H明治神宮&代々木公園コース  

コース 踏破記  

今日は渋谷区の「明治神宮&代々木公園コース」を歩きます。原宿駅を起終点として、初詣の人気No.1の明治神宮と都心のオアシス代々木公園を巡ります。  

明治神宮&代々木公園コース

明治神宮&代々木公園コースの歩行距離は約4.8km(約6,860歩)、歩行時間は1時間12分、消費カロリーは約216kcalです。

スタート地点:原宿駅【東口】
↓ (約0.6km:約 9.0分)
@大鳥居【日本最大の木造明神鳥居、大鳥居の檜材は台湾産】
↓ (約0.4km:約 6.0分)
A明治神宮御社殿【明治天皇と昭憲皇太后を祀る、初詣参拝者数は日本一】
↓ (約0.6km:約 9.0分)
B代々木ポニー公園【都心でポニーに会える、ひき馬&親子乗馬を体験】
↓ (約1.9km:約28.5分)
C代々木公園【広い空が見える森林公園、サイクリングコースあり】
↓ (約0.3km:約 4.5分)
D日本航空発始之碑【日本の初飛行は明治四十三年、操縦者は2名の陸軍大尉】
↓ (約1.0km:約15.0分)
ゴール地点:原宿駅【西口】


スタート地点の原宿駅東口から歩き始めます。原宿駅は、原宿・表参道地区の玄関口であり、駅東側は竹下通りを中心にして若者が主流の賑わいとなっています。駅の西側は明治神宮や代々木公園の森林に接していて、初詣以外は参拝の人達や公園の散策を楽しむ人達が時折り訪れるくらいです。現在の三代目原宿駅は2020年3月に供用開始となりましたが、二代目となった旧駅舎は1924年に竣工した木造建築で、都内で現存する木造駅舎では最も古い建物でした。尖塔付きの屋根に白い外壁、露出した骨組という特徴を持つイギリス調のハーフティンバー様式が用いられていました。窓格子は二重斜格子文で、階段に使用されていた廃レールには「1950年」の刻印が見られていました。新宿ゴールデン街とともに外国人観光客の注目を集めるスポットとして紹介されていました。原宿駅には、通常では使われないホームが存在していました。ひとつは内回り線(渋谷駅方向)の駅手前・代々木駅寄りにある1面1線の皇室専用ホームです。かつては外回り線(代々木駅方向)にも1面1線の明治神宮敷地内「臨時ホーム」(旧3番線ホーム)がありました。このホームは例年、正月のみ使用される明治神宮の初詣客向けのもので、昭和十五年(1940年)元日から供用が開始されました。明治神宮は毎年日本で最多の初詣客が訪れ、山手線は大晦日から元日にかけて終夜運転が行われます。この期間中は外回り線は臨時ホームで乗降を行い、当時の2番線ホームは使用を中止していました。駅構内の混雑緩和に向けた工事が開始されてからの数年間はこの臨時ホームは使用されず、2020年3月31日から2番線ホームとして、通年使用のホームとなっています。



東口から明治神宮に行くには山手線に架かる神宮橋を渡ります。新しいレトロな風貌の陸橋ですが、歴史のロマンも感じられます。

神宮橋

神宮橋は大正九年、明治神宮の造営時に山手線を跨いで架けられ、当時としては珍しく、鉄骨を使用したコンクリートの橋桁であった。橋の装飾は最も苦心したところで、御影石の高欄部分には黒松を吹寄植して橋を渡る人々に下を走る列車を気付かせないよう配慮すると共に橋詰には石燈籠を現代化した親柱を建てた。多くの人々に親しまれてきたこの橋も寄る年波には勝てず、六十有余年間その使命を十分に果たし、新しい橋に架け替えられた。新しい橋は古い橋の姿をできるだけ損なわないように高欄は御影石を使って再現し。親柱は当時の石材を補修しそのままの形に復元した。そして歩道部分の舗装には御影石を組合せてその中に渋谷区の木「けやき」をデザインして配置し、新しい原宿の町にふさわしく明るい感じとしたものである。




明治神宮へ向う参道前の広場に出ます。右手に大きな鳥居があります。明治神宮には幾つかの鳥居がありますが、原宿口にある鳥居は「明治神宮一の鳥居」というんだそうです。ちなみに、鳥居とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を分けるもの(結界)であり、神域への入口を示すものです。鳥居は、「1基、2基」と数えます。ひとつの参道に複数の鳥居がある場合は、一番外側から「一の鳥居、二の鳥居・・・」と呼ぶのが一般的です。鳥居の横に明治神宮の概要を記した案内板が立っています。

