理かなと思い、豊田駅ではもう殆ど無理と諦めかけます。ところが、八王子駅に到着したら何と隣のホームに八高線の電車が停まっているのです。これは天の助けとばかりに、脱兎の如く階段を駆け上がり、隣のホームに駆け下りようとした瞬間に電車が動き出しました。呆然と後姿を見送ります。次の電車は30分も後の発車です。ツイてないですな。。。

30分もどうしよう。。。と思い、八王子駅の構内を歩き回ります。蕎麦屋さんがあったのですが、お散歩の途中でのお得なランチとの巡りあいを期待してパスします。時間を持て余してホームに下りてみますと、まだ発車までは大分時間があるのに、電車がホームに停まっています。どうせなら電車のシートに座って今日のルートを地図で確認しようと電車のドアを見たら閉まっています。でも車内には乗客の姿がチラホラ。どうやって乗り込んだのでしょうか?今日のお天気は冬晴れで上々なのですが、さすがに身を切る寒さです。八高線の電車はそういう寒さへの対策なのでしょうか、発車まで電車のドアを閉め、乗客は開閉ボタンを押してドアを開けるのです。おかげで冷たい風が車内に吹き込むことはありません。首都圏でもこんな電車が走っているのですね。。。

八王子駅から小宮駅までは僅か2駅しかなく、乗っている時間はほんの数分です。八王子駅でうまく接続していたら貴重な30分を無駄にはしなかったのですが。またまた小宮駅に来ました。時刻は11時25分です。今日のコースは17kmとのことですが、この間2kmほど歩いたので今日は15km位を歩くことになります。駅から路地を通って多摩大橋から続く道路に出ます。直ぐに八高線を跨ぐ小宮陸橋を渡ります。田島橋という交差点で右に曲がり、滝山街道に出ます。結構車の往来が激しいですね。周りにはところどころに畑が散在しています。歩道はそこそこの幅がありますので歩くのに危険ということはないのですが、大型車の排気ガスには参ります。どうもこういった幹線道路沿いを歩くのは苦手です。暫く歩きますと、道路わきに小さなレストランが建っています。小平のマ・メゾンのようなちょっと気が引かれる外観です。近付いてメニューを覗き込んでみますと、ランチメニューが書かれています。失礼ながらこんな場所には不似合いなほどいいお値段をしています。お店の中を見ますと、なかなかにいい雰囲気です。ググッと気が惹かれますぅ。。。でも、ここで食べたら、日のあるうちにとても羽村駅まで着けそうにありません。残念ながら諦めることにします。



更に歩いて行きますと、滝山街道は国道16号線とくっつくような格好になります。でも、また暫くしますと二手に分かれます。左入町というところで16号線を越えますと(このあたりで16号線はT字型になっていて、先ほど並走していた道路は本来の東京環状道路から枝分かれしているのです)、道幅も狭くなり交通量もかなり少なくなります。ひたすら歩いて行きますと、道路から遥かに奥まったところに何棟かの建物が見えます。何だろうと思いましたら、建物の壁に創価大学と大書きされています。それにしても広大な敷地と立派な建物です。通うのも大変でしょうけど。。。道路の右手にはこれまたレトロな学舎の東京純心女子大学の巨大な建物が建っています。昔は確か純心女子大学だと思ったのですが。。。



あたりは段々と山里の雰囲気が漂うようになります。丹木町3丁目の交差点を右に入り滝山城址をを目指します。道路は広くて交通量も多いのですが、周辺は林になり人家も殆どありません。道路の両側が切り立った崖になっているので、家を建てようにもスペースがないのかもしれませんが。。。本当は滝山城址に登って山頂から景色を眺めたかったのですが、生憎と入り口が見つからず道路から見上げるだけにします。また桜の季節に来てみたいものです。坂道を歩きます。

滝山城跡

秋川と多摩川が合流する急流、それを見下ろす断崖の上に築かれた滝山城は戦国時代の典型的な山城です。永正18年(1521年)、武蔵国の守護代であった高月城主の大石定重によって築かれました。その子正久に受け継がれた後、天文15年(1546年)、関東制覇を成し遂げた北条氏の所有となり、正久の養子となった北条氏照の居城となりました。城は60年間の間、これら3代の居城でしたが、その間天文21年(1552年)には上杉謙信、永禄12年(1569年)には武田信玄の侵攻を受けました。特に信玄は2万の兵で猛攻を加えましたが、氏照は僅か2千の兵で持ちこたえ、滝山城は関東屈指の名城とうたわれました。その3年後、氏照は武田勢に備えるために新しく築いた八王子城に移り、滝山城は廃城となりました。滝山城跡は関東最大の規模を誇った頃の威容を今も留めています。城跡には、本丸・二の丸・三の丸の跡、当時は取り外しが可能だったという引き橋、持久戦に備えて掘られたという古井戸、空堀などが残されています。周囲はシャガの葉に覆われ、所々の崖から湧き水が流れています。標高約170mの城跡からは、秋川や多摩川の流れや、拝島の大日堂の森を眼下に、武蔵野台地・狭山丘陵・草花丘陵などが見渡せます。また、このあたりは『一目七千本』といわれるほど桜が多く、春には滝山城千畳敷の広場が大勢の花見客で賑わいます。現在、この城跡を含む滝山丘陵は都立滝山自然公園になっています。


