13.水元・柴又コース(二回目)
『水元・柴又コース』は、葛飾区の大場川水門を起点にして、江戸川水門に至る15.1kmのコースです。
<総合案内板のコース紹介>
このコースは、葛飾区新大場川水門から江戸川区江戸川水門までの河川沿いの平坦な15.1kmのコースです。水元公園や江戸川河川敷のスポーツレクリエーション施設があり、サイクリングロードも整備されています。矢切の渡しや柴又帝釈天をはじめとする多くの寺社など、昔ながらの賑わいが味わえます。
10年前になりますが、東京都が制定した「武蔵野の路」21コースを歩きました。このうち、9コースについては踏破記を書きましたが、残り12コースについては未完となっていました。今回、一念発起して踏破記が未完のコースについて、再度歩き直して完成させようと思います。
今回は「水元・柴又コース」です。先日歩いた舎人コースの終点である新大場川水門が起点になります。先ずは、東京都と埼玉県の境界を流れる大場川に沿って歩きます。新大場川水門付近には武蔵野の路の標識は何もありません。
水門から大場川沿いに細い道路が延びています。一車線のみの遊歩道のような道路ですが、舗装してあるので車がビュンビュン通ります。桜並木が続いていますので、車が通らなかったら格好の散策路になると思うのですが。ちなみに、この道路には「水元さくら堤」という愛称が付けられています。暫くは大場川を左手に見ながら、後ろから疾走してくる車を気にしつつ歩きます。水元五丁目三差路の交差点を過ぎると道路は二手に分かれます。標識がないのでどちらに進むか迷います。左手に少し進んだところで、道路の反対側に見慣れた標識が見えました。交番の真ん前ですが、車が途切れているのを確かめて道路を横断します。三差路で右側の道に進むのが正解だったようです。10年前はどっちを歩いたのでしょうか?当時の写真を見てみますと、左手に進んで閘門橋まで行ったようです。あの時は日暮れ時で標識に気がつかなかったからなのでしょうか?
標識の地図を確かめると、ルートは水元公園の南端に沿って水元さくら堤通りを進むようになっています。ひとまず安心です。ここからの水元さくら堤通りは車道と完全に分離され、舗装もされてとても歩きやすいです。それにしても水元公園は広いですね。公園は「小合溜」と呼ばれる人口湖みたいな池を取り囲むように配置されています。小合溜とは、江戸時代の治水事業の名残りで、もともとは葛西用水の貯水場だったそうです。釣仙郷とも呼ばれていて、今は釣り人の天国になっているとか。一日中でも遊べそうですが、今日のところはパスします。
暫く単調に歩いて行きますと、遊歩道脇に「葛飾区史跡 しばられ地蔵」と書かれた旗が見えました。ここまで何も見るべきものがなかったので、遊歩道からそれて南蔵院というお寺に立ち寄ってみようと思います。しばられ地蔵は、元々は現在の墨田区吾妻橋に置かれていましたが、昭和になって当地に移転したのだそうです。境内の奥の堂の中には、首だけ出して体中をぐるぐる巻きにされたお地蔵さんが鎮座されています。塩地蔵とかもありますが、地蔵さんも大変ですな。
しばられ地蔵の由来
江戸時代の享保年間、八代将軍徳川吉宗の治世。日本橋にある呉服問屋の手代が南蔵院の境内でうっかり一眠りしている間に反物を荷車ごと盗まれてしまいました。調べに当たった名奉行、南町奉行大岡越前守忠相は、「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは、地蔵も同罪なり、直ちに縄打って召し捕って参れ」と命じました。かくして地蔵はぐるぐるに縛られ、車に乗せられ江戸市中を引き廻され南町奉行所へ。物見高い野次馬が、どんなお裁きが始まるかと奉行所になだれ込みました。
頃を見計らった越前守は門を閉めさせ「天下のお白州に乱入するとは不届至極、その罰として反物一反の科料申附ける」の一声、奉行所にはその日の内に反物の山が出来ました。手代に調べさせるとその中から盗品が出て、それからそれへと調べると当時江戸市中を荒した大盗賊団が一網打尽となったのです。越前守は地蔵尊の霊験に感謝し、立派なお堂を建立し盛大な縄解き供養を行いました。以来、お願いするときは縛り、願い叶えば縄解きするという風習が生まれ、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られています。
