16.大井・羽田コース(二回目)
『大井・羽田コース』は、大田区の城南島を起点にして、羽田弁天橋に至る10.6kmのコースです。
<総合案内板のコース紹介>
羽田空港付近の多摩川河口から大田区城南島(海上バス発着場)までの湾岸埋立地を結ぶ約10.6kmの平坦なコースです。大井、京浜島、昭和島、城南島の各埋立地には各種レクリエーション施設が整備されています。羽田空港に離着陸する航空機のダイナミックな姿と、東京港野鳥公園に集まる数多くの野鳥の観察が楽しめます。
注記:()内は、今回の案内板で削除されていました。確かに、城南島には海上バスが発着できる桟橋は見当たりません。武蔵野の路が開設された当時は海上バス運行の計画があったのでしょうか?
10年前になりますが、東京都が制定した「武蔵野の路」21コースを歩きました。このうち、9コースについては踏破記を書きましたが、残り12コースについては未完となっていました。今回、一念発起して踏破記が未完のコースについて、再度歩き直して完成させようと思います。
今回は「大井・羽田コース」です。起点は城南島ですが、ここに行くにはバス便しかありません。JR大森駅東口から京浜急行バス「森32」に乗車します。時間帯によって、太田市場の場内を経由するものとそうでないものがありますが、どちらも城南島海浜公園の最寄りバス停である城南島4丁目に行きます。但し、昼間の時間帯は本数が少ないため、事前に発車時刻を調べておくのがお勧めです。さて、お昼前に城南島海浜公園に着きました。先日歩いた「夢の島・お台場コース」の終点であるお台場の青海客船ターミナルから海路で繋がっている筈なのですが、現在はどこがコースの起点か定かではありません。案内板のコース図を見ますと、中央防波堤外側埋立地から海底トンネルを経て城南島に繋がる東京港臨海道路の出口辺りが起点になっているようです。実際に城南島海浜公園を歩いてみますと、臨海トンネル城南島換気所のすぐ横に海に突き出た長い防波堤のようなものが大小2本あります。この内側に海上バスの桟橋を造る計画だったのでしょうか?ということで、独断でここをコースの起点とします。
城南島は羽田空港の対岸に位置し、C滑走路が真正面に見えます。距離にしたら1kmもないかもしれません。東南側の人工浜辺からは、巨大なジェット機が離陸の滑走を始めた瞬間から、急角度で上昇し、脚を収納する様子が轟音と共に迫力満点で見られます。
さて、コース図に従って換気所の前の広場から真っ直ぐに歩き始めます。ところが、直ぐに海浜公園のフェンスにぶつかり、出口が見つかりません。細長〜〜〜い駐車場を抜けて公園から出ます。辺りは倉庫や工場が建ち並ぶ殺風景な街並みです。城南島は夜の人口がゼロになるのではないかと思えるくらい住宅が見あたりません。でも、なんだかかぐわしいアルコールの香りが鼻をくすぐります。建物を見上げますと、壁には「日酒販」と書かれています。建物の内外にはお酒のケースが山積みされ、それぞれに仕分けられてトラックに積み込まれています。アルコールの香に満ちているのは空瓶も回収しているからなのでしょうか?
日酒販の建物の隣に、堀をめぐらしたような東京港臨海道路の海底トンネルの出口が見えます。その横には、換気所方向に真っ直ぐに伸びた道路が見えますが、入り口はフェンスで閉じられていて、通行は出来ません。推測ですが、コース制定当初は波止場に設ける計画だった海上バスの乗り場からこの道を真っ直ぐに進むようになっていたのかもしれません。
大分時間を食ってしまいました。先を急ぎましょう。東京港臨海道路が地上に出ますと、城南島ふ頭公園の前で城南大橋方面と城南野鳥橋方面の二手に分かれます。産業道路のためか、分岐点の交差点には道路の左側から渡る横断歩道がありません。予め、道路の右側を通った方がロスなく行けます。
大井・羽田コースでは多くの橋を渡ります。最初は城南野鳥橋です。珍しい名前ですが、橋を渡った先にある東京港野鳥公園にちなんで名づけられたのでしょう。
野鳥公園東交差点脇に、コース初めての標識板が立っていました。片方の腕の文字は消え、時の流れを感じます。更に進んだところに、これまた初めてのコースの案内板が立っていました。10年前に撮った写真は不鮮明でしたので、ここでコース全体の正確な道程を地図に書き記します。新呑川から環八と交差する区間が古いままになっています。
環七大井ふ頭交差点で左折し、湾岸道路を進みます。ちなみに、ここが環七の終点でなく、大和大橋を渡った先の平和島六丁目が正式な終点らしいです。紅色の京浜大橋の手前に太田市場の西門があります。40万uの敷地に、青果だけでなく、水産・花きも扱う巨大市場になっています。
太田市場の先で京浜大橋を渡り、京浜島に入ります。といっても、直ぐに最初の交差点で右折して京和橋を渡り、昭和島に入ります。昭和島も鉄工団地とかあって殺風景な街並みです。運河に面した北側の道路をぐるっと半周します。先ほど渡った京浜大橋の全景が運河越しに眺められます。紅色に塗られた長大な橋は美しいの一言に尽きます。