滝山城跡を過ぎたあたりから、道路は緩やかな下り道となります。手中交通取締りをやっているのでしょうか、沢山のお巡りさんがいます。ドライバーにとっては鬼門なのでしょうが、こういう人気のない山道では心強い限りです。やっと平地に下りてきました。右手には広大な河原が広がっています。ちょうどこのあたりで秋川と多摩川が合流するようです。河原の一画には厳重に周囲をフェンスで囲んだ高月浄水場があります。円通寺を過ぎたあたりで道路は細くなり、歩道もなくなります。道路の両側は民家の塀が続き、車がすれ違うのもやっとの道幅です。こんな道路を大型車がひっきりなしに通るのですから、歩行者はたまったものではありません。車の往来を確かめて、途切れた瞬間にスペースのあるところまで一気に走るのです。ここは、このコースの中で歩くのに一番ヒヤヒヤしたところです。やっと難所を抜けたところで東秋川橋に出ます。ここには人道橋が併設されていて、橋の中央部には秋川を眺めるための半円形のスペースが作られています。流れは細いですが、一応清流の感があります。



橋を渡りますと、どうどう坂に出ます。坂といっても大した勾配ではありません。坂を上りきった先に宝清寺があります。いわれは分かりませんが、なかなかに立派なお寺です。その先に陸橋通りという道路が通っているのですが、その奥に法林寺があります。こちらも由緒ありそうなお寺です。



今度は陸橋通りを右に曲がります。交差点の角には熊野神社があります。大して大きくはないのですが、ここの境内には推定樹齢が400年という公孫樹(いちょう)の大木があります。幹周りが6.5mもあり、秋には500リットルほども実が採れるとのことです。焼き鳥、茶碗蒸し、ビールのおつまみなど、幾ら食べても食べきれませんな。。。更に直進して、JR五日市線の線路を越えます。何と単線ですね!二宮本宿の交差点を左に折れた先に二宮神社があります。ちょっとした丘の上にあるようで、坂道を登って行った先に広場があり、その奥に風格のある社殿があります。広場の右手には二宮考古館という建物がありました。今日は閉館のようでしたが、何か古代の遺跡でもあったのでしょうか?



考古館の周囲には幾つかの展示物が置いてあります。山道に道標は必須ですが、昔の道標は石に刻んだのですね。



雨間の道標(みちしるべ)

これは、かって市内雨間409番地の古道沿いにあった道標です。年号が記されていないために正確な製作年代を知ることはできませんが、古老の話では昭和の初めには既に建てられていたといいます。交通手段が未発達の時代に東秋留方面から御嶽山(青梅)、今熊山(五日市)方面へと道行く人を案内する大きな役割を担っていた道標です。


今度は五日市街道を歩きます。少し歩いたところで右手に折れ、住宅地の中の路地を北上します。袋小路などがあって結構時間がとられます。平井川に架かる平高橋を渡って、いずみ通りを少し歩きます。このあたりも枝分かれした小道が多く、どこを通るか迷ってしまいます。適当なところで右手に折れ、北上します。ちょっと広い道路に出ました。道路を越えて更に北上しますと、草花通りに出ます。なかなかロマンチックな名前ですね。草花通りを越えたところに慈勝寺があります。背後には山が迫っていて、いかにも山寺といった感じです。

慈勝寺

慈勝寺の裏手には、タブノキ(イヌグス)が高く聳えています。タブノキはクスノキ科の常緑高木で、暖地に自生し、主に海沿いの地域に多く分布しています。このタブノキは、樹高が約21mあり、地面から1.2mの高さで幹周りが約4.8mと見事な姿をしています。この地域では『ナンジャモンジャ』とも呼ばれています。