縄解き供養
12月31日午後11時からは、南蔵院住職による「願かけしばられ地蔵尊」の縄解き供養が行われ、解かれた縄は祈祷護摩の火でお焚き上げされます。もうじき年も明けようという頃、住職が除夜の一番鐘を撞き、年が改まったところで地蔵尊に新年の一番縄が結ばれます。参詣の人々は、一年に一度縄を解かれた地蔵尊のお姿を拝み、除夜の鐘を撞き、そして新たに地蔵尊に願かけの縄を結び、新年の願いを託すのです。ご供養の間、住職、衆僧により聲明が唱えられ、境内に新設された舞台では「伶楽舎」による雅楽の演奏が行われます。荘厳な音の世界に浸りながら、新年を迎える儀式が執り行われます。
東金町五丁目交差点で水元公園とお別れして、そのまま真っ直ぐに進み、東金町七丁目交差点を渡ったところで江戸川の土手に出ます。さすがに江戸川は大河です。広大な河川敷はゴルフ場になっていて、どんよりとした空の下でゴルフを楽しんでいるグループが散見されます。ゴルフってそんなに面白いもんですかね?
水元・柴又コースは、ここから延々と江戸川の土手を歩きます。何も見るべきものはありませんが、視界が360度開けているので快適な歩きが楽しめます。土手の上の遊歩道は常磐線の線路に突き当たって途切れています。仕方がないので河川敷に降り、常磐線と国道6号線の新葛飾橋の下をくぐります。その先で再び土手に戻りますと、武蔵野の路の標識が見つかりました。終点の江戸川水門まではまだまだ先が長いようです。
新葛飾橋の直ぐ先に広大な敷地を占有する金町浄水場があります。柴又街道から眺めるとその規模の大きさが分かりますが、江戸川土手からも十分それが感じ取れます。江戸川から取水しているそうですが、上流には松戸市の下水処理場があり、そこから排水も流れ込むそうです。金町浄水場は、主に東京の城東地区に給水しているそうで、最近では濾過技術が向上してきているとはいえ、日常的に飲用や炊事や洗面などに使うのはちょっと気が引けます。ダムから浄水場までパイプラインを引くというのは無理なんでしょうかね?
金町浄水場の隣には柴又帝釈天があり、その脇に寅さん記念館が建てられています。前回は中を見物したのですが、今回はパスします。更に歩いて行きます。江戸川の河川敷はとてつもなく広く、その敷地を使って野球場とかサッカー場、更にはゲートボール場まで設けられています。少年野球の試合があると、お母さんたちは給食に給水と大忙しです。
京成本線の鉄橋の手前に小岩菖蒲園があります。河川敷の中に設けられていて、夏の終わりの今頃は見る影もありませんが、初夏の頃には菖蒲の花が咲き誇り、見物人で賑わいます。
総武本線の鉄橋をくぐった先に善養寺というお寺があります。門の横には大きな看板が立ててあり、「影向(ようごう)の松」と大書きされています。境内に鎮座するクロマツの樹齢は600年以上といわれ、樹高は約8メートルほどとさほどでもないものの、地上約2メートルのところで枝を四方に生育させ、82本の支柱でその重みを支えています。幹の太さは約4.5メートルで、生育した枝の長さは東西方向約28メートル、南北方向約31メートルにも及び、繁茂面積は800平方メートル以上に達して日本一ともいわれています。一見の価値ありです。
首都高速小松川線から京葉道路に繋がる江戸川大橋を超えた先で、江戸川は二手に分かれます。本流は行徳の先で東京湾に行きつきますが、旧江戸川は大きく蛇行し、舞浜の東京ディズニーランド脇で東京湾に注ぎます。二股に分かれた先に、水元・柴又コースの終点である江戸川水閘門(えどがわすいこうもん)が設けられています。起点の大場川水門と違って、ここには武蔵野の路の標識が立てられていました。10年前と比べて、随分と傷んでいて、月日の流れを感じます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『水元・柴又コース(二回目)』の歩数は24、663歩、所要時間は4時間45分でした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
戻る