明治神宮

祭神
明治天皇(第122代天皇)
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)
鎮座
大正九年(1920年)11月1日
例大祭
11月3日(明治天皇の誕生日)
由緒
明治四十五年7月30日明治天皇が崩御になりますと、国民の間からご神霊をおまつりして、ご神徳を永遠に敬いお慕いしたいとの熱い願いが沸き起りました。当神宮の造営にあたっては、全国各地よりの献木と青年団員の勤労奉仕がなされ、更には奉賛会を設立して外苑が奉献をみるなど、 全国民挙げての創建となりました。
沿革
創建当初の社殿をはじめ主要建物は、昭和二十年4月の戦災により焼失しましたが、昭和三十三年11月、国内はもとより海外からも多額の浄財が寄せられ、現在の社殿が復興されました。
境内
内苑(東京都渋谷区代々木神園町) 約70万u
外苑(東京都新宿区霞ヶ丘及び港区元赤坂) 約30万u
神楽殿
平成の御大典記念事業として造営されたもので、明治神宮崇敬会及び全国崇敬者よりの多大な奉賛により平成五年に竣功しました。神楽舞・舞楽を奏しての厳粛な祈願祭を随時奉仕しています。
宝物殿
正倉院の校倉風大床造りの様式を模した建物で、大正十年に竣功しました。殿内にはご着用の装束・お馬車・日常ご使用になられた品々など、ご祭神縁の御物が展示されています。
御苑
ご祭神縁の名苑で、特に天皇が皇后のために植えさせられた花菖蒲が咲き競う6月には、多くの拝観者で賑わいます。
外苑
大正十五年10月に奉献された外苑は、ご祭神のご事蹟が描かれた80面の大壁画を展示する明治聖徳記念絵画館を中心に、苑内には野球場・テニスコート・アイススケート場等を備え、スポーツの森として広く親しまれています。
明治記念館
本館は明治憲法の草案が審議された建物で、昭和二十二年明治神宮の総合結婚式場として開館して以来、毎年多くの方々が慶びの日を迎えられます。


MEIJI JINGU

Deities Enshrined
Emperor Meiji and his consort Empress Shoken
Date of Establishment
1st November 1920
Annual Festival
3rd November (Birthday of Emperor Meiji)
History
Emperor Meiji passed away on 30th July 1912. Meiji Jingu, a shrine of national prayer for peace and prosperity was built as a result of combined efforts of all the Japanese to commemorate his virtues. The shrine building was lost by fire during the last war, but was reconstructed in 1958, being supported by all loyal Japanese. The feelings of reverence and yearning of the people for the Emperor and Empress are ever increasing.
Precincts
The inner garden ... 173 acres
Yoyogikamizonocho, Shibuya-ku, Tokyo
The outer garden ... 74 acres
Kasumigaoka, Shinjuku-ku, and Motoakasaka, Minato-ku, Tokyo
Kaguraden
This is a building aiming at prayer supported by donations from worshippers all over the country in 1993.
Treasure Museum
Various articles used by Emperor Meiji and Empress Shoken are displayed and help remind the visitors of their virtues.
Meiji Jingu Garden
Emperor Meiji and Empress Shoken were very fond of this Garden. Irises in June are especially beautiful.
The Outer Garden
This was donated by the populace to Meiji Jingu 1926. There are Emperor Meiji's funeral site, Meiji Memorial Art Gallery, great stadium, tennis courts, etc.., and it is internationally known as the sports center of Japan.
Meiji Memorial Hall
The Meiji Constitution was drafted in this building. Shinto weddings are performed here.




鳥居をくぐると、その先は森林が拡がっています。森の中に参道を設けたようなものです。代々木の地名ですが、樅の大木が代々続いて育ったことに由来しているそうです。樅の木といえば、江戸時代前期に仙台藩伊達家で起こったお家騒動「伊達騒動」を題材にした山本周五郎の歴史小説「樅ノ木は残った」が思い浮かびますね。洋風には、樅の木はクリスマスツリーに使われますね。厳冬期でも元気に緑の葉を茂らせている樅の木は、「永遠の命の象徴」として特別な存在だったのでしょう。

代々木

この地には昔から代々樅(もみ)の大木が育ち「代々木」という地名が生まれました。この前の名木「代々木」は昭和二十年五月の戦禍で惜しくも焼失しましたのでその後植継いだものであります。




神社に御神酒は欠かせませんが、明治神宮の菰樽は規模が破格です。全国の酒造メーカーから献上された清酒の菰樽が222個も積み重ねられているさまは壮観としかいいようがありません。同じ銘柄の樽もありますので、重複を除いたら幾つの銘柄になるのでしょうか?一応、屋根は付いていますが、吹きさらしも同然なので、中のお酒が劣化しないか心配です。それとも空樽かな?

奉献 清酒菰樽

明治神宮の御祭神明治天皇様は、明治の御代に我が国の様々な産業を奨励し技術の振興に御心を注がれ日本の興隆と近代化を成し遂げられました。また、我が国の国母と慕われた昭憲皇太后様と共に両御祭神の広大無辺な御聖徳は国民ひとしく仰ぎ奉るところであります。ここに奉供されています菰樽は、ご縁を以て永年当神宮へ奉納を頂いております甲東会を始め、昭和三十八年に結成された明治神宮全国酒造敬神会会員、また全国各地の敬神の念厚き酒造家より献納されたものであります。ここに、ご奉献頂いた酒造各社に衷心より感謝申し上げますと共に、酒造業を始めとした我が国の伝統文化を担う諸産業が益々栄えますことをご祈念申し上げます。