これはモッコクという木だそうです。


慈勝寺と狭い道路を挟んだ反対側が羽村草花丘陵自然公園になっています。公園というよりは、小山のような感じです。ちょうど慈勝寺の入り口付近に公園への入り口があります。あたりには人気はないし、山の中に一人で分け入るのも躊躇されたのですが、意を決してコースに入ります。少し先に案内の大きな看板があります。『都内かたらいの路全図』として、幾つかのコースが紹介されています。『武蔵野の路』を歩き終えたら挑戦してみますかね。。。



案内板の先はいよいよ本格的な山道になっています。といっても、両側には木の柵が設置されていて、道はよく整備されています。大澄山とありますが、山というほどのことはなさそうです。石ころだらけの坂道を登っていきますと、木々は枯れ果て、道には落ち葉が積もっています。今にもお腹を空かせた熊とか猪が肉付きのよいひわためがけて襲いかかってきそうです。おー、怖!周囲には人影も見えないし、早くここを抜けましょう。分かれ道で迷いましたが、なるべく人里に近いほうの道を選んで歩いていきます。結構標高があるのか、遥か多摩川の先に福生とか羽村の街並みが見えます。更に山道を歩きますと、小さな広場があり、神社がひっそりと佇んでいます。こんなところにと思って近付いてみますと、『滝山・草花丘陵コース』と書かれた武蔵野の路の標識があるではありませんか!この道で正しかったのですね。。。坂道を下っていきますと、先ほどの神社に続く一段が伸びています。傍には『草花神社』の謂れが書いてあります。あれがそうだったのですか。。。



ここでようやく人家に出ます。ホッとしました。ここから羽村の堤を目指すのですが、コースのパンフレットには大まかなルートしか書いてありません。本当は草花通りを進み、氷沢川に架かる氷沢橋を渡って北上するようですが、間違えて草花通りを通り過ぎ結局大回りをしてしまいました。路地に迷い込みながらも、なんとか氷沢橋の袂に辿り着きました。。。



左手には小高い丘が見えます。あんな高いところを歩く筈がない。。。と思い、多摩川に架かる羽村大橋の手前から川沿いに小道を歩いて羽村郷土博物館に向かいます。結構先にありますねぇ。夕陽は丘の向こうに隠れ、あたりも薄暗くなってきましたので急ぎ足になります。郷土博物館の手前で標識を発見しました。ナント、本当のコースはあの小高い丘の上を歩き、かなりUカーブを描いて郷土博物館の先に出るらしいのです。トンデモナイ距離です。まともに歩いていたら山の中で野宿になったことでしょう。。。



郷土博物館のところから多摩川の土手に上ります。土手の上は快適なサイクリングロードになっています。振り返りますとあたりはすっかり薄暗くなり、カラスも家路に向かっています。ちょっと焦りますね。。。



ここが武蔵野の路の環状ルートの中では西の果てになるようです。東京湾から54kmも離れてきました。よくもこんなところまで歩いてきたものです。。。



土手を歩いた先に、羽村大橋とは別に多摩川を渡る羽村堤下橋という人道橋が架かっています。人と自転車専用の橋ですが、橋の途中からは羽村の堰や多摩川の流れを見ることができます。



橋を渡ったところの河原に玉川上水を造った玉川兄弟の像があるそうなのですが、もう寄り道はできません。玉川上水を渡って羽村駅に急ぎます。途中に東谷山禅林寺というお寺があり、ここの墓地には『大菩薩峠』の著者である中里介山のお墓があるそうです。中里介山って羽村の人だったのですか。。。



禅林寺の先にちょっとした坂道があり、その坂を上りきったところに『馬の水飲み場跡』と書かれた木の板がかかっています。今では水は出ていないようですが、次の謂れがあるそうです。



馬の水飲み場とお寺坂

ここには豊かな湧き水を利用した馬の水飲み場がありました。坂の下に住む農家の人たちは、畑がハケ(段丘)にあったので、この坂に大変苦労し、肥料や収穫物の運搬は荷車を引く馬に頼っていました。このため、急な坂を上った所に水飲み場を作り、馬を労わりました。明治27年(1894年)に青梅鉄道が開通してからは、多摩川の砂利を羽村駅まで運搬する馬の水飲み場としても大いに利用されました。この坂は近くに禅林寺があるので、お寺坂と呼ばれ、明治時代の中頃までは荷車がやっと通れる程の道幅でした。


新奥多摩街道を越えると、青梅線の羽村駅の入り口です。駅に着いたのは16時28分でした。5時間ほど歩き続けたことになります。20km以上は歩いた感覚です。いんやぁ、今日は山道がかなりあったせいか疲れも相当なものです。電車に乗ってさっさと家に帰りましょう。。。




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『滝山・草花丘陵コース』の歩数は1、883 + 26、431歩、所要時間は22分 + 5時間03分でした。
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