19.石神井川コース(二回目)
『石神井川コース』は、練馬区の長光寺橋を起点にして、荒川江北橋に至る16.7kmのコースです。
<総合案内板のコース紹介>
このコースは練馬区内石神井川長光寺橋から荒川の江北橋までの、主に石神井川に沿った約16.7kmのコースです。市街地のなかの水と緑を楽しめるコースで、周辺には豊島園、城北中央公園等の都市型大型レクリエーション施設や板橋、飛鳥山公園、名主の滝、旧古河庭園等の名所、旧跡があります。
<パンフレットのコース紹介>
緑の多い静かな住宅街の中を石神井川に沿って巡るコース。コース沿いには子供から大人まで楽しめるレクリエーション施設が点在している。陸上競技場からプールまで大規模運動施設がそろった広大な城北中央公園、スリル満点の遊園地「としまえん」、桜の名所の飛鳥山公園などなど。ピクニック気分で出掛けたいスポットが目白押しだ。石神井川の岸辺は、洪水対策のため深いコンクリートの護岸が造られ、残念ながら水面が見えにくくなっている。しかし城北中央公園では生い茂る水草やカモの群れの泳ぐ姿が見られ、川が人と自然を結ぶ接点であることを思い出させる。また王子駅前には、石神井川の流れを利用した音無親水公園があり、通り行く人々の憩いの場となっている。
10年前になりますが、東京都が制定した「武蔵野の路」21コースを歩きました。このうち、9コースについては踏破記を書きましたが、残り12コースについては未完となっていました。今回、一念発起して踏破記が未完のコースについて、再度歩き直して完成させようと思います。
今回は「石神井川コース」です。起点は石神井川に架かる長光寺橋になりますが、今回は逆向きに歩きますので、荒川江北橋が起点となります。江北橋は、先月歩いた「舎人コース」の起点であると共に、先日歩いた「浮間コース」の終点にもなっています。
江北橋から階段を下りて右なりに進むと、豊島橋で隅田川を渡ります。この辺りは荒川と隅田川が土手を挟んで対峙している感じです。豊島橋を渡りますと、右手に豊島五丁目団地の巨大な建物が連なっています。豊島五丁目交差点の三叉路で左手に折れ、王子駅に向かいます。途中には何もなく、僅かに庚申堂の祠が垣間見れるだけです。溝田橋交差点で明治通りに合流します。王子駅の構内を通って音無親水公園に入ります。音無親水公園は石神井川の旧流路に整備された公園です。石神井川は北区付近では音無川と呼ばれ、古くから景勝の地として親しまれてきました。昭和30年代から始まった河川改修工事で石神井川の流路が変更になり、残された旧流路に「かっての渓流を」ということで音無親水公園が造られました。面積は、約5,500uですが、「日本の都市公園100選」に選ばれています。
音無川のこのあたりは、古くから名所として知られていました。江戸時代の天保7年に完成した「江戸名所図会」や、嘉永5年の近吾堂板江戸切絵図、また、安藤広重による錦絵など多くの資料に弁天の滝、不動の滝、石堰から落ちる王子の大滝などが見られ、広く親しまれていたことがわかります。「江戸名所花暦」、「游歴雑記」などには、一歩ごとにながめがかわり、投網や釣りもできれば泳ぐこともできる、夕焼けがひときわ見事で川の水でたてた茶はおいしいと書かれており、江戸幕府による地誌、「新編武蔵風土記稿」には、このあたりの高台からの眺めについて、飛鳥山が手にとるように見え、眼の下には音無川が勢いよく流れ、石堰にあたる水の音が響き、谷間の樹木は見事で、実にすぐれていると記されています。こうした恵まれた自然条件をいまに再生し、後世に伝えることを願って、昭和63年、北区は、この音無親水公園を整備しました。
たきらせの 絶えぬ流れの末遠く すむ水きよし 夕日さす影
飛鳥山十二景のうち滝野川夕照より
昭和六十三年三月 東京都 北区
石神井川コースは、音無親水公園から終点の長光寺橋まで、ひたすら川沿いを進みます。川沿いには桜の並木が連なっていて、お花見の季節には最高の散策路です。今は桜の季節ではありませんが、お彼岸が近いということもあって、ところどころに彼岸花が咲いていました。別名、曼珠沙華ともいいますが、山口百恵さんの歌がなかったら、私には無縁の花になっていたでしょう。
滝野川4丁目の石神井川に架かる観音橋の北側に大仏様が鎮座しておられました。でも、本当は観音様だそうです。谷津大観音という観音様はまだ新しく、2008年に建立されたそうです。確かに、10年前に歩いた際の写真にはこの観音様は映っていませんでした。東京は歩くたびに風景が変わっています。
加賀二丁目辺りに、ひときわ目立つ巨大な建物が見えます。帝京大学医学部の附属病院と関連する建物ですが、前回歩いた時は未だ工事中だったような気がします。
仲宿に入った少し先に、旧中仙道と交差する板橋があります。何度も訪れたところですが、何度見ても風情があります。
この橋は板橋と称し、板橋という地名はこの板橋に由来するといわれています。板橋の名称は、すでに鎌倉から室町時代にかけて書かれた古書の中に見えますが、江戸時代になると宿場の名となり、明治22年に市町村制が施行されると町名となりました。そして昭和7年に東京市が拡大して板橋区が誕生した時も板橋の名称が採用されました。板橋宿は、南の滝野川村境から北の前の村境まで20町9間(約2.2km)の長さがあり、この橋から京よりを上宿と称し、江戸よりを仲宿、平尾宿と称し、三宿を総称して板橋宿と呼びました。板橋宿の中心は本陣や問屋場、旅籠が軒を並べる仲宿でしたが、江戸時代の地誌「江戸名所絵図」の挿絵から、この橋周辺も非常に賑やかだったことがうかがえます。江戸時代の板橋は、太鼓状の木製の橋で長さは9間(16.2m)、幅3間(5.4m)ありました。少なくとも寛政10年(1798年)と天保年間の二度修復が行われたことが分かっています。近代に入ると、大正9年に新しい橋が架けかえられましたが、自動車の普及に対応するため、昭和7年に早くもコンクリートの橋に架け替えられました。現在の橋は昭和47年に石神井川の改修工事の際、新しく架けかえられたものです。
平成12年3月 板橋区教育委員会
旧川越街道と石神井川が交差するところに、下頭橋が架かっています。如何にも謂れのありそうな名前ですが、その起源については諸説あるようです。私がもっともらしく思えるのは、川越城主が江戸に出入りする際、江戸屋敷の家臣がここまで来て頭を下げて見送り出迎えたからという説です。武士社会のしきたりを感じさせて面白いですね。
石神井川は大山街道と交差する箇所が多いようで、ところどころに大山道の道しるべとなったであろう庚申塔が立っています。中央大学グラウンド跡地に整備された練馬総合運動場の近くに新大橋が架かっていますが、この辺りには江戸時代に埼玉道から分岐し、富士大山道に至る旧道(田中道)が通っていたそうです。これらの庚申塔や不動明王座像も大山詣での旅人の道標となったのでしょう。
豊島園通りと交差する中之橋で石神井川は豊島園の中に入ります。豊島園は旧練馬城の跡地に造られたそうですが、園内に入るには入場料が必要です。生憎、この日は休園日になっていて入れません(前回もそうだったような)。仕方がないので、豊島園の北側に沿ってぐるりと周回し、石川橋に出ます。環八と目白通りが交差する練馬中央陸橋をくぐり、西武池袋線の練馬高野台駅の東側を通って、終点の長光寺橋に辿り着きます。石神井川コースの終点を示す標識は見当たりませんが、笹目通りを渡った先の長光寺橋公園の中に武蔵野の路の標識がありました。ここは、今日歩いた「石神井川コース」だけでなく、「千川・石神井コース」および「光が丘・赤塚コース」の起・終点にもなっています。
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『石神井川コース』の歩数は25、712歩、所要時間は5時間02分でした。
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