11.浮間コース(二回目)







『浮間コース』は、荒川戸田橋緑地を起点にして、荒川江北橋に至る10.5kmのコースです。

<総合案内板のコース紹介>

このコースは板橋区内荒川右岸(新河岸1丁目付近)から同じく荒川右岸江北橋までの、主に堤防天端、高水敷を利用した約10.5kmのコースです。周辺には、広大な河川敷の中にゴルフ場、野球場、公園などのスポーツ・レクリエーション施設が整備されています。また荒川全般についての情報収集、体験学習等が行える荒川知水資料館amoaがあります。



10年前になりますが、東京都が制定した「武蔵野の路」21コースを歩きました。このうち、9コースについては踏破記を書きましたが、残り12コースについては未完となっていました。今回、一念発起して踏破記が未完のコースについて、再度歩き直して完成させようと思います。

今回は「浮間コース」です。正式には、板橋区の新河岸一丁目の荒川土手が起点になりますが、今回は逆方向に歩きますので、荒川江北橋が起点となります。江北橋は、先月歩いた「舎人コース」と、この後歩く「石神井川コース」の起点にもなっています。



江北橋と並行して、荒川の上流側に架かる珍しい形をした橋があります。首都高速中央環状線専用の橋ですが、何が珍しいかといいますと、道路部分が2階建てになっているのです。近くの公園にその解説が書かれた案内板が設置されていました。



五色桜大橋の由来


明治から昭和の初期にかけて、足立区江北から堀之内・鹿浜一帯は「荒川の五色桜」と呼ばれる桜の名所であり、花見どきは多くの人々でにぎわいました。荒川のこの場所に、首都高速中央環状線の橋が架かりました。この橋はダブルデッキニールセン・ローゼ橋という世界で初めての形式です。ここに、五色桜をより広めたいとの地域住民の願いにより、橋の名前が「五色桜大橋」となりました。

浮間コースのルートは全区間が荒川土手に設けられ、殆ど名所とか史跡の類は期待できないだろうと思っていましたが、歩き出して直ぐに「阿弥陀の渡船場跡」の案内板を見付けました。当時の荒川は現在の隅田川を指していたそうで、地図を見るとこの辺りで大きく蛇行しているのが見てとれます。現在の荒川放水路がなかった明治以前は、この辺りはどんな風景が広がっていたんでしょうね?



阿弥陀の渡船場(あみだのとせんば)跡


ここにはかって豊島村から沼田村(足立区)への渡船場がありました。この渡船場は、豊島の渡・六阿弥陀の渡・中の渡・原の渡とも呼ばれていました。旧荒川(現隅田川)の流路は、現在の荒川まで大きく湾曲していて、この地形を天狗の鼻と呼んでいました。渡船場は湾曲の頂点より少し下流に位置していました。豊島清光の造仏伝承にまつわる六阿弥陀詣が、江戸時代中期以降に盛んに行われるようになりました。この渡船場は、六阿弥陀詣の一番西福寺(北区豊島2−14−1)から二番延命寺(江北橋北詰辺にありましたが、明治9年恵明寺(えみょうじ)に合併されました)への参詣路にあたっていたため、六阿弥陀詣の行われる春秋の彼岸の時には、参詣客でとくに賑わいをみせました。文化11年(1814年)頃に当地を訪れた十方庵敬順(じゅっぽうあんけいじゅん)は、この渡船場付近の川端の様子を、「荒川の長流にそひて、左右の渚の景望はいふもさらに、弓手は渺茫たる耕地を見わたし、心眼ともに打はれて、実に賞すべきの景地 たり」と記し、こうした土地に住んで、花鳥風月になぐさめられて暮らしたならば、寿命も延びるであろうと賞賛しています。明治44年(1911年)から荒川の河川改修工事が始まり、次いで、この付帯事業として大正12年(1923年)4月荒川放水路(現荒川)に江北橋が、同14年荒川(現隅田川)に豊島橋が架橋され、この渡船場も姿を消していきました。

江北橋から上流に向かって、広大な(というか、細長く伸びた)ゴルフ場が広がっています。池ポチャはまだしも、川ポチャになったらどんなルールが適用されるのでしょうか?そんな下らないことを頭に浮かべつつ、ずんずん歩いて行きますと、前方に巨大な水門が見えてきます。色は大分褪せてきていますが、ゲート部分は青く塗られています。ここが荒川と隅田川の分岐点となっています。豪雨で荒川の水量が増え、流量調節のために隅田川に通じる水門を閉じるのは見たことはありませんが、巨大なゲートの下部分には泥がこびりついていました。先日の集中豪雨の時に閉じたのでしょうか?橋を渡った先には、鮮やかな紅色の水門が見えます。一回り小ぶりですが、昭和の終わりころまで使われていた旧岩淵水門だそうです。



旧岩淵水門、通称「赤水門」は、大正13年に荒川放水路計画の一部として、隅田川との分岐点に設けられました。この水門により、大雨が降ったときに隅田川への大水の流入が防がれ、同時に流下能力のある荒川放水路へ導くことができるようになり、都内の洪水がなくなりました。その後、昭和57年に新しい青色の水門が完成し、機能の役割が引き継がれ、赤水門はその役目を終えました。現在、土木遺産としての価値が高いことから保存されており、間近で往年の水門を眺めることができます。

岩淵水門の近くに、荒川知水資料館(amoa)という国土交通省の施設があります(amoaとは、「Arakawa Museum Of Aqua」の略だそうです)。子供だけでなく、大人も楽しめるいろんな体験型展示もあるようですが、生憎月曜日は休館とのことで見学はできませんでした。浮間コースには、武蔵野の路の標識が殆ど設置されていません。新荒川大橋と京浜東北線の橋脚の間にあったただ一つの総合案内板以外には、土手上には誘導標識が一個見つかっただけでした。しかも、殆ど表面は剥げ落ちた状態で、何も読み取れませんでした。



更に歩いて行きますと、戸田橋を過ぎ、終点の荒川戸田橋緑地は目の前です。でも、幾ら探しても何も標識は見つかりません。仕方がないので、土手を降りて新河岸一丁目のT字交差点で浮間コースを歩き終えます。浮間コースは殆ど土手の上を歩きますので、雄大な荒川の流れを眺めつつ、気持ちの良い歩きが楽しめました。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『浮間コース(二回目)』の歩数は15、140歩、所要時間は2時間42分でした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−







戻る