湾岸道路への接続道路と首都高羽田線が合流する地点に、東京モノレールの昭和島駅があります。ここにはモノレールの車両基地が併設されていて、整備中の車体なんかが見れて面白いです。駅の直ぐ先に首都高羽田線の下を潜って反対側に抜ける通路が設けられています。この通路を抜けると、大森ふるさとの浜辺公園に行けるのですが、実際は昭和島南緑道公園を通り、大森東避難橋を渡って、更に運河沿いに暫し歩かなければなりません。なにはともあれ、大森東避難橋を渡ります。ここは歩道橋ですが、橋幅も広く、避難橋にしては頑丈にできています。「見晴らしばし」とも愛称されていますが、これは橋が耐震補強工事された折に、大森ふるさとの浜辺公園が眺望できるバルコニーが設けられたことに由来するようです。
大森東避難橋を渡りますと、旧呑川の水門があります。呑川は、京急蒲田駅先で二手に分かれ、現在の水路は新呑川となっています。旧呑川は暗渠化され、その上は旧呑川緑地になっていて、地図上で緑地を辿るとこの水門に行きつきます。水門付近は開渠(かいきょ)になっていて、今でも水の流れている様子が見えます。
旧呑川の由来(緑地の大田区設置掲示板より)
この緑地は、近年まで呑川が流れていましたが、昭和三十年代半ばから区が埋め立てを行い、その後昭和五十年には現在のような緑地になりました。呑川の水源は、世田谷区内の旧深沢村の南部一帯といわれ、本区をほぼ縦貫して東京湾にそそいでおります。名前の起こりは、大雨のたびに氾濫し流域の田畑を呑みこんでしまったからとも、または貴重な飲み水であったからともいわれていますが定かではありません。呑川は、はじめ灌漑用水や飲料水として利用されましたが、その後は有名な「大森海苔」の生育に必要な栄養分を運ぶ河水となったり、特に下流は海苔船の交通路としても大切な役割を果たしました。そして在来の呑川が夫婦橋下流付近から北東に蛇行しているのとは別に、昭和十年、羽田の田畑を一直線に東進して藤兵衛堀に至る新河川(新呑川)を設け、従来の呑川とともに活用されました。しかし付近に住宅や工場がふえ、水や海がよごれ、更に肝心な海苔場が東京オリンピックを契機に埋め立てられるにおよび、大森の伝統産業も昭和三十七年に終わりを告げました。
水門はフェンスで囲われていて渡れませんので、避難橋入口の交差点まで進み、旧呑川の反対側に出て、再び水門のところまで戻ります。そこから運河に沿って整備された大森緑道公園を進みます。
森ケ崎公園というか、水再生センターの先に巨大な橋脚が2本並んで立っています。まるで工事途中の橋のようですが、羽田可動橋といって、橋が旋回して合体し、首都高羽田線の渋滞緩和のための迂回路として一時期使われたのだそうです。将来再稼働することもあり得るとのことで、現在もそのままの形で残されています。映画の撮影にも使えそうな光景ですね。
羽田可動橋の先で新呑川に突き当たり、旭橋まで遡ります。武蔵野の路が制定された当初は、この旭橋を渡って再び新呑川を河口方向に戻り、海老取川に沿って終点の弁天橋まで進むコースだったようです。ただ、案内板によっては最初から旭橋から直進して環八に出るルートもあり、どちらが正しかったのかは分かりません。
環状八号線に出て、羽田旭町交差点で左折します。10年前に歩いた時は、この交差点から穴森橋手前までは荏原製作所の広大な敷地でした。現在は敷地は「クロネコヤマト」のヤマト運輸に売却され、一大物流拠点としての羽田クロノゲートになっています。建物の外観は非常に近未来的な形状で、とても物流の施設とは思えません。環八通りに面した前庭は「和の里パーク」として地域貢献ゾーンになっていて、逆円錐形の建物にはレストランや展示施設などが入居しています。また、前庭の歩道には格言を記した何枚ものプレートが埋め込まれ、それぞれがナルホドと納得いく文言になっています。一例を挙げますと、(詩人バイロンの言葉)「古き良き時代」−過ぎ去った時代は全て良き時代になる。The 'good old times' - all times when old are good.
コースは羽田クロノゲートの東側の交差点から奧に入ります。あまり意味はないようですが、制定当初のコースになっていた海老取川に面した緑道の端っこを見せるためかもしれません。これはこれでなかなかに魅力的な緑道ではあるのですが。
さて、終点も間近です。穴森橋手前で環八を横断し、海老取川にそって進みます。途中、「武蔵野の路仲七児童公園」なる小さな公園前を通ります。武蔵野の路が頭に付いた公園の名前は初めてみました。この先の弁天橋袂が東京都の境界に沿ってほぼ周回する武蔵野の路のコースの始点でもあり、終点にもなっています。今回は武蔵野市の関前五丁目交差点からの半周を歩きましたが、これだけでも結構歩き堪えがありました。10年前には気がつかなかった新たな発見も多々あり、改めて武蔵野の路の奥深さを知らされた思いです。
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『大井・羽田コース(二回目)』の歩数は18、671歩、所要時間は3時間52分でした。
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