Barrels of Sake Wrapped in Straw

During the Meiji Era, Emperor Meiji, whose divine soul is enshrined here at Meiji Jingu, led the industrial growth and modernization of Japan by encouraging various industries and supporting technological development. Due to their grace and virtue, Emperor Meiji and his consort, Empress Shoken, the beloved mother of our nation whose soul is also enshrined here, are held in the highest esteem by the Japanese people. These sake barrels are offered every year to the enshrined deities by members of the Meiji Jingu Zenkoku Shuzo Keishinkai (Meiji Jingu Nationwide Sake Brewers Association) including the Kotokai, which has made offerings of sake for generations, as well as other sake brewers around Japan wishing to show their deep respect for the souls of Emperor Meiji and Empress Shoken. In addition to stating our humble gratitude to all of the brewers who have so graciously donated their sake, we also pray for the continuous prosperity of the sake brewing industry and all the other industries maintaining Japan's traditional culture.




菰樽が積み上げられた参道の反対側には、これまた多数のワイン樽が並んでいます。その数60樽!何れもフランスのワインの名産地ブルゴーニュ地方の有名ワイナリーから届けられたものです。普通、ワイン樽は湿度と温度が厳重に管理された地下のカーヴなどに保管されるのですが、日本のような高温多湿の野外に置かれてはワインも熟成なんかできないでしょう。それとも、空樽?

奉献 葡萄酒樽について

明治天皇御製

よきをとりあしきをすてて外國に
 おとらぬくにとなすよしもがな

「和魂洋才」を旨とし、わが国の伝統のこころを守りつつ、西洋の優れた文物を採り入れた明治時代。御在世中、まさに国民の模範となって近代化を推し進められた明治天皇は、断髪・洋装をはじめ、衣食住の様々な分野において西欧文化を積極的に採り入れられました。食文化においても率先して洋食をお召し上がりになり、西洋酒としては特に葡萄酒をお好みになられました。ここに奉供されております葡萄酒樽は、ブルゴーニュ東京事務所代表でブルゴーニュ名誉市民、シャトー・ドゥ・シャイイホテル・オーナーでもある佐多保彦氏の呼びかけにより、葡萄酒産地として名高いフランス共和国ブルゴーニュ地方は醸造元各社より献納されたものであります。ご縁により遠く海を越えご奉献頂いた方々に衷心より感謝を申し上げますとともに、御祭神の世界友好への深い御心を戴き、わが国とフランスとの親交が一層深まりますよう祈念致します。

Provenance of the Bourgogne Wine for Consecration at Meiji Jingu

By gaining the good and rejecting what is wrong,
It is our desire that we'll compare favourably
With other lands abroad.

Poem by Emperor Meiji



The Meiji period was an enlightened period during which a policy of "Japanese Spirit and Western Knowledge" was adopted, to learn from the best of Western culture and civilization while keeping Japan's age-old spirit and revered traditions. Emperor Meiji led the way in promoting modernization by embracing many features of western culture in his personal life, such as shearing his topknot and donning western attire, and in many other aspects of daily living. Among these departures, His Majesty set an example by taking western food and in particular by enjoying wine with it.

The barrels of wine to be consecrated at Meiji Jingu have been offered by the celebrated wineries of Bourgogne in France on the initiative of Mr. Yasuhiko Sata, Representative, House of Burgundy in Tokyo, Honorary Citizen of Bourgogne and owner of the Chateau de Chailly Hotel-Golf. Profound gratitude is due to the winemakers who have so generously contributed to this precious gift to be consecrated here to the spirit of world peace and amity, with the earnest prayer that France and Japan will enjoy many more fruitful years of friendship.




ワイン樽の中に、世界一高価といわれるロマネコンティのワイナリー「DOMAINE DE LA ROMANEE CONTI」の名前もあります。もし、中味が入っていたらひとつの樽で幾らくらいになるのでしょうか?イヤ、そもそもロマネ・コンティは極めて希少なため、樽を満たすような量は出せないと思うのですがね。やっぱし空樽?20年ほど前にフランスのワイナリー巡りをした時、ボーヌ近郊のロマネ・コンティの工場に行って直売のロマネ・コンティを買おうとしたのですけど、「日本のサントリーが買い占めてここには1本も残っていない」と従業員の人が言っていました。その後でボーヌのマルシェ・オ・ヴァン(ワイン市場)に行ったら、エシェゾー級ですけど、1本だけロマネ・コンティが売られていて即買いしました(ここを見てください)。



参道の2番目の鳥居(二の鳥居)は大鳥居と呼ばれていて、木造の明神鳥居としては国内最大級の大きさだそうです。檜造りですが国産の檜ではありません。初代の鳥居は明治神宮創建当時日本が台湾を統治していたことから、阿里山の西腹から切り出されて台湾総督府から贈られた樹齢1200年以上といわれる大檜の巨木が使われました。現在の二代目の大鳥居も、阿里山連峰の丹大山で発見された樹齢1500年超の大檜が使われています。なお、初代の大鳥居は、1966年7月22日の落雷で破損し、翌年移設されて氷川神社の二の鳥居になっています。

大鳥居

我が国で最も大きい木造の「明神鳥居」。昭和五十年12月23日建替竣功、篤志家により奉献。形式寸法共に大正九年創建の鳥居に同じ。原木は台湾丹大山の樹齢1,500年に及ぶ扁柏(ひのき)。

 高さ    12メートル
 柱と柱の間  9.1メートル
 島木の長さ 15.5メートル
 柱の径    1.2メートル
 笠木の長さ 17メートル

OTORII (THE GRAND SHRINE-GATE)

THIS IS THE BIGGEST WOODEN "TORII" OF THE MYOJIN STYLE IN JAPAN, REBUILT AND DEDICATED BY A PIOUS BENEFACTOR ON DECEMBER 23, 1975, AND MODELED BOTH IN FORM AND SIZE EXACTLY AFTER THE ORIGINAL BUILT IN 1920. THE MATERIAL WOOD USED IS "HINOKI" (=JAPAN CYPRESS), 1,500 YEARS OLD FROM MT. TANDA I-SAN TAIWAN,

HEIGHT: 12m
LENGTH OF CROSSPIECE: 17 m
DIAMETER OF EACH PILLER: 1.2m
LENGTH OF UNDERCROSSPIECE: 15.5m
DISTANCE BETWEEN THE TWO PILLARS: 9.1m





本殿の南側に拡がる武蔵野の面影を今に留める明治神宮御苑は、江戸時代に加藤家・井伊家の下屋敷の庭園でした。明治時代に宮内省の所管となり、南豊島御料地と呼ばれました。その後、明治二十六年頃に明治天皇が身体の弱かった昭憲皇太后の運動のために遊歩庭園として整備されました。明治神宮の鎮座地が代々木に決定されたのは、この御苑が大きな理由のひとつでした。

明治神宮御苑

明治天皇御製

うつせみの代々木の里はしづかにて
 都のほかのここちこそすれ

この御苑は江戸時代の初めから大名加藤家・井伊家の下屋敷の庭園でありましたが、明治初年皇室のご料地となり、明治天皇の思召により所々模様替えがなされ、昭憲皇太后にはたびたび行啓になられた由緒深い名苑であります。面積は約83,000平方米(二万五千坪余)で武蔵野特有の面影を残した苑内には、隔雲亭・御釣台・四阿南池・菖蒲田・清正井などがあり、四季折々の眺めは誠に趣があり、殊に六月に咲き競う御祭~ご遺愛の花菖蒲の美しさは格別です。

MEIJI JINGU GARDEN

This Garden was originally a part of compounds of a daimyo yashiki (a feudal lord's mansion) owned by the lis: Since the biginning of the Meiji Era (1868-) it became the Imperial estate and was put improvements into by the order of His Majesty the Emperor Meiji. Her Majesty the Empress Shoken as well as His Majesty frequented this historic place. It spreads 83,000 square meters with the reminiscences of Musashino fields. In it there are spots of interest such as Kakuuntei (a tea house), Otsuridai (afishing platform). Azumaya (a resting house), Minamiike (a pond), Shobuda (an iris field) and Kiyomasaido (a well), each of which never fail to attract you through the year whenever you visit, especially at the changes of the four seasons. Among the glamorous groups of flower, irises in June is the best to observe ,which the late Her Majesty cherished a deep affection for.




長〜〜〜い参道を進み、三の鳥居をくぐると南神門があり、その先の広場の奥に本殿が鎮座しています。本殿の両脇にはまん丸い楠の巨木が聳えています。



右側の楠の根元に沢山の絵馬が架けられています。就活成就・合格祈願・家内安全などに混じって、世相を反映してかコロナ終息の絵馬も見受けられます。

絵馬の由来

古来、雨乞いなどに際し神馬(しんめ)を神社に奉献する信仰がありましたが、やがて馬の奉献が困難となり、馬やその他のものを木版に描いて奉納し、祈願・報謝するようになりました。今日では願い事を書いて奉納するほか、その年の幸運を祈って縁起物としてお頒ちされるようになりました。明治神宮では参拝者が願い事を記して奉納する「祈願絵馬」と、縁起物の「千支絵馬」を授与しております。奉納された祈願絵馬は毎朝奉仕される「御饌祭」(ご祭神にお食事をお供えし国の平安を祈る儀式)にてご神前にお供えし、願い事の成就を祈願致しております。

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左側の楠は2本が対になっていて、その間にはしめ縄が渡されています。海岸の夫婦岩はよく見かけますが、夫婦楠は珍しいかも。

夫婦楠

この楠は大正九年の御鎮座当時に献木され、御祭神の御加護のもと樹勢瑞々しき大樹に育った御神木であります。両樹木は「夫婦楠」として親しまれ、縁結び・夫婦円満・家内安全の象徴となっております。御参拝の皆様方には、この御神木を通して御祭神のお恵みをお受け下さい。

These camphor trees, planted in 1920 at the time of the enshrinement of Meiji Jingu, have grown under the protection of the deities to become huge and vivid, and are considered to be sacred. Well known as "Meoto Kusu" or "Husband and Wife", the coupled trees have become a symbol of happy marriage and harmonious life within the family. May happiness be brought to you through the divine power of these trees.




折角本殿まで来たのに、参拝もせず本殿前の広場から西参道に出ます。



最近、害虫による樹木の枯死が問題になっています。人間ならお医者さんが診てくれますが、樹木の場合は樹木医の担当です。樹木医とは、樹木の調査・研究、診断・治療、公園緑地の計画・設計・設計監理などを通して、樹木の保護・育成・管理や、落枝や倒木等による人的・物損被害の抑制、後継樹の育成、樹木に関する知識の普及・指導などを行う専門家のことです。樹木医となるには、財団法人日本緑化センターが実施する樹木医資格審査に合格し、樹木医として登録されることが必要となっています。明治神宮のナラ枯れ対策も樹木医さんの指導を受けて行っているのでしょう。

明治神宮の森 ナラ枯れ対策

日本各地で発生しているナラ枯れは、カシノナガキクイムシという小さな虫が媒介するナラ菌によって樹木が枯れる被害です。明治神宮の森ではナラ枯れから貴重な木を守るためカシナガトラップ(虫の生態を利用した大量捕獲装置)とシート被覆を併用した対策を行っています。トラップ下部のボトルには捕獲虫の腐敗を防止するためのアルコール(食品添加物のアマノール)が入っていますが、農薬は使用していません。トラップは5月頃から9月頃まで設置します。




西門をくぐり、西参道口から明治神宮の外に出ます。



西参道口のすぐ先に代々木ポニー公園があります。東京乗馬倶楽部に隣接しているので、てっきり倶楽部の附属施設かと思っていたのですが、実際は渋谷区が運用する区立公園なんですね。普段は引き馬や乗馬など、ポニーと身近に接することが出来て子供達に人気があるのですが、コロナ禍のご時世ですので休止中のようです。

ポニーはどんな動物なの?

●子馬のことを、ポニーというの?
おとなになったときの背の高さ(体高)が、147cm以下の馬のことを「ポニー」と呼んでいます。ですから、子どもの馬のことではありません。

●どんな性質なの?
とてもびんかんでおくびょうですから、大きな声や音を出さないようにしましょう。おとなしいので、人にがいをくわえることはほとんどありませんが、おどろかされると、身をまもるためにけったり、走りだしたりすることがあります。

●どんなものを食べるの?
ポニーは草食動物なので、自然に生えている草や葉っぱなどを食べます。ここのポニーは、チモシーという牧草の干草を食べています。ニンジンやりんごも大好きです。

●どんなことに注意したらいいの?
やさしく声をかけながら近づいてください。ポニーのうしろに立ったり、近くで走ったりしてはいけません。わからないことがあったら、係員にききましょう。




東京乗馬倶楽部は、大正十年(1921年)に創設という老舗の乗馬クラブです。保有馬数は45頭と、規模から見れば多めといえます。またインストラクターも常勤13名、それに非常勤で元国際審判員の方もいらっしゃいます。歴史ある格調高い倶楽部ですので当然ですが、倶楽部の入会金や年会費はかなり高額で、一般人が会員になるのは厳しいようです。ただ、都心の立地とクラブの伝統を考えれば、乗馬好きの方は検討してみてもいいかも。



参宮橋手前で左に折れ、小田急の線路に沿って代々木公園に向います。途中、オリンピック記念青少年総合センターの前を通ります。道路と線路に挟まれて、春の小川コミュニティパークという小公園があります。線路の脇に案内板と石碑が立っています。



石碑には、国民的唱歌の「春の小川」の歌詞が刻まれています。見た目が墓地と墓石みたいですね。

春の小川

春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花よ
にほひめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く

高野辰之作詞
岡野貞一作曲




案内板には、「春の小川」が作られた経緯が記されています。河骨川とは不気味な名前ですが、渋谷川の支流である宇田川のそのまた支流になります。「こうほね(河骨)」はスイレン科の植物で、水生の多年生草本です。浅い池や沼に自生し、夏に黄色い花を咲かせます。別名「せんこつ(川骨)」とも呼ばれます。どちらも不気味な名前ですけどね。

「春の小川」歌碑

ここにはかつて清らかな小川が流れ、黄色のかわいらしい“こうほね”が咲いていたので、河骨川と呼ばれていました。春になると、岸辺にはれんげやすみれが咲く、のどかな所でた。明治四十二年(1909年)から代々木山谷(現代々木三丁目三号)に住んでいた国文学者の高野辰之氏は、このあたりの風景を愛して、しばしばこのほとりを散策したといわれています。そして、今も歌い続けられている「春の小川」を作詩して、大正元年(1912年)に発表しました。この詩は、小学唱歌となり、現在に至るまで広く愛唱されています。現在、河骨川は暗渠となり、もはや当時のおもかげはありませんが、この詩から明治末ごろの付近の様子を知ることができます。ここにある歌碑は、このことを永く後世に伝えるために、地元の篤志家が建設し、渋谷区に寄贈されたものであります。



右側の写真が「こうほね」の花です。可憐な花なのに不気味な名前を付けられて可哀想ですよね。


参宮橋門から代々木公園の中に入ります。公園のマップを見ますと、公園の真ん中に大きな広場があります。



広場の周囲はサイクリングコースと散策用の遊歩道に分かれています。サイクリングコースは広場を一周しているのではなく、半周してループ状に繋がっているようです。自転車が走っていないなと思ったら、コロナ禍による公園施設の閉鎖によってサイクリングセンターでの貸し出しが中止になっています。広場も周囲を工事用のフェンスで囲われていて、中への立ち入りは禁止されています。



広場を一望できる休息スペースからいびつな形の池が見えます。確か、砧公園でも見かけたと思うのですが、時間をかけて雨水を地中に染みこませる施設のようです。

見えない貯水池

この公園には、はげしい雨が降った時、たくさんの雨水が一度にあふれ出さないように下の図のようなしくみがつくってあります。雨が降りはじめると雨水は、地下に作った施設の中に入ります。この施設には、水を土の中に浸みこませるはたらきがあります。したがって少しの雨であれば、雨水はみんな土の中に浸みこんでしまいます。しかし、たくさんの雨が降ってきた時は、水の浸みこみが間に合わなくなり、雨水はまわりにつくってある土手の内側に貯まり、樹林地の中が池のようになります。雨がやむと水はゆっくり時間をかけてすこしづつ地下にしみこんでいきます。そして、いつの間にかなくなってもとのとおりになり、池は消えてしまいます。つまり、「見えない貯水池」というわけです。




代々木公園の南門近くに、日本における飛行の起源となった記念碑があります。代々木公園は、かつては代々木練兵場という日本陸軍の施設でした。その代々木練兵場が開設された明治四十二年(1909年)に陸・海軍大臣のもと「臨時軍用気球研究会」という組織が発足し、軍部による航空機の研究が始まります。しかし、当時は国産飛行機の生産にまでには至りませんでした。そこで気球研究会は外国から航空機を購入する方針をとり、徳川好敏歩兵大尉と日野熊蔵工兵大尉をヨーロッパに派遣して航空機の購入と操縦法の研究を命じました。両名は4月に出国し、わずか半年ほどの間に操縦法を覚え、10月に帰国します。その際、徳川好敏はフランスでアンリ・ファルマン式の複葉機を、日野熊蔵はドイツでハンス・グラーデ式の単葉機を購入しました。その機体は11月に日本に到着し、中野の気球隊に運ばれ組み立てられたそうです。一方、気球研究会では試験飛行の場所の検討が進められました。最初は所沢が初飛行の場所に予定されていましたが、地質的に適していませんでした。そこで代々木練兵場が選ばれたのです。また期日は明治四十三年(1910年)12月13日から19日までの1週間と定められ、新聞各紙によって飛行実験の日程が公表されました。この1週間、会場には30〜50万人の見物人が集まったといわれています。そして、徳川好敏が操縦するアンリ・ファルマン式と日野熊蔵が操縦するハンス・グラーデ式の航空機による試験飛行の様子は次のようなものでした。
  • 13日、中野の気球庫で分解され、前日の12日の夜中に代々木練兵場まで運び込まれた飛行機を組み立て直して試験運転を開始しましたが、エンジンがかかりませんでした。理由は、整備士が誤った電極をプラグに差し込んでいたためでした。
  • 14日、2機は何度も地上滑走を繰り返しますがエンジンの回転数が上がらず飛び立てませんでした。日野機は滑走直後に横風を受けて右翼を破損し、3時間半を修理に費やしました。午後、まず高度1mで距離30m、次いで高度2mで距離100mを飛行しました。
  • 15日、両機とも横風と突風で破損しました。
  • 16日、日野機は2回目に高度3m、距離100mを飛行しました。
  • 17日・18日、強風のため飛行は中止されました。
  • 19日、早朝から調整にはいっていた2機のうち、日野機はエンジンが不調で午前中は飛行できませんでした。一方、徳川機は滑走からフワリと浮かんで上昇し、さらに高度を上げて左に旋回し、原宿あたりから南豊島御料地(現在の明治神宮)を経て、会場を1周して着陸しました。正午すぎには日野機も高度45m、距離1,000m、滞空時間1分の飛行に成功しました。
最終日に会場を1周した徳川機による高度70m、距離3,000m、滞空時間4分の飛行が日本の初飛行として公式に記録されることになり、12月19日が日本初飛行の日ということになりました。このような経緯から、代々木公園に「日本初飛行の地」の記念碑が置かれることになったのです。



現在のところ、公園の遊歩道以外は工事用のフェンスで囲われて立ち入り禁止になっています。なので、記念碑を囲む敷地の中には入れません。仕方がないのでiPhoneの望遠カメラ機能をフルに使って写真を撮ります。誰もいないのに、なんでここまで立ち入りを制限するんですかね?敷地の中には案内板が立っています。あとで写真を確認したところ、案内板には「日本航空發始之地」の記念碑と徳川好敏大尉・日野熊蔵大尉の胸像の建立者・彫刻者の氏名も書き添えられています。記念碑の建立者は朝日新聞になっています。

日本初飛行の地

明治四十三年(1910年)12月19日、当時代々木練兵場であったこの地において、徳川好敏陸軍大尉はアンリ・フォルマン式復葉機を操縦して4分間、距離3,000m、高度70mの飛行に成功した。次いで日野熊蔵陸軍大尉も、グラーデ式単葉機により1分間、距離1,000m、高度45mの飛行に成功した。これが日本航空史上、最初の飛行てある。




記念碑には「日本航空發始之地」と記されていますが、「日本航空・・・」とあるので最初はJAL発祥の地かと思っていました。実際は「日本(の)航空・・・」の意味なのですね。紛らわしい!記念碑に書かれている文字をよく見ると「発祥」ではなく「発始の地」とあります。「発始」とは聞き慣れない言葉です。明治四十三年(1910年)12月19日、代々木練兵場で徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉が初飛行に成功しましたが、ここは代々木練兵場であって飛行場ではありません。当時は飛行場がなかったのです。その翌年、明治四十四年(1911年)4月5日に埼玉県所沢に日本初の飛行場である所沢飛行場が開設し、徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉が飛行に成功しています。なので、代々木練兵場で初めて飛んだという事で、代々木練兵場が「日本航空発始の地」、所沢飛行場での初飛行成功ということで所沢が「日本の航空発祥の地」となりました。記念碑の裏側には碑文があるそうですが、立ち入り禁止のため見られません。ネットに碑文が掲載されていましたので引用させていただきます(一部判読不能の文字があるようです)。

日本航空發始之地

紀元二千六百年ヲ記念シテ此?ニ此碑ヲ建ツ蓋シ代々木ノ地タル明治四十三年十二月我國最初ノ飛行機ガ國民歓呼ノ裡ニ歴史的搏翼ヲ試ミタル?ニシテ?來大正ノ末年ニ至ルマデ内外ノ飛行機殆ト皆ココヲ離着陸場トセリ即チ朝日新聞社ノ東西郵便飛行モ関東大震災後一時此地ヲ發着場トシソノ第一回訪歐飛行モ亦此原頭ヨリ壮擧ヲ起セリ是レ此地ヲ航空發始ノ?トナス所以三十年進展ノ跡ヲ顧ミテ感慨盡クルナシ 今ヤ皇國多事ノ秋志ヲ航空ニ有スル士ノ來リテ?原頭ニ俯仰シ以テ益々報國ノ赤心ヲ鼓動スルアラバ獨リ建立者ノ本懐ノミニアラサル也


朝日新聞社による碑文には、初飛行以来大正末年まで飛行機のほとんどがここで離着陸したこと、第1回訪欧飛行の壮挙もここが起源であることなどが記されています。文末の日付によると、この記念碑は昭和十五年(1940年)年12月に建立されました。この年は、碑文冒頭の「紀元二千六百年ヲ記念シテ」から、有名な「零戦」が日本海軍に採用された年になります。碑文後半の文章からも、風雲急を告げるなか戦意発揚のために記念碑がつくられたことがうかがえます。朝日新聞社が建立者になったのも、当時は新聞社が戦意高揚の重要な手段となっていたからなのでしょう。



徳川好敏像の背面には、赤城宗徳が揮毫した銘板があるそうです。赤城宗徳は主に1950年代〜1970年代に活躍した政治家で、農林大臣・内閣官房長官・防衛庁長官などを歴任しました。

徳川好敏の像

誠実・謹厳・航空に生涯を捧げた。この人が明治四十三年(1910年)十二月一九日、この地代々木の原でアンリ・ファルマン機を操縦しわが国の初飛行を行い飛行時間四分・飛距離三〇〇〇米・飛行高度七〇米の記録を創造して日本の空に人間飛翔の歴史をつくった。


日野熊蔵像の背面には、松野頼三が揮毫した銘板があるそうです。松野頼三は主に1950年代〜1970年代に活躍した政治家で、総理府総務長官・労働大臣・防衛庁長官・農林大臣などを歴任しました。日野熊蔵が熊本県出身だったことから揮毫を引き受けたのではないかと思われます。

日野熊蔵の像

翁は熊本の産。豪放磊落英仏独語に通じ、数理に秀で選ばれて、独逸に飛行機操縦を取得し一九一〇年十二月一九日此地に於いて発動機の不調を克服してグラーデ式を駆り一分間一〇〇〇米の飛行をした不屈の精神は次代の青少年の範とすべきである。




代々木公園の渋谷門近くに、花の小径というバラ園があります。今日はGW直前で、バラの花もちょうど見頃になっています。



バラの花色には、赤・ピンク・オレンジ・黄・白・青・紫・緑・茶・複色などがあります。バラは一年を通して出回る花で、花色ごとに花言葉が決まっています。
  • 赤いバラの花言葉は、「あなたを愛します」・「愛情」・「美」・情熱」・「恋」・「熱烈な恋」です。赤いバラの蕾なら、「純粋と愛らしさ」・「純粋な愛に染まる」という花言葉になります。
  • 白いバラの花言葉は、「純潔」・「私はあなたにふさわしい」・「深い尊敬」・「清純」です。白いバラの蕾なら、「恋をするには若すぎる」・「少女時代」という花言葉になります。
  • ピンクのバラの花言葉は、「しとやか」・「上品」・「可愛い人」・「美しい少女」・「愛の誓い」・「感銘」です。
  • 黄色のバラの花言葉は、「友情」・「平和」・「友愛」・「献身」・「嫉妬」・「薄らぐ愛」です。
  • オレンジのバラの花言葉は、「無邪気」・「魅惑」・「絆」・「信頼」・「すこやか」・「愛嬌」です。
  • 緑のバラの花言葉は、「穏やか」・「希望を持ち得る」です。
  • 紫のバラの花言葉は、「誇り」・「気品」・「尊敬」・「高貴」です。
  • 青いバラの花言葉は、「不可能」・「夢かなう」・「奇跡」・「神の祝福」です。
  • 黒いのバラの花言葉は、「貴方はあくまで私のもの」・「決して滅びることのない愛」・「永遠の愛」という意味になります。
また、バラの花言葉は花束として贈るときの本数によっても意味が異なります。

 1本:「一目ぼれ」「あなたしかいない」
 2本:「世界は二人だけ」「世界は二人のため」
 3本:「愛しています」「告白」
 4本:「愛は不変」「死ぬまで気持ちは変わりません」
 5本:「あなたに出会えて良かった」「出会えたことが嬉しい」
 6本:「あなたに夢中」「お互いに敬い愛し合いましょう」
 7本:「密かな愛」
 8本:「思いやり励ましてくれて感謝します」
 9本:「いつも一緒にいてください」
10本:「あなたは完璧です」

以下、999本まであるそうですが、そんな本数を花束にする人はいないと思いますので省略します。ちなみに、999本は「何度生まれ変わってもあなたを愛する」だそうです。



ブルガリア大統領夫人より寄贈された「ナディア」ですが、2018年10月15日に開催された代々木公園の「バラ総選挙」Twitter部門ではナディアが1位を勝ち取ったそうです。ナディアは濃い深紅色の花びらで、棘が少ないバラです。棘のないバラが聖母マリアの象徴とされてきたことから、マリアが転じてナディアになったのではないかと言われています。モントリオールオリンピックの女子体操で金メダルを獲得した「ナディア・コマネチ」はルーマニアの選手ですが、同じ東欧圏の国なのでそれにあやかったのかも。

バラの園

代々木公園のバラの園には、40品種以上のバラが植栽されています。日本作出のバラやフランス・ドイツ等のバラがあり、色・形・香りともに様々なバラをお楽しみいただけます。2009年に、ブルガリア大統領夫人より友好親善のシンボルとして寄贈されたブルガリアローズ「ナディア」がバラの園の一角に植えられ、春・秋に鑑賞することができます。

Rose Garden

40 varieties-roses are planted in our rose garden. Japanese origin, French, Germany roses are planted. You can enjoy those variety of colors and shapes, each fragrance. One of them, Nadia which was sent from the first lady of Bulgaria as a friendship is planted for enjoyment of visitors in the blooming season, spring and autumn.




コロナ禍の外出自粛ということもあってか、園内は閑散としています。それでも芝生のところどころで親子連れがシートを広げて寛いでいます。ここには立ち入り禁止のフェンスは張られていませんね。他とどう違うのでしょうか?



原宿門のところに石碑が置いてあります。そういえば、代々木練兵場を造成する際、ここに住んでいた地元民が大勢移住を余儀なくされたと代々木八幡宮の境内の訣別の碑に書いてありましたね。

沿革

この附近は、武蔵野特有の台地で、昔は雑木林の散在する景色のよい所であったといわれ、近世になり幕府や諸社寺の領地となりました。明治時代の末には、代々木練兵場となり、演習などが行われていましたが、昭和二十年米軍の宿舎用地として接収され、ワシントンハイツと呼ばれました。第18回オリンピック東京大会開催のとき、日本に返還され選手村となり、終了後は森林公園として整備されました。

明治四十二年(1909年) 代々木練兵場設置
明治四十三年(1910年) 日本で最初の試験飛行に成功
昭和二十年(1945年)  練兵場接収 ワシントンハイツ開設
昭和三十九年(1964年) 第18回オリンピック東京大会選手村開設
昭和四十年(1965年)  代々木公園造成に着手
昭和四十六年(1971年) 代々木公園完成




原宿駅西口に戻ってきました。東口に比べると人の出入りは少ないですが、お正月期間中の初詣客には東口から大廻りしなくてよくなったので便利になりました。



ということで、渋谷区の最後のウォーキングコースを歩き終えました。コースを歩く前は距離の短さから多少物足りなく思っていたのですが、実際に歩いてみると見どころ満載で、初めて知った場所も沢山ありました。コースによって違いますが、所要時間はガイドに記された時間の倍以上、距離は5割増し位の感じでした。撮った写真はひとつのコースにつき100〜150枚位ですかね。デジカメ(カメラ付きスマホ)とパソコンが誰でも持てる時代だから可能になったのですが、フィルム式カメラと印画紙の時代だったら現像料が高額になって私には無理だったことでしょう。そもそもフィルム式カメラだったら、そんなに枚数を撮る筈もないのですが。技術の進歩は有り難いですね。次はどの区の散歩道を歩きましょうかね